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file.054 Wilie McCOVEY 【ウィリー・マッコビー】

2006-01-16 | MNO
【ストレッチ】
Wilie McCOVEY

今や、SBCパークの名物となった
バリー・ボンズのスプラッシュ・ヒットだが、
打ったボールが着弾する入り江は「マッコビー湾」と呼ばれている。
マッコビー湾、言うまでもなく、サンフランシスコの人気スラッガー、
ウィリー・マッコビーの名をいただいたものである。

59年、サンフランシスコ・ジャイアンツに入団したマッコビーは、
7月にはメジャーへ昇格、4安打を放ち、鮮烈なデビューを飾る。
その後、52試合の出場ながら打率.354、本塁打13の活躍を見せ、
見事新人王を勝ち取った。
出場試合が半分に満たないにも関わらず新人王を獲得した選手は
マッコビー後、いまだ出ていない。

衝撃のデビューイヤーを過ごした割に、その後3年間は
本領を発揮しきれないでいたが、
63年、44本塁打、102打点をマークし
ついにホームランキングに輝いた。
以降、ウィリー・メイズやオーランド・セペダと共に
破壊力抜群の中軸打線を組み、サンフランシスコでは、
メイズに並ぶスター選手になる。
ちなみに、3人で組んだこの強力打線は60年代の10年の内、
7年はこの3人でホームランキングの座を独占したことになる。

65年から70年はマッコビーの実力はピークに達していた
この6年間、実に6年連続の30本塁打、90打点以上をマークし
特に69年は打率.320、45本塁打、126打点で
本塁打・打点の二冠に輝きMVPも受賞する。

70年に39本塁打、126打点の好成績を残したのを最後に
マッコビーは怪我に泣かされるようになる、
その影響もあってか以前の豪打が嘘のように低迷する。
71年以降は30本塁打、100打点いずれもマークする事は出来なかった。
さらにパドレス、アスレチックスへと移籍を繰り返し
76年には82試合でわずか7本塁打しか打てず、引退が囁かれはじめる。

が、77年、古巣ジャイアンツに復帰したマッコビーは、
28本塁打、86打点でカムバック賞を受賞する。

結局80年に引退するが、マッコビーは521本塁打を放ちながら、
実は22シーズンで8度しか規定打席に達していないのである。
もし、健康体を保つ事が出来たならば、盟友メイズの660本は
超えていたかもしれない。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/stats_historical/mlb_player_locator_results.jsp?playerLocator=mccovey