藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

76回目の原爆忌

2021-08-06 03:49:29 | 日記・エッセイ・コラム

 私が生まれたのは、昭和二十年 四月八日。 生後四か月の幼子は、爆風で畳の上に乗せられて、5m先まで飛ばされたそうである。 母は、偶々井戸端で洗濯中。 頭の上を窓ガラスが通り過ぎて行き助かった。 しかしながら、兄弟の中でただ一人の男の子は、小網町で建物租界の指導中に被爆。 己斐の母の住む家までは逃げ延びたがその後亡くなった。 妻の叔父も、広島のど真ん中、連隊本部で被爆。 遺骨も無い。 広島県の北の端の墓と、西の宮島に程近い、二か所の墓巡りを、これから出かけてまいります。 

コメント (2)
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