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file.083 Duke SNIDER【デューク・スナイダー】

2006-09-07 | DEF
【シルバー・フォックス】
Duke SNIDER

1950年代、ニューヨークには3人の球界を代表するセンターがいた。
ヤンキースのミッキー・マントル
ジャイアンツのウィリー・メイズ
そして、ドジャースのデューク・スナイダーである。

高校時代に、野球のみならず、優れたクォーターバックとして
アメフトもプレーしていたスナイダーは、47年ドジャースに入団
49年に23本塁打、92打点でレギュラーの座をつかむと、
50年、打率.321、31本塁打、107打点と大きく成長、
52年、21本塁打、92打点、
53年には打率.336、42本塁打、126打点で
チームを2年連続のリーグ優勝に導いた。
54年、打率.341、40本塁打、130打点
55年、打率.309、42本塁打、136打点...と
驚異的な爆発力でチームを支えたが
特に55年はワールドシリーズでも大暴れ、
打率.320、4本塁打、7打点の大活躍で
チームに初のワールドチャンピオンの座をもたらした。

その後も、ジャッキー・ロビンソンやロイ・キャンパネラと共に
ドジャースの屋台骨を支え、
チームを6度のポスト・シーズン、
1959年も合わせ、2度のワールド・チャンピオンに導いた。
ちなみにスナイダーはワールド・シリーズ11本塁打26打点の
ナ・リーグ記録保持者である。

58年以降、チームがLAを本拠地にすると
ヒザの故障と440フィートのライトフェンスに苦しんだ
スナイダーは急激に成績を落とし始める。
LAでの5年間、30本塁打以上を一度もマークする事が出来ず、
最高でも59年の23本。
出場試合も減り、加えて、
チームは、モーリー・ウィルスらを中心としたスピードを活かした野球に軌道修正。
居場所を失った感のあるスナイダーは、63年にメッツへ放出される。
移籍が決まった折にはルーム・メイトであったドン・ドライスデールは
人目も憚らず涙を流して泣いたという。

新天地メッツで復活をかけ、シーズンに望んだスナイダーであったが、
36歳のスナイダーに、往年の輝きは戻らなかった。
この年、打率.243、14本塁打、45打点...と寂しい数字に終わると、
64年はジャイアンツへ。
かつてのライバル、ウィリー・メイズと奇しくもチームメイトになったわけだが、
ここでも打率.210、4本塁打と低迷。
この年限りでユニホームを脱いだ。

通算2116安打、407本塁打、打率.295。
1980年に晴れて野球殿堂入りを果たしている。

選手としてファンにおおいに愛されたスナイダーは
引退後、モントリオール・エキスポズの実況アナウンサーを勤め
こちらの分野でも多大な人気を得たのである。


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