天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

卜部日記

2016-03-10 13:46:50 | 歴史


この日記は知っていたが富田メモと抱き合わせで新聞社が報じていることから疑念を感じ、敢えてとりあげなかった。

富田メモは関係者が亡くなってから発表されたが、この卜部日記も卜部氏が平成14年に亡くなって5年後の発表だ。

富田メモを改めて否定するにあたり、卜部日記にも少し触れようと思う。

平成19年4月26日朝日新聞は朝刊で、
翌4月27日には読売新聞・毎日新聞・日本経済新聞の主要各紙は朝刊で、

皇室の広報を担当した元侍従の卜部亮吾の日記が公開されたと報じた。


「A級戦犯合祀が直接の原因で天皇は靖国神社参拝を取りやめたという富田メモの事実が、あらためて確認された」とも報じた。

富田メモの信憑性を確定させる為の駄目押しだ。
富田メモは一般には公開出来ない為、その真意のほどが定かではないという意見も多くあった。

その証明としてだされたのが下記の部分だ。

1.『昭和63年4月28日の日記には「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」との記述があった。』


〈奧野発言〉
昭和63年に当時の奥野誠亮国土庁長官の発言
奥野氏は戦前の侵略戦争を否定していて、5月13日に辞任。

「侵略とは、土地を奪い取る。財産を奪い取るという意味が含まれる。当時日本にはそうした意図はなかった」という自論をくりかえし展開
(発言出典:東京新聞2007/5/9朝刊)。


2.『平成13年7月31日の日記には「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」との記述があった。』


3.『平成13年8月15日の日記には「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」との記述があった。』


富田メモは宮内庁長官で卜部日記は侍従である。
厳密に言えば富田メモは徳川侍従長の話のメモで
卜部日記は侍従の日記。

この3つの中では真ん中の記述が問題の富田メモを裏付ける部分だと思うが、「御意に召さず」とは卜部氏の印象であり、富田メモと同じく合祀が御意に召さずなのか、合祀により(社会問題化し)御神拝が再開出来ず御意に召さずなのかは判断出来ない。

したがって富田メモの裏付けではなく、両者昭和天皇の不快感のみの記述であり、それが合祀なのか、合祀が問題化して靖国に行けないことなのかははっきりとしていない。

戦犯合祀、中国批判、奥野発言

かの石原慎太郎の言葉を借りれば
この国はシナと呼べない日本人を量産している。

それは敗戦にかこつけて事もあろうにシナと結託して戦犯をヒトラー化し新聞テレビ文化人が富を独占してきた証なのではないだろうか。

富田メモ、卜部日記まで持ち出して新聞で発表したことは
『我が国にとっての功労者が靖国に合祀され
昭和天皇は不快感を抱き英霊との約束は勅使に任せ中国の内政干渉が気になるから参拝しない。』

許し難い暴挙だ、大捏造.大誤訳である。

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