秋分の日の個展では、捧誠会の総裁に色々お声かけしていただいて大変お世話になりました。
お礼参りに、伊豆城ケ島にある蓮着寺に参拝いたしました。
なぜ蓮着寺なのかは天皇、神道、仏、著名人を紹介している
諸世紀からの伝説
先人達の足跡を求めて
霊的解放の時代を開拓する
進化道
その中に出居清太郎氏の生きた姿と日蓮との繋がりが書かれていますので紹介します。
出居清太郎先生はとても一教団の教祖として収まっている人物ではない。 皆が学ぶべき優れた霊人だった。吉田茂とも大磯で昭和33年11月7 日にあってい る。別に政治家に会った所でどうと云うことはないが吉田が評価していた事は事実である。吉田茂は日本の政治家のなかでチャーチルより優れていると浅野晃先生はいっていた。出居清太郎のようなタイプは殆ど見当たらない。戦前何回も平和を訴えて捕まり刑務所にはいっている。私は講演を何回か聞きに本部に行っ た。日本語が言霊の言語であることを霊的にキャッチした彼の教えは音が波長として同音ならば通ずる意味がそこにあるという、特に日本語は其言霊が含まれている言語だということを霊的に解明してきた霊人である。日本語はそういう不思議な言語であることは言霊のさきはう国と昔から言われている所以である。出居 清太郎先生はそのことを霊的に示した日本で最初の人間である。日本語が将来霊的時代に霊を研究するのに一番ふさはしく、他の言語では分らぬ言霊と言ふ世界により、霊とは何かを知る上で一番強力な言語であることを示した天才である。しかも神の声を取り次ぐということで何回も平和を訴えて捕まった人でもある。 他の教団は政府の弾圧を不敬罪とかで受けた迄で全然その様な積極的な人はいない。此処に彼の大物たる所以がある。確に大きい人物である。
②出居清太郎と日蓮聖人
『あるとき私はある教団に呼ばれました。
「お話をしてください」
ということでしたから、喜んでまいりましたところがそれは口実であつて、一室にとじこめられると忽ち3、4人の壮漢が現われ、殴る蹴るの暴力の嵐にまきこまれました。理由は
「信者どろぼう」
だというのです。そうしているうちに、こんどは抜きみ の日本刀をひっさげた壮漢が現われました。
「いよいよ、ここで殺される…!」
と思い、そしてまた
「殺されてもよい」
と覚悟がきまったとたんに、壮漢のふりあげた日本刀が電灯の光をうけてピカリとひらめき──その瞬間に、竜の口の首の座になおられる日蓮聖人のお姿がすーっと目の前にみえ、私の口ーからおのずか ら、
─えーほー……。
という大きな叫びがつづいて三たび飛びだし、刀をもっていた壮漢は電撃をうけたように、その場にバッタリと倒れてしまつたのであります。
…このときとつさの間に聖人の霊との出会いになったのであります。…
私の目に映った聖人のお姿は強く正しく、まことに毅然たるものでありました。それから、しばらくの間、この聖人の姿が目の前から消えません、そうして、日一日と、聖人へのあこがれが強くなるばかりでありました。』
(太極のひびきP19-21出居清太郎著)
此処に日蓮聖人が教団とは関係なく日蓮を慕うひとを守っていることが示されている。慕う心は霊界に通ずるのだ。元々出居先生は日蓮聖人の生き方に学び自らもをその様な戦いをされ、日蓮崎で受けた天啓を政府に「謹告文」として提出するのです。その内容は全く正しい神の声である。その結果刑務所くらしになるが、その様な戦いを繰り返して、刑務所に行ったりきたりの人生を生きた人が、勇気のあるひとが居たことに、私は日本の伝統の中に日蓮の様な抵抗の精神、真 理の戦いに生きる、真理を述べることにより死をも辞さないと云ふ伝統があることを知るのである。吉田茂も捕まった事のある人だったから、出居清太郎との会談は肝胆愛照すものだったろう。日本には叛逆のカリスマ・日蓮がいた。明治維新の時には吉田松陰がいた。日蓮聖人は出居清太郎の戦いを守護していた。私が 教団を調べる為行っていたころ、出居先生は5,6代前の過去世が直ぐ見えるそうだ、と言っていた。霊化の度合いが色々あるのである。分る範囲が違うのである。
