社会断想

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中高年者・定年退職者向け

Kid英語は必要か?

2005年10月15日 16時12分08秒 | 社会断層
Kid英語は必要か?
小学校で英語が正規科目になるようである。
英語教育の低学年化については前々から議論されており、賛否両論ががあることは特に目新しいことではない。
賛成論者の主張の主なものは「ますます進展する英語の国際標準化に対して日本人の英語力は弱い、世界的に見てTEOICの成績順位は下から数えた方が早い。従って子供の時から英語に親しませるべきだ」対して反対論者は「幼年期から英語を教えるよりもまず母国語である日本語をキチンと教え、日本語による論理思考、表現力を確立させるべきである、その能力は12才ぐらいまでに一応確立する。従って現在の中学校から始めることは合理的である」というものである。
小生も英語の達者な日本人のしゃべりを聞いたり、外国育ちの日本人の(或いは日本育ちの外国人)バイリンガル振り、自由闊達な外国語と日本語の往復を見聞するにつけ、羨望の念を禁じ得ないのである。
さて幼年期からの英語教育について貴公の意見はと問われるとウーンと考え込まざるを得ない。がしかしである。小生は身近にヒントになるような存在がいる。
それは今メキシコ(スペイン語圏)に住んでいる孫娘である。彼女は生後8ヶ月は小生達(我が夫婦と長女と彼女)と共に生活し、一足先にメキシコに帰り、その地の大学に教職に就いた父親(メキシコ人)を追ってメキシコに移り住んだ。
その時我が夫婦の心配は孫娘の言語発達を心配したものである。大きくなって日本語が話せなくなり、可愛い孫とコミュニケーションが取れなくなるのではなかろうか?
もしそういうことになれば悲しいなーというのが偽らざる気持ちであった。
だが杞憂であった。家庭内では母親は意識して日本語で話し、父親はスペイン語で話しかけるという環境を作ったのである。幼稚園、小学校および中学校と日本メキシコ合弁の学校で学んでいるが、日本語の話す、聞くには不自由していない様子である。
その間、我が夫婦のもとで数回一ヶ月程度暮らしてきた。
その間はもっぱら祖母(我が家内)とおしゃべりをすることが多く、案外これが日本語の話す、聞く能力にも大きく役立っているのではなかろうか。
このような環境は万人向けの話ではないが、ヒントはある。
つまり、小学生低学年の英語教育は「ネイティブの発音を聞かせ、耳を英語リズムに慣らさせる。簡単な基本単語を発音させ顔の筋肉を英語の発音に対応できる柔軟さを持たせる」以上が小生のヒントであるが、果たして最重要と小生が考えるネイティブ環境が全国津々浦々の小学校で用意出来るのだろうか?
ネイティブの発音にほど遠い発音しかできない先生に教わるのなら、むしろ百害あって一利なしの結果になりかねないと心配するのである。