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file.052 Satchel PAIGE【サチェル・ペイジ】

2006-01-09 | PQR
【球史最高のエンターティナー】
Satchel PAIGE

数々の伝説に彩られた史上最高の投手、
それがサチェル・ペイジだ。
通算2000勝、ノーヒット・ノーラン100回以上など、
途方もない夢のような数字がペイジを取り巻いているが、
その数字の真贋など、どうでもいい事である。

ボブ・フェラーは言った
『自分の速球など、ペイジのそれに比べればチェンジアップにすぎない』
ジョー・ディマジオは語った。
『自分の目で見た最高の投手だ。』

この言葉だけで充分ではないだろうか。
サチェル・ペイジこそが人類最強の投手なのである。

20歳の時、ニグロ・リーグの
チャタヌガ・ブラック・アウツに入団したペイジ、
その驚異的なピッチングでたちまちリーグのスター選手になると
人気球団ピッツバーグ・クロフォーズに破格のサラリーで入団する。
このチームには『黒いベーブ・ルース』ジョシュ・ギブソンも在籍しており
ここにベースボール史上最高のバッテリーが誕生する。
ペイジ在籍時のクロフォーズは驚異的な強さを誇り、
その豪速球とギブソンの豪打はチームの看板であった。

その後、球団と揉めたペイジはクロフォーズを抜け、
カンザスシティ・モナークスへ入団、
このモナークス在籍時にはニグロ・ワールド・シリーズで
かつての相棒ジョシュ・ギブソンとも対決。
第二戦ではギブソンに対し、わざと満塁の状況を作って投げ、
見事三球三振に斬って取った。

ペイジがニグロ・リーグで最高のスターたり得た理由は
成績と投球内容が良かった...というだけではない。

前述のようにわざとピンチの場面を演出したり、
外野手無しでゲームを行ったり、
三振予告をし、内外野手を全員ベンチに引っ込ませて投げたり、
試合前の練習ではホームベースの上にマッチ箱を置いて
それをボールで倒したり.......と
ペイジは最高かつ規格外のエンターテイナーだったのである。

ゲームごとに契約し、どこのチームでも投げられる無所属選手となったペイジは、
40年頃から『ペイジ・オールスターズ』を結成、
中南米を始め各地を転戦し、現役メジャーリーガーのオールスターチームをも
たびたび撃破している。
腕を故障して引退の危機を迎えた際には、インディアンの酋長から貰ったという
『ヘビ油』を塗ってもとの豪速球が復活したという。

1947年、コミッショナー、ハッピー・チャンドラーの英断により
黒人選手に対し、メジャーリーグの門戸が開かれた。
その第一号が若きジャッキー・ロビンソンであった事にペイジはショックを受けるが、
翌48年シーズン途中、クリーブランド・インディアンズがペイジとの契約を果たす。
ここに42歳のルーキーが誕生、伝説の投手を一目見ようと球場には8万人もの客が押し寄せた。

ルーキー・イヤー、ペイジは後半戦のみで6勝1敗という成績を残す。
インディアンズ退団後はビル・ベックの誘いを受けセントルイス・ブラウンズに入団、
52年には46歳の高齢ながら12勝をマークし怪物ぶりを見せつけた。
結局メジャーでは28勝31敗という数字を残し引退、数字だけ見れば物足りないかもしれない。
が、サチェル・ペイジがメジャー・リーグのみならず、ベースボールの歴史に残した足跡の前には
数字など何の意味も持たない。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=120181