Comfort Woman(コンフォート ウーマン)は辞書からの直訳であり、歴史を完全無視している為、国際社会では、意味が正確に伝わりません。
あの少女像とSexslave(セックススレイブ)性奴隷から日本軍の慰安婦は
『"20万人"の朝鮮人慰安婦を"軍"が"人身売買"し
"強姦"し"殺害"した。』という"嘘"に尾ひれが付いて日本を貶めるディスカウントジャパンのメインテーマ女性の人権問題となってしまっています。
欧米社会では、兵士を相手に商売をする女性を、「Camp Follower」(キャンプ フォロアー)と呼んでいます。
しかしながら未だに慰安婦=Comfort Womanとして欧米に向け発信することが、この問題の解決の難しさを思い知らされます。
慰安婦に関しての報告書をは次の二つの報告があげられます。その要旨を簡単に確認しながら問題点を探っていきましょう。
マクドゥーガル報告書
(アジア女性基金 訳)---------------------
内容要点は、日本の慰安婦については以下である。
(1) 慰安婦の制度は「奴隷制」であり、慰安所は「強姦収容所」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「性奴隷」である
(2) 日本政府には以下の国家責任がある
日本軍の要請で慰安所を経営したもの、および利益を得た民間人のした行為に責任がある
慰安婦への被害を防止できず加害者を処罰できなかったこと自体に責任がある
被害者個々人が国際法の主体であることを認め、日本政府への賠償請求権を認めた(従来の国家間の国家賠償に関する平和条約は国家間の経済的協定に限定されているので、それらに関係なく被害者の賠償請求権は消滅していない)
日本のアジア女性基金は法的責任に基づくものではないので、新たに賠償を行うべきである
強姦所の設置監督に責任のある政府、軍関係者を訴追し、違法行為を行った(強姦した)兵士個々人も証拠に基づき裁くべきである
1 1932 年から第二次世界大戦が終わるまで、日本政府と日本帝国軍は20 万以上のアジ ア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの性奴隷とした。
(略)
IIレイプセンターの性格と規模
7 (略)これらのセンターで日本軍によって奴隷化された女性たちの多くは11歳から20歳であったが、この女性たちは日本支配下のアジア全域の指定地区に収容され、毎日数回強制的にレイプされ、厳しい肉体的虐待にさらされ、性病をうつされたのである。5) こうした連日の虐待を生き延びた女性はわずか25%にすぎないと言われる。6) 「慰安婦」を確保するために、日本軍は身体的暴力、誘拐、強制、詐欺的手段を用いた。
クマラスワミ報告----------------------
この文書の基礎資料となっているものは、第二次世界大戦終了時の米軍による「慰安婦」等への聞き取り調査、ジョージ・ヒックスの書籍、吉田証言、そしてクマラスワミ自身による韓国・日本の政府関係者と「元慰安婦」本人へのヒアリングである。北朝鮮に関しては北朝鮮関係機関から提供された資料と人権センター代表団の「元慰安婦」への聞き取り調査である。
強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報国会の下で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。
日本政府への勧告
日本軍によって設置された慰安所制度が国際法違反であることを認め、その法的責任をとること
日本軍性奴隷制の被害者個々人(元慰安婦)に対し、原状回復と賠償を行うこと
慰安所について、日本政府が所持するすべての文書の完全な開示
名乗り出た日本軍性奴隷制の女性被害者、個々人に対し書面による公的謝罪をなすこと
歴史的現実を反映するように教育内容を改めること
慰安所への募集及び収容に関与した犯行者をできる限り特定し、かつ処罰すること
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このクマラスワミ報告に対して戦争犯罪の歴史家吉見義明は一部に事実誤認があるがその点を修正すればしっかりした報告書であると評価をしています。
