以下は橋下徹氏の靖国論の核となる論旨である。
『A級戦犯の合祀は、日本にとって当然のことかもしれないが、悔しいが敗戦国として中国に大いに突っ込まれる余地を残し、現に天皇も首相も参拝できなくなった。国家の英霊を祀る施設は国立にすべきだ。そして現実の政治を考えれば、理屈はどうであれ、A級戦犯を分祀すべきだ。そして天皇と首相に参拝いただく。分祀したのに中国に文句を言われれば突っぱねればいい』この橋下の論旨が如何にクソかと言えば、合祀を中国に突っ込まれる余地としたその舌の根の乾かぬうちに分祀して文句を言われれば突っぱねるとしているところだ。
なら最初から内政干渉と突っ撥ねろと言いたくなる。つまり橋下の言いたいことは赤字の部分だけなのだ。
分祀論だが、今では天皇陛下の御親拝や首相の参拝が行われない問題の原因が合祀にあることを暗に示唆するためだけに造語された言葉との認識がほぼ確である。
つまり橋下は御親拝中断と首相参拝が出来ない原因が戦犯合祀にあるとする靖国悪玉論
を未だに唱え固定化しようとしている。
では本当の中断原因は何か、それは他ならぬこの靖国悪玉論なのである。
この微妙な違いがお分かりいただけるであろうか、要するに
戦犯が悪いのではなく、それを合祀した靖国が悪いというレトリックがこれまた分祀論と戦犯を分ければ良いとする全く間違った対処法へとミスリードしているのが靖国問題の本質なのである。
大戦の総括が出来なかった日本人は戦争責任を軍部という実態が無いものをスケープゴートとして棚上げしたのである。これが靖国悪玉論へと変質している。
要するに分祀論は戦争責任を靖国だけに押し付ける兎に角クソ論でしかないのである。
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