「研究」と「教育」を一括りにして議論するな
8月11日の読売新聞のコラム論点に愛媛大学準教授佐藤浩章氏の論述があった。
要点は大学教育において教員にも資格制度が必要であるというものである。幼小中高の先生には資格即ち教員免許が必要であるが大学では、現行それは必要とされていない。
大学の先生にも必要だという論旨である。また「良き研究者は良き教育者である」と云う大学教員もいるが果たしてそうだろうかと疑問を呈している。
大学における「研究と教育」は大学の使命の両輪であることは論を待たないが、大学にまつわる論議において「研究」と「教育」の各職能が一緒くた、一括りの形で議論されているように思える。一人の教員が両職能を兼務しているのが今の大学では普通なのだろうがその職能部分にはオーバーラップ部分と峻別されるべきユニーク部分があると思うのは門外漢の素人考えだろうか?
大学の先生にもいろいろあって大雑把にパタナイズすると●研究と学生に対する教育指導がうまく調和している ●自身のの研究に注力するあまり学生に対する教育が不十分になる●教育即授業に熱心であるが研究に時間を割けない、或いは割かない 等等である。
もっとも担当する科目(たとえば専門基礎科目)、受け持つ学生の年次(たとえば学部、博士前、後期)によってもいろいろだろうが、卒業生の大半を受け入れるのは産業界、企業であり、その求める人材像は専門基礎の教育をしっかり受けており、入社後の配属部門で応用力を発揮出来る人であろう。
8月11日の読売新聞のコラム論点に愛媛大学準教授佐藤浩章氏の論述があった。
要点は大学教育において教員にも資格制度が必要であるというものである。幼小中高の先生には資格即ち教員免許が必要であるが大学では、現行それは必要とされていない。
大学の先生にも必要だという論旨である。また「良き研究者は良き教育者である」と云う大学教員もいるが果たしてそうだろうかと疑問を呈している。
大学における「研究と教育」は大学の使命の両輪であることは論を待たないが、大学にまつわる論議において「研究」と「教育」の各職能が一緒くた、一括りの形で議論されているように思える。一人の教員が両職能を兼務しているのが今の大学では普通なのだろうがその職能部分にはオーバーラップ部分と峻別されるべきユニーク部分があると思うのは門外漢の素人考えだろうか?
大学の先生にもいろいろあって大雑把にパタナイズすると●研究と学生に対する教育指導がうまく調和している ●自身のの研究に注力するあまり学生に対する教育が不十分になる●教育即授業に熱心であるが研究に時間を割けない、或いは割かない 等等である。
もっとも担当する科目(たとえば専門基礎科目)、受け持つ学生の年次(たとえば学部、博士前、後期)によってもいろいろだろうが、卒業生の大半を受け入れるのは産業界、企業であり、その求める人材像は専門基礎の教育をしっかり受けており、入社後の配属部門で応用力を発揮出来る人であろう。