藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

人の不幸が感じられない人間

2020-04-25 05:34:20 | 日記・エッセイ・コラム

連日、湘南海岸にサーファーが数百人集まるという。 彼らのやっていることが、いったいどれほど社会に貢献しているのだろうか。 文化が熟成すると、思わぬものが生まれてくる。 サーフィンなどはハワイの文化の一部だったが、その起源を理解して取り組んでいる人間がいかほどいるのだろうか。 私などは、ハワイの文化に暗いので、この国難の時に、サーフィンに興じる人間が理解できない。 その行動により社会的安定が掻き混ぜられることを、彼らは理解しているのだろうか。 その行動を抑えるため、多くの人間と資金がつぎ込まれ、本当に必要なところに、お金が使われにくくなっていることを、感じる力がない人間の行動としか思えない。 今まさに文化の爛熟期。 自由が幅を利かし、なんでも自由という言葉で論破できるという勘違いに陥ってはいまいか。 このコロナの恐ろしさは並ではないことが、二晩かってやっと理解できた気がする。 SARS(重症急性呼吸器症候群)も中国で発症し、世界を震撼させた。 これもコロナウイルスが、元凶である。 そして今回再びコロナウイルスが原因の病気が発生した。 確かにアメリカがいちゃもんをつけたくなる状況はある。 しかし残念ながら、自国民を犠牲にしてまで、中国が病原菌をばら蒔きはしない。 今アメリカは、経済政治の中心地をコロナウイルスで占領されて動きができない状況のようだ。 時代は変わる。 人口の多さと国土の広さ、黄色人種と白人、いろいろな条件の中で、嘗ての、白人の 「神」 God と、 「富」 Gold の追及が、行き詰まりつつある姿がちらほらする。 そのことの焦りが、イギリスのEU脱退であったのではなかろうか。 日本が進むべき道は、真剣に確かな品物を世界に供給することが、生き残る手段であろうことが感じられてきた。 「アベノマスク」がよい例である。

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見かけなくなった「サナトリューム」

2020-04-24 09:12:19 | 日記・エッセイ・コラム

戦後、広島の近郊の海岸や、高原地帯でも温暖な地に多くのサナトリュームが有った。 宮島沿線の日当たりのよい場所に確か四か所、少し山間部に入った「原」と言う村に、又すぐ近郊に。 呉線の沿線にも、と言うほどサナトリュームが点在していたが、今ではそのほとんどが見当たらない。 それだけ結核患者が減ったのかと思ったが、そうでもないそうだ。 薬が開発されて、又手術が進歩したため必要無くなったそうである。 しかしそれでも何れの手当ても効果が無く、療養する以外に治療方法が無い人もあるそうだ。 結核を侮った人が陥るそうである。 ある面コロナににているそうだ。 混雑する処へ出入りする人。 日常生活が不規則な人、パチンコ、麻雀に耽る人‥‥、ある共通点があるそうである。 戦前は、机に噛り付いて勉強し、お日様の恩恵を受けない人がかかる病気だった様だが、現代では節制した生活をしない人や、不衛生な仕事の従事者が十分な防護をしないで作業した場合罹患するそうである。 昭和四十年代には、周りに結核に罹患経験者が多くいたが、近頃はあまり聞かないのは、早期発見出来る事と、BCGや、薬の進歩のお陰で家庭内で療養できるからだそうである。 決して患者の数は減っていないそうだ。 ただ、乳幼児における予防接種の効果は抜群だそうで、感染しても重篤化しないそうである。 嘗て昭和三十四年、広島市近郊で赤痢が大流行した。 全国的にも流行した。 元は山口県の光市が発祥地であるが、瞬く間に広がって、広島近郊の町村はパニック状態になった。 その時、多くあったサナトリュームの病室を転用して患者を隔離したことが有った。 今回のコロナの爆発的蔓延は、その時に似ている気がする。 赤痢の蔓延時は猫が介在した。 野良猫が菌を運んだのだ。 ネズミの駆除をしてくれるので、ついつい野良猫に餌をやっていたことが裏目に出たのだった。 野良猫退治は、保健所の職員が動員されて連日行われた記憶がある。 現在そのような事をやると、保護団体が黙ってはいまい。 しかし、コロナもまた猫に疑いが掛かり始めている。 同じコロナに感染することが判明したからであろう。 猫からの感染が証明されたら‥…、何だか最悪な結果が予想されてきた。 感染経路不明者があまりにも多すぎる。
 ところで、「アベノマスク」は全品回収だそうだ。 郵便料金はだれが払うのだろうか?‥‥。  

