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雪の積もった環濠から函館山を望む、志海苔館跡の夕景
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光芒が雲に流れ息吹きのように見えます
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四角く巡らされた環濠は、海風も避けて住みやすい環境になっています
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そんな志海苔館は、室町時代にコシャマインの乱で滅びます
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志海苔館跡近くから5トンの古銭の亀が見つかり銭亀村と呼ばれていました
前漢の時代から明の時代までの古銭があり栄華が偲ばれます
そんな志海苔館の函館空港滑走路北側には、蝦夷松山や雁皮山が重なって見え
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もう少し東に進むと、山が一直線になり縄文前期に三内丸山規模の縄文遺跡の有った場所になります
この地に住む人は、アイヌの部族に属する人も志海苔館に属する人も住んでいて
不平等な貿易を押しつける人に、蜂起し立ち上がった
北海道の名を付けた松浦武四郎は、「北加伊道」
「加伊」は、アイヌの人々がお互いを呼び合う「カイノー」が由来で、「人間」という
「北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味
縄文は糸魚川から翡翠を運び交易し
旧石器は沿海州まで黒曜石細石刃を交流した人の住む土地
和人、アイヌの名称にとらわれず
不合理な金銭を取り立てる権力者には、蜂起したいですね
おはようございます!
志海苔館跡の夕景
綺麗ですねぇ。
ここに昔人がいたなんてロマンを感じますね☺️☺️
古へより、海の幸を採り、商いをした暮らしの跡です。
明治の頃から荒れ果てた跡を整備した記念碑もあり、
今は、7月に石崎地主海神社が慰霊祭を行い、草刈りもされます。
散歩がてらに立ち寄るのも良いですよ。