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file.078 Yogi BERRA【ヨギ・ベラ】

2006-07-02 | ABC
【本名はローレンス】
Yogi BERRA

ヨギ・ベラは、46年にヤンキースに入団し、47年には
メジャーに定着するのだが、入団前から、その怪異な容貌の所為で
大変な苦労を強いられた。
野球を生業にするべく、格球団のテストを受けるのだが
その非凡な打撃は評価されるも、容姿がマイナスになり
どこの球団からも採用されなかった。
かのブランチ・リッキーでさえ、ベラに対しては
「3Aどまり」との烙印を押した。

それでもヤンキースと契約する事が出来たベラだが
当時の監督バッキー・ハリスから「モンキー」とあだ名され
周囲の笑いの的となっていた。

ハリスからケーシー・ステンゲルに監督が変わるとベラの運命は一転する。
ステンゲルはベラの卓越した才能を完全に見抜き、
同僚やマスコミからベラを守った。そればかりか、インタビューなどで
ベラを褒めまくり、ベラに自信をつけさせた。

以降、ベラはジョー・ディマジオやトミー・ヘンリックから打撃を
アーリー・レイノルズやビッグ・ラーシーら投手陣からは配球術を
ベラの専用コーチとして雇われたビル・ディッキーからは捕手としての全てを
徹底的に教育され、名捕手の地位を揺るぎないものにするのである。

48年、打率.305、14本塁打、98打点、
メジャー3年目で早くも打撃の才能を開花させ、
50年は、打率.322、28本塁打、124打点の好成績。

ジョー・ディマジオが引退し、ミッキー・マントルが入団すると
ロジャー・マリスも含め、強力な中軸打線を形成し
新世代の中心選手として、チームを牽引する。

51年、打率.294、27本塁打、88打点でシーズンMVPを獲得。
53年、打率.296、27本塁打、108打点をマークすると
54年には、打率.307、22本塁打、125打点と
クラッチ・ヒッターぶりが冴え渡り、2度目のシーズンMVPに輝き、
翌55年も、27本塁打、108打点でシーズンMVPに輝いた。

結局、53年から56年まで4年連続で100打点以上を稼ぎ、
当たりまえのように20本以上のホームランを放った。
他球団の監督からは、
「試合の終盤のピンチで最も打席に立って欲しく無い打者」....
と言われる程の、無類の勝負強さを随所に発揮。
強打者にしては珍しく三振が非常に少ない打撃が持ち味であったが、
ロベルト・クレメンテと並ぶ、メジャー史を代表する悪球打ちでもあった。

オールスターにも15回出場し、
また、ヤンキースの10度の世界一におおいに貢献している。

ヨギ・ベラは、そのプレーだけでなく
『ベライズム』と呼ばれるユーモア溢れる名語録が有名で、
中でも『It ain't over till it's over.(負けるまでは負けじゃない)』などは
レニー・クラビッツの曲のタイトルにもなっている程である。