天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

第17代将軍 徳川 義寛

2017-11-29 11:14:06 | 時事
⁈⁇⁇⁈



こんな将軍いたっけ⁉️と驚きのことと思う。
歴史を選択もしくは興味を持って学んだ方なら徳川幕府265年間将軍は15代徳川慶喜までと直ぐに気づくであろう。

そうである、写真はその徳川 慶喜(よしのぶ)であり、江戸幕府第15代征夷大将軍で江戸幕府最後の将軍かつ日本史上最後の征夷大将軍である。

歴史に「もし」はナンセンスであるが、「世が世なら」ぐらいは勘弁いただきたい。まさに江戸幕府が続いていれば、この徳川義寛(よしひろ)氏は何代かはさておき将軍となる可能性があった人物である。

義寛氏は尾張藩主徳川慶勝の孫であり、徳川義恕の長男として生まれた。マニア程江戸幕府に詳しい人なら尾張藩からは将軍は一人も出ていないはずと叱られそうだが、本題とズレるのでこの辺でやめておこう。

彼自身の役がある程映画で演じられ、『日本のいちばん長い日』の宮城事件に於いて侍従として登場する。終戦の詔の録音盤を日本兵に殴られながらも命がけで守ったことは有名なエピソードである。

まさか明治維新の新政府を怨んではいまいが、この時殴られた兵士が戦後詫びに来たようだが、生涯許す事はなかったようだ。つまり、旧日本軍への開戦とその終わり方まで個人的なルサンチマンがあったことは間違いない。

そこで富田メモの一節

『前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ』

如何だろうか溜飲が下がる。










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