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file .231 David CLYDE 【デビッド・クライド】

2007-11-29 | DEF
【phenom】
David CLYDE


デビッド・クライドは、
ヒューストンのウェストチェスター高校時代、
148イニングを投げ、自責点3、通算18勝0敗....という
驚異的な投球を見せ、全国的な大旋風を巻き起こした。

ファンやマスコミはクライドを『phenom(天才)』と呼び、
騒ぎ立て、新たなスター誕生に大きな期待を寄せた。

1973年、レンジャーズにドラフト1位指名されたクライド。
当時としては破格の125,000ドルの契約金が支払われ、
晴れてクライドは、プロ野球選手として
その一歩を踏み出した。

話題騒然の黄金ルーキーの登板は金になる....。
チームのオーナー、ボブ・ショートは、
プロ入りしたての18歳を、
即刻メジャーで投げさせる事を指示。

かくして、この年の6月、
デビッド・クライドは、ツインズ戦で
早くもプロ初先発。
5回を1安打8三振、2失点で切り抜け、
あのジム・カットに投げ勝ち、
『phenom』の名にふさわしい
鮮烈なメジャーデビューを飾る。

また、この日は、チーム創立以来最高の観客動員数を記録したという。

.......が、この早すぎるデビューがクライドに悪夢をもたらす事になる。
ろくな準備期間も無くメジャーで登板したクライドは、
その大きすぎる期待に充分に応える事は出来なかった。
デビューイヤーは防御率5.01、4勝8敗。
翌74年も防御率4.38、3勝9敗.....と
無惨な成績に終わったクライドは、
75~77年の3年間、利き腕の故障で、
たった1試合にしか登板出来なかった。

78年、インディアンズにトレード移籍。
防御率4.28、8勝11敗...とまずますの数字をマークするが、
翌79年は故障が再発し防御率5.91、3勝4敗。
その後も登板を果たす事は出来ず、
1981年、26歳の若さで現役を引退した。

通算18勝33敗、防御率4.63。

数年をかけて、マイナーでじっくりステップアップする事が出来ていれば........。

「初登板の時は、18歳の高校生に『開胸手術をしろ』...と言われた気分だったよ。」
後にクライドは語った。

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