日蓮の俎岩に目をかせば日本の危機を教え示さる
日蓮の足をとどめた俎はよろずの人の教科書なりけり
③出居清太郎の特異点
出居清太郎は日本の誇りである。この方は日本で唯独り治安維持法の中に死刑が加えられた時に を出している。反戦平和を明確に打ち出した唯一の人である。そんな事をした人は居ない。「友よ、そういう叫びはよそう」とヘッセが平和を訴えたことが、彼の偉大さを示しているようにそう云ふ呼びかけをしたことが偉大なのである。誰もいない。出来ないことであった。クリスチャンの賀川豊彦も出来なかった。満州事変の続く時ガンディに会った賀川は聞いた。
「わたしは、もしあなたがわたしの立場にいたら、どうされるだろうか、それをうかがいしたい」
ガンディは言った。
「自分の異端をはっきり述べ、そして撃たれるでしょう。あなたの死をとおして日本を生かしめることを望みます。しかし、このためには内面的な信念がひつようです。」
「しかし、友人たちがそれを思いとどまるように求めている。」
「友だちのいうことを聞いてはならない。私が牢獄へ行く決意をしたときにも、同じような訴えがあった。私は友達の言う事を聞かなかった。」
(ガンジーp212坂本徳松著、清水書院)
賀川は何の発言も出来なかった。其れぐらい困難なことだった。皆どの教団も同じだった。そう云ふことを訴え刑務所に入った人は出居清太郎以外いない。宗教弾圧は皆不敬罪とかで潰されただけであり、出居清太郎のように発言したわけではなかった。此処に日本の良心があった。ロマン・ロランやヘッセが偉大だったように其れに劣らぬ人が日本に居た。獄死などが自慢なのではない。何故に捕まったのかが大事なのだ。「共産主義者」「大本教」「人の道教団」「創価学会」への弾圧で多くの人が獄死した。此れは大体が不敬罪にあつた。刑務所に入ることに何の価値があろう。死んだことに何の価値があろう。兵士も自爆テロも特攻隊も殉教者も皆命を懸けている。任侠道でも命を皆捨てている。学生運動の時皆務所に入っていた。連合赤軍などは皆死んでいった。偉いと云っても其れは自由であるが、イエスは幸いなるかな、平和ならしむる者、その人は神の子と称へられんと言ったのだ。神の声である平和を命懸けで訴えたことに価値があるのだ。神の子、出居清太郎の気高い輝きはそこにある。
日蓮が提出した立正安国論は、無名の一界の僧が時の権力者に「大地震、暴風雨洪水による飢饉、疫病の流行で屍が累々としている原因は、権力者が正法を信仰しないからだ。」
と直訴し元寇をも予言したたもの。
出居清太郎氏の「謹告文」は、「太平洋戦争が始まると、日本国民が地獄に落ち入ると云う命の親からのお諭」
敗戦に傾く15年前の昭和3年田中義一総理に直訴したもの。
それは、太極である一なる命の親から全てが産まれているという理
万霊万物尊愛を捧げる捧誠会の理と繋がります。
城ケ島を訪ねた時、蓮着寺の力強い石からその力強い意思を
感じ取りました。
宮沢賢治が童話を通して法華経の正法を伝えようとしたように
山や川、大地そこに住む万霊万物が一なる命の親に結ばれていること
春季祖霊祭で山の神の訪れに感謝し
秋季節祖霊祭で山の神のお帰りを祀る
昔の日本の心を大切にする意思が今求められている
言霊のさきはふ国が産まれるためには
宇宙観や物理がなければ産まれぬ不思議
全てが、一なる命の親から産まれつつあるることにより心と宇宙、物理が結ばれた古への神秘
心の持ちようが現象として現れる
史上最大級のハリケーン「パトリシア(Patricia)」が一日で熱帯低気圧
その変化は何か囁いている。