天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

田中角栄

2014-12-10 00:10:24 | 歴史
田中 角栄1918年
(大正7年)5月4日 - 1993年(平成5年)12月16日

「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれ

小学校しか出ていない総理だが、

頭脳明晰で行動力のある政治家だ。

土建屋出身の彼は「三国峠を崩せば新潟に雪は降らなくなり、

崩した土砂で日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればよい」

などと選挙演説したことがあるほど奇抜で桁外れな一面もかねそなえている。

後に囁かれた話で「関越道自動車道は首相官邸から新潟の実家まで一度もウインカーをだすことなく作られた」

このように都市伝説にまでなり人々の話題にのぼる

総理大臣はあとにも先にも彼ぐらいではないだろうか。

彼のようにカリスマ性があり強い人はワンマンのうちは

非常にその手腕を発揮できるのだが、曲がったことをすれば反面脆く繊細である。

日中共同宣言で中国との国交が回復したのだが、



周恩来との一場面である。

周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。

9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。

この際、田中は周恩来から一枚の色紙を渡され喜んでいる写真が新聞に掲載された。

色紙の言葉は「言必信行必果」と書かれてあった。



しかし、この言葉は論語から引用したもので、この言葉のあとに「硜硜然小人哉」と続く。

この記事を見て安岡正篤は、

この言葉の真の意味も知らないで喜んでいる田中を見て、

田中の教養のなさと中国のしたたかさを周りの人にと指摘したと言われる。

諸橋轍次『中国古典名言事典』では、

「その言葉は必ず真実であり、やるべきことは必ずやりとげる。

それは士として持つべき資質だ。

しかしながら、もしそれだけの人だとしたら、人間として小さい」

今となっては田中総理の知識の少さなどどうでもよい。

周恩来が激怒する事件が起きる。迷惑事件だ

田中首相の「わが国が中国国民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、

私は改めて深い反省の念を表明するものであります」

の通訳のミスが後の村山談話へと繋がる布石のような事件が起きてしまう。

論語の小細工からも分かるがある程度シナリオがあったのかもしれない。

確実に言えるのは周恩来は田中を恐れていたと言うこと。

だから尖閣も棚上げし

誰にも解らないようにうわべだけの笑顔で国交だけを正常化したのだ。

何らかの小細工をせねばならない程、田中角栄の力の前には交渉すらままならなかったのだろう

最後に一枚の写真を見ていただきたい。



この田中角栄のふて腐れたような表情が、ずっと気になっていたのだが

明らかに部が悪い感じだ。

小野田さんのほうが4才若い
からなのか?

いや年齢ではない温度差を感じる

二人とも国の為に戦い続けた男であるが、

命をかけて戦い続けた男のオーラにはたとえ総理でさえもかなわない。

一度終戦を迎えた者との温度差であろう。

国民、戦没者遺族への
パフォーマンスの為だけの
会見だったのかもしれない。

後にロッキード事件により逮捕されるのだが

私はこの時の温度差と表情が田中角栄の根底に隙を作り出したのだと確信する。

庭に池を造り錦鯉を飼う

昭和の復興を成し遂げたものはこぞって真似をした

日本列島だけでなく日本人の改造をも成し遂げた人物かもしれない。


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