(ただし、後に「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めた
朝日新聞の報道以降、元慰安婦の訴訟、日韓間の政治問題化、教科書問題などに従い慰安婦問題が取り上げられる事となり、
吉見はこれらの動きに応じてその後も慰安婦関係の研究を続け、著作・発言を行っており、慰安婦を利用して金儲けしていることから、吉田清治と変わらぬ匂いを感じます。
あろう事か同報告書には次のような記述があります。
「連行された村の少女たちは非常に若く、大半が14歳から18歳だった」
「1日60人から70人の相手をさせた」、朝鮮人の少女が抗議すると「中隊長ヤマモト」が命令し「彼女を裸にし手足を縛り、釘(くぎ)の突き出た板の上で、釘が彼女の血や肉片で覆われるまで転がし、最後に彼女の首を切り落とした」。
これは元慰安婦チョン・オクスン氏の証言だが、彼女はもう一人の「ヤマモト」もこう言ったと主張する。
「お前ら全員を殺すのは、犬を殺すより簡単だ」「朝鮮人女が泣いているのは食べていないからだ。この人間の肉を煮て食わせてやれ」
性病の拡散防止のため「殺菌消毒」として「少女の局部に熱した鉄の棒を突っ込んだ」「少女の半数以上が殺害された」とも語っています。
このようにオーラルヒストリーで歴史を色付けしていくことの危険性は被害国の意のままに脚色され案の定二つの報告書に色濃く反映されてしまいました。
慰安婦問題は軍国主義を反省、否定し利用しようとした吉田清治の嘘に植村記者、朝日新聞と反日国が共鳴して膨れ上がったのです。
吉見氏以外の秦氏などの歴史家は否定はしていますが批判ともとれるソフトなものに留まります。
この問題が女性の人権問題として国連の女子差別撤廃委員会で現日本政府に暗い影を落としています。
これに対する日本の弁明の為外務省に働きかけた二人の日本人が山本優実子氏と杉田水脈氏なのです。
旧日本軍の中にも軍法会議とともに軍紀の維持を達成するための機関として、軍隊内には警察機関(憲兵)や検察機関(法務士官)、軍事刑務所・矯正機関といった一連の刑事機構・司法機関が設けられていました。
その犯罪と処罰内容も下記のように厳しいものでした。
《叛乱》組織・制度を破壊するため武器を使用す
ること 集団の首魁
《辱職》責任を果たさず降伏すること。
正当な理由なく艦船を放棄すること
《抗命》上官に対する反抗、不服従 敵前では
《暴行脅迫 》哨兵、上官を脅し暴力を加えること 敵前で武器使用の場合
《逃亡》戦線離脱、利敵行為 敵前は
《軍用物損壊》武器・機材などの故意による破壊
は死刑
《掠奪》対価を払わず民間人の財物私有物を奪う
こと他に凌辱、強姦等
凌辱は無期懲役
《俘虜》捕虜の隠匿・逃亡幇助 懲役10年
《違令》虚偽発言、規律違反、造言飛語
政治言動や文書配布 懲役・禁固 5年
日本軍に慰安所を設置したのは岡村寧次陸軍大将のその部分の回想があります。
『昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。』
『昭和十四年以後はこうした犯罪は漸く減少した。二、三年後は中国南北戦線を通じ激減したが、その最大の原因は軍紀刷新努力の結果と言わんよりも、寧ろ下士官兵の素質が老兵は殆んど皆無となり、現役兵と若年補充兵のみとなったからであろう。後者は未だ社会の悪習に染まずに出動したからであろう、と私は思ったことである。』
強姦に関しては幾ら厳しい軍紀といえども根絶するのは不可能だったのでしょう。そして親告罪です、他国の強姦はその為に殺害されます。女性の人権、民間人の命が勝つ為に軽視される、これが戦争の実態です。
謂わば慰安所は戦地の治安維持と強姦、性病を防ぐために軍が設置しています。女性の人権、人身を守るために作られ、機能していたのです。
これを踏まえずに慰安所を女性の人権だけに特化した「レイプセンター」とする恣意的な表現は旧日本軍どころかその矛先は現日本政府と日本人に向けられているだけでなく、日本国内の反日勢力として国連に巣食い女性であるにもかかわらずこれに対抗しようとする杉田、山本両氏を抑え込もうとしているのです。
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