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戦後の配給を思い出す

2020-04-23 09:31:07 | 日記・エッセイ・コラム

  食料の無い時代、戦後の配給は貧乏人には救いであった。 しかしながら、何処か「アベノマスク」に似ている気がしてきた。 焚いてもかび臭い外米や、痛みかけたサツマイモを、手帳をもって貰いに行った。 こうゆう仕事は長子の仕事だった。 親は働きに出かけていたからだ。 貰った外米を、幾度も洗って炊いたが、親戚からもらってくる内地米のヤミ米との違いは明らかで、カレーライスで食した記憶がある。 勿論肉抜きだ。 いれてもくず肉。 それでもお腹は満たされたのは確かだ。 「アベノマスク」は、不評を通り越している。 大手商社のいい加減さが手に取るようだ。 こんな時はどんな言い訳もできると踏んで、濡れ手に粟の商売を総理に売り込んだに違いない。 しかも談合で。 入札の公示などどこでも見かけていない。 建設業界で、長く営業していた関係で、暇が有ったら入札関係の公示を閲覧する癖が未だにある。 マスク入札の公示は、見たことが無い。 どさくさ紛れに、総理の御友達で出来上がった、持ち上がった儲け話であろう事がうかがえる。 一人の参議院選挙の裏金に一億五千万円出した安倍総理。 懐が寂しくなってきたので、埋め合わせでも考えたのだろうか。 私の住む町内では、役員の方の発案で、マスク用生地を手に入れて、住人一人当たり二枚の生地を配布された。 簡単な方法で作れるタイプの生地である。 それでも、高齢者で無理な方は、女性軍の応援部隊が、今正に奮闘して縫っている。 「アベノマスク」より、上等な物が出来上がっている。 我が家の奥様も、老眼鏡をかけて只今奮闘中である。

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いちゃもん政治に飽きが来た

2020-04-22 10:30:38 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの、トランプ大統領の政治姿勢を表現するならば「いちゃもん政治」とでも名付けようかと思う。 誰彼構わず「いちゃもん」を付けて批判し、自分を有利にしようとする。 アメリカ始まって以来の汚い政治形態のような気がする。 政治の世界では、確かに駆け引きは存在するが、それは自国の利益を守る為の物で、大統領自身を守るものであった気がしない。 世界最強国家アメリカも、地に落ちたとも言うべきであろう。 確かにアメリカの共和党は、自分勝手な保守党と言われているが、トランプのような、個人の身勝手な政治は初めてでは無かろうか。 世界中がうんざりしている気がしてきた。 此れが続くと、ロシアや中国が、弱小国家の支持を広げて、気が付くとアメリカが孤立と言う事に成って来るのかもしれない。 嘗ては、富の大半がアメリカに存在したが、果たしてそうなのか疑問である。 架空通貨や、有り余る過剰食料を持て余すアメリカが、一度信頼を無くすると、どんな事に成るのだろうか。 運搬方法で不利な中南米の食糧や、東南アジアの農業の近代化が進むと、… なんだかそんな気配がし始めた。 特に近年、食の文化の変化が激しくなってきた。 健康志向による、アメリカ式食文化の否定である。 分厚いステーキより、EPAの多いい魚、体に優しい食の浸透が始まった気がしてならない。 アメリカの牧場主や、大型農業の小麦のダボ付きが、トランプ支持者をイラつかせていることは間違いない。 カルホルニア米等、農薬漬けの米など日本人は誰も食べない。 この傾向はこれからも強くなるだろう。 安ければいいのはアメリカで、体にいいのは日本製の、区別が付けられる世界経済がやって来そうな気がする。

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空の変化

2020-04-21 08:16:50 | 日記・エッセイ・コラム

四月初旬は、冬の寒さから解放された雀が、大きな声で鳴きわめきながら空を飛んでいた。 中旬に成ったら、黒い物体が高速で空を飛び始めた。 いつの間にか雀から燕へと主役の交代が進んでいた。 あちらこちらの残された田んぼが、耕運機の音で喧しくなってきた。 特に先の日曜日は一家総出で田んぼを耕していたようである。 農機具会社が団地の下にあるが、職員がてんてこ舞いしている。 先々週までは何処かぼんやりした職員の姿ばかりだったが、トラックも職員も出入りが激しく、「春が来たどー」と言う感じが伝わって来る。 我が家の庭も、ピーマン三本、トマト三本、それにベランダのプランター四つにパセリの種をまいておいたが、発芽率が良すぎてパセリは間引くのが忍びない状況になっている。 プランターを今二つ買ってきて、移植しようかと思っているところだ。 と言うのも、此のところ私の夕食は、馬鈴薯である。 種芋に近い小さなものを買ってきて、十五分湯がいて、バターとパセリの微塵切りを混ぜ合わせて、電子レンジで三分間加熱すると、これが美味しい事が判ったのだ。 安売りの馬鈴薯がこんなにおいしくいただけるとは‥‥。 すでに十袋は、食べつくしたので、本日から馬鈴薯探しにと出なくてはならなくなった。 アイルランド人が、365日、馬鈴薯で生きてきたそうだが、私も生きてゆける自信が付いた。 バターでホカホカに蒸しあがった馬鈴薯と、パセリの微塵切りの新鮮さが得も言われぬハーモニーを醸し出しているのである。 パセリが新鮮でないと美味しさは半減する。 今は、四株のパセリで何とかしているが、すでに裸状態になりつつある。 種を蒔いたものが、早く大きく成って欲しい物だと、毎夜神様にお祈りしているのだ。 パセリなど75年間こんなに食したことなどなかった。 お皿の隅っこで鎮座していると、邪魔者扱いをしたが、今は違う。 「こよなく愛しておりますパセリさま」。

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