「英語コンプレックス脱出」を読んで
中島義道氏(電気通信大学教授)の「英語コンプレックス脱出」を読んだ。
たまたま この題名を見掛け興味をひかれた。著者が母校の教授であることと、何を隠そう私自身も「英語コンプレックス」の固まりで長いこと悩んできたからである。
かと云って、E-Mailの遣り取りを除いては年中英語で会話をするわけではない。
ただ時時 Face to faceで外人さんに接するすることがあり、それもビジネスと直接関係なく、つまり単なる観光地に案内する程度のことなのだが。
例えば鎌倉を案内するとしよう。一通りの歴史知識があっても、どうも旨く説明できない。駆け込み寺の東慶寺 の話なんどは夫婦者の外人さんにはとても興味深いだろうと思うし、これから話が大いに盛り上がるだろう。だが残念ながら旨く説明できず不得要領な顔をされると中途半端に引き下がらざるを得ない。後で考えるとストーリーを小さく刻んで(つまり文章を短くし)繋げていけば理解して貰えると思うのだが後の祭りである。
語学力の無さは止むを得ないとしても障碍は英語コンプレックスなのだ。
いまから50年余前、電通大に入学した当時、英語の担当はY教授とW助教授であった。当時の同級生は英語力は劣っていたと思う。敗戦直後のことで戦争中の学徒動員や外地からの引き上げ等で中学1,2年(当時の旧制中学)の英語学習の大事な入り口で授業を受けられなかった学生が多かったと思う。言い訳にはならないだろうが。
そんな学生たちにY教授とW助教授の対応はかなり違ったものがあった。
Y教授は最初の授業のときシェイクスピアのハムレットの一節「To be or not to be ,that is a question........」を1ページ分を暗唱出来ることを我々に課したのである。えーと非難の声を挙げる我々に理由を説明してくれた。
それは「諸君は将来必ず外人とのパーティの席に呼ばれることがある。そうゆう世の中になる。その時英語力の無さのためにただ黙っていたのでは馬鹿か低脳と思われる。馬鹿か低脳でないことを示すために挨拶代わりにこのシェイクスピアの一節を空で朗読しなさい。それは外人が歌舞伎の有名な台詞の一節を日本語で朗読したら並み居る日本人はビックリするだろうしその外人に敬意を惜しまないだろう。それと同じことだ」というものであった。友人の一人は遙か後年イギリス出張中にY教授の想定したような場面に遭遇したとき、思い切って「To be or not to be....」をやり、拍手喝采を得たそうである。
一方W助教授は「英語力の無さは教養の無さである」と決めつけたふしがある。
授業の節々にその態度や発言があり、学生たちを白けさせたものである。
卒業後ウン十年経った今も同窓会などでY教授の想い出は好意的に偲ばれている。
この当時の学生のほとんどは英語コンプレックスを大なり小なり持っていたと思う。
日常ビジネスで英語を使わざるを得ない職場に勤務した人ほどコンプレックスは大きく、必要でない人ほどコンプレックスは小さかったと私は思う。
語学では第一級の達人であろう中島先生の「英語コンプレックス脱出」を読んで正直救われた気持ちになった。
中島義道氏(電気通信大学教授)の「英語コンプレックス脱出」を読んだ。
たまたま この題名を見掛け興味をひかれた。著者が母校の教授であることと、何を隠そう私自身も「英語コンプレックス」の固まりで長いこと悩んできたからである。
かと云って、E-Mailの遣り取りを除いては年中英語で会話をするわけではない。
ただ時時 Face to faceで外人さんに接するすることがあり、それもビジネスと直接関係なく、つまり単なる観光地に案内する程度のことなのだが。
例えば鎌倉を案内するとしよう。一通りの歴史知識があっても、どうも旨く説明できない。駆け込み寺の東慶寺 の話なんどは夫婦者の外人さんにはとても興味深いだろうと思うし、これから話が大いに盛り上がるだろう。だが残念ながら旨く説明できず不得要領な顔をされると中途半端に引き下がらざるを得ない。後で考えるとストーリーを小さく刻んで(つまり文章を短くし)繋げていけば理解して貰えると思うのだが後の祭りである。
語学力の無さは止むを得ないとしても障碍は英語コンプレックスなのだ。
いまから50年余前、電通大に入学した当時、英語の担当はY教授とW助教授であった。当時の同級生は英語力は劣っていたと思う。敗戦直後のことで戦争中の学徒動員や外地からの引き上げ等で中学1,2年(当時の旧制中学)の英語学習の大事な入り口で授業を受けられなかった学生が多かったと思う。言い訳にはならないだろうが。
そんな学生たちにY教授とW助教授の対応はかなり違ったものがあった。
Y教授は最初の授業のときシェイクスピアのハムレットの一節「To be or not to be ,that is a question........」を1ページ分を暗唱出来ることを我々に課したのである。えーと非難の声を挙げる我々に理由を説明してくれた。
それは「諸君は将来必ず外人とのパーティの席に呼ばれることがある。そうゆう世の中になる。その時英語力の無さのためにただ黙っていたのでは馬鹿か低脳と思われる。馬鹿か低脳でないことを示すために挨拶代わりにこのシェイクスピアの一節を空で朗読しなさい。それは外人が歌舞伎の有名な台詞の一節を日本語で朗読したら並み居る日本人はビックリするだろうしその外人に敬意を惜しまないだろう。それと同じことだ」というものであった。友人の一人は遙か後年イギリス出張中にY教授の想定したような場面に遭遇したとき、思い切って「To be or not to be....」をやり、拍手喝采を得たそうである。
一方W助教授は「英語力の無さは教養の無さである」と決めつけたふしがある。
授業の節々にその態度や発言があり、学生たちを白けさせたものである。
卒業後ウン十年経った今も同窓会などでY教授の想い出は好意的に偲ばれている。
この当時の学生のほとんどは英語コンプレックスを大なり小なり持っていたと思う。
日常ビジネスで英語を使わざるを得ない職場に勤務した人ほどコンプレックスは大きく、必要でない人ほどコンプレックスは小さかったと私は思う。
語学では第一級の達人であろう中島先生の「英語コンプレックス脱出」を読んで正直救われた気持ちになった。