佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

遅い。

2008年04月15日 22時27分45秒 | ニュース
  
 報道するのが遅いと思うんですよね。
制度の善し悪しは勿論あれど、
今報道してどうするんだと。
「自戒」と古館氏は言ってましたが、
本当にそうだと思います。
 
 あと、誰が今の方向を決めたのか。
選挙は人柄でも人気でもない。
誰に投票するとどうなるのか、
自分の生活がどういう方向へ向かうのか、
投票の時点でもっと深く考えないといけないと思うんですね。
郵政民営化が良い悪いじゃないんです。
 郵政民営化をするという「方向性」が、
全体としてどういう方向性に向かっているものなのか、
他の分野はどういう風になるのか、
そこを考えることが大事だと思うんです。
うーん政治ネタ。。。 
 


山口母子殺害事件に思う

2006年06月21日 00時10分21秒 | ニュース

 

 今日は書こうと思っていたことを変更して、

ちょっと真面目な話を。

 

 

 

 このブログでは、政治、経済、社会情勢とかのネタは

書かないようにしていたのですが

(知識が足りないということが一番ですし、このブログの趣旨に

沿わないかなと思っていたので。

昔よりはむしろニュースは見ています)、

少しだけ表題の件について触れたいと思います。

 

 

 今日、最高裁は、高裁への差し戻し判決を下しました。

「極刑を避ける理由がない」という内容の判決も述べられていました。

 

 

 僕は、実は、死刑という刑罰に対して、

以前、心持ち反対の立場を取っていました。

別に誰に話したこともありませんが。

それには深い理由はありませんでした。

刑罰とはいえ、法律とはいえ、

人が人を殺すということを認めて良いのだろうか、

そう思っていたからです。

被害者や加害者の人権とか少年法とか、

そこまで踏み込んで考えていたわけではないです。

 

 

 しかし、まさにこの事件をきっかけに、

というか、被害者遺族である本村さんの話を聞き、

死刑について、上記から少し考えが揺らいでいました。

 

 

 本村さんは今日も取材を受けていましたが、

事件当初より、考えや気持ちが整理されたように感じました。

それは、おそらく、突然妻と娘を殺害されて、

その事件と、いろいろなことに、

正面から向き合わざるを得なかったからだと思います。

 

 本村さんは今日のTV出演で、

「思っている気持ちをなるべくそのまま出すようにしてきた。」

と語っていました。

それが、社会からの批判を浴びることもあったようですが、

それは、正に、これまで事件の被害者が語らなかった、

否、語る場所がなかったから語れなかった被害者の正直な気持ちを

彼が代弁していた、そうとも捉えられると思います。

 

 

 法律や判例に詳しくない自分なので、

そういった話には踏み込みませんが、

最近、こういう事件を目にするたびに、

昔よりニュースを見るからだと思いますが、

以前よりも、

「自分がその当事者だったら」

という観点で考えることが多くなったと思います。

歳を取ったからでしょうか。分かりませんが。

 

 今の社会情勢や、メディアの力が強い今日、

メディアの流す情報を読み取るためには、

「想像力」が大事だと、思っています。

 

 自分自身が同じ立場に立たない以上、

その人の気持ちは分からないわけです。

であれば、人は想像するしかないのです。

それが、今の世の中や子供らに必要なことだと思います。

 

 

 「死と向き合うことで自分の犯した罪を反省し、

その上で死刑という刑罰を受けて欲しい」

本村さんの望みは上記のようなことだと思います。

 

 

 死刑の是非については、今後両者の立場の本などを読んで、

もう少し勉強したいと思っていますが、

ここで思ったのは、

「死ということに正面から向き合わないと

反省できないことがあるのではないか」

ということです。

これは正に本村さんの求めていることなのですが、

命を奪われるということを本当に実感するには、

極刑という選択肢が必要なのかもしれない、

そんなことを少し思ったわけです。

 

 

 今回の事件については、

あまりにも利己的な犯行であり、

そこに想像力など存在していなかったと思います。

被告が友人に宛てて書いた手紙には、

被告の本音が表れていたと思います。

 

 

 彼が本当に「人を殺めたこと」を反省するには、

彼自身の内発的なものではなく、

極刑という外発的な要素を持ってしないと出来ないのではないか。

現実として、そういう現実があるのではないか。

本村さんの発言やこの事件の報道から、

そんなことを感じていました。

 

 正直言うと、それは同じ人として悲しいことです。

そうまでしないと反省できない人間がいる。そういう現実。

 

 

 自分が事件の被害者になること、

最近の社会情勢を見ていると、

必ずしも遠いこととは思えません。

強い者が弱い者に、

弱い者がより弱い者に手をかける現実。

あくまで主観ですが、

今の社会や政治の流れと一致しているように感じてしまいます。

もちろん、それは社会や政治が悪いのではなく、

あくまで、手をかけた本人が悪いのは当然ですが。

 

 

 自分の親や兄弟が事件に遭ったら、

自分がもし結婚して妻や子供が事件に遭ったら。

自分はどうなってしまうのだろう。

 

 自分は「想像力」を持ち続けたい。

人間の(自分の)弱い心と向き合っていかないといけない。

そう思います。

 

「自分は犯罪を犯さない」

「自分は被害者になんかならない」

 

そのどちらもが、思い上がりなのかもしれません。

 

 

 話があちこちへ逸れましたが、

色々考えさせられる事件だと思います。

そして差し戻しになった事実を受け止め、

この事件のこれからの行方に、

目を背けず向き合わないといけないと思います。

ただ、日本の裁判は長すぎる。

十分な審理が行われたうえで、

早く判決が下ることを願いたいと思います。