goo blog サービス終了のお知らせ 

社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

「研究」と「教育」を一括りにして議論するな

2010年08月11日 16時09分43秒 | 社会断層
「研究」と「教育」を一括りにして議論するな

8月11日の読売新聞のコラム論点に愛媛大学準教授佐藤浩章氏の論述があった。
要点は大学教育において教員にも資格制度が必要であるというものである。幼小中高の先生には資格即ち教員免許が必要であるが大学では、現行それは必要とされていない。
大学の先生にも必要だという論旨である。また「良き研究者は良き教育者である」と云う大学教員もいるが果たしてそうだろうかと疑問を呈している。
大学における「研究と教育」は大学の使命の両輪であることは論を待たないが、大学にまつわる論議において「研究」と「教育」の各職能が一緒くた、一括りの形で議論されているように思える。一人の教員が両職能を兼務しているのが今の大学では普通なのだろうがその職能部分にはオーバーラップ部分と峻別されるべきユニーク部分があると思うのは門外漢の素人考えだろうか?
大学の先生にもいろいろあって大雑把にパタナイズすると●研究と学生に対する教育指導がうまく調和している ●自身のの研究に注力するあまり学生に対する教育が不十分になる●教育即授業に熱心であるが研究に時間を割けない、或いは割かない 等等である。
もっとも担当する科目(たとえば専門基礎科目)、受け持つ学生の年次(たとえば学部、博士前、後期)によってもいろいろだろうが、卒業生の大半を受け入れるのは産業界、企業であり、その求める人材像は専門基礎の教育をしっかり受けており、入社後の配属部門で応用力を発揮出来る人であろう。

英語公用化を嗤う

2010年08月09日 09時57分16秒 | 社会断層
英語の公用化を嗤う
さるIT企業や世界的に拡大躍進を続ける衣服小売り業が英語を社内公用語にする計画が話題を呼んでいる。自動車製造のN社や電子機器のS社らは幹部レベルの会議を英語で行っているとの話はよく知られている。しかしこの2社はトップが外国人であり、世界を相手にビジネスを行っている企業であるのでそれなりに納得出来る。
しかし企業一般、特に大手企業に限定するにしても英語を公用化する必要があるのだろうか?たしかに英語の熟達者が多いほど外国人との折衝、外国企業とのビジネスを担当する社員の層が厚くなるのは良いことだと常識的にはわかる。
しかし英語によるコミュニケーション能力のあるレベルを義務付けたり、昇進の指標にするのはいかがなものか。
理系、文系に限らず英語のみを使っての自己の業務、人格能力を100%発揮できる人は少ないのではないか?
英語表現のために努力を強いられ、それによって本来の長所部分の発揮がセーブされるとすると本末転倒ではないか。英語が苦手と云ってノーベル賞受賞の記念講演を日本語で堂堂としたあの先生は偉い。
極端に悪い想像だが業務や全人格的に中身は薄いが悪達者のぺらぺら英語使いが経営トップの周辺に蝟集するとすれば殿様の周りに集まる佞臣の図が浮かぶ。

子供を虐待から救え

2010年08月01日 10時15分02秒 | 社会断層
子供を虐待から救え 親に対するプライバシーを気にするな!

子供に対する虐待、果ては死に至らしめるような事故が絶えない。新聞、TVの報道を見る限り全面的に親が悪い。我が子をかくのごとき目に遭わせる親の心情、考えは我々の理解を超えたもので一片の同情の余地はない。
子供が虐待を受けているときは何らかの信号を発している筈である。単なる我が儘か、叱られて泣く泣き声と虐待かそれに近い仕打ちを受けている時の泣き声はどこか違うような気がする。
集合住宅に住んでいる私には時々悲痛な響きを伴う助けを求めるような被虐待時?の泣き声を希にではあるが耳にすることがある。幸いにも今までのところ、近所から虐待のニュースが聞こえてこないので小生の思い過ごしかと胸をなで下ろしてはいるのだが。
聞いた話ではアメリカでは子供の泣き声が長く続くと日本の民政委員のような人がすっ飛んでくるとのことである。
日本でも近所の通報で地区の委員や地方自治体の職員が当該家庭を訪問し実情を調査するようであるが、家庭のプライバシーを尊重するというか遠慮するのかいまいち踏み込んだ調査をしなかった為に事故の未然の防止が出来なかったとの例が多い。
そこで小生の提案:
自治体職員と警官との連携調査が出来る法的根拠を立法して欲しい。子供の死と親のプライバシーのどちらが大事か?
絶たれた命は帰らない、プライバシーの侵害はたとえそれが過誤によるものであっても修復出来る。

マイ・eBOOK リーダーはこんな形

2010年04月30日 15時03分25秒 | 社会断層
こんなeBookリーダー(読書端末)が欲しい
最近パソコン周辺の大きい話題の一つにアップルのiPad やアマゾンのKindle等の電子書籍リーダーがある。両方とも国内では正式に発売されていないが米国より直接入手した人たちの体験談などの話題が単行本や紙誌上を賑わせている。
似非読書家or活字中毒の小生も電子書籍とそのリーダーが普及すれば出版社、新聞業界、印刷業界、書店、図書館、著者や読者等はどう変わるか、どう変わらなければならないか野次馬根性的に興味津々の今日この頃である。
キンドル、iPadその他のリーダーが手に取って見られ、支えるシステムが整備され値段も頃合い(小生にとって)になれば 多分物好き2番手ぐらいで買うだろうと思う。
さて、そんな小生にとっての理想的な?リーダーはどんなものだろうかと考えてみた。
まず大きさは文庫本、我慢しても新書版で,
見開き折りたたみが出来る。折り畳んだ時の厚さは15ミリぐらい、重さは300グラム。上着の内ポケットに入る又はズボンの後ろポケットに入り椅子に座ってもO.Kの剛性を持つ。とにかく外出時の電車バス内で使うことが一番多いというのが小生の使用パターンである。
コンテンツのダウンロードはキンドル並みの手軽さといちいち課金が見えない=気にならないあり方がよい。ダウンロードは自宅かせいぜい街の喫茶店ホットスポットである。
英和、和英、国語及び百科辞典は始めから内蔵済み、収容冊数は1500もいらない。
その代わりメモ書き、文章の抜き書き等用ファイルを別に用意する。文字の大きさは変えられる事などなど。
とにかく一番拘ってるのは電車の中で尻のポケットから取出して本が読めることである。

亀田は本当に強い?

2010年03月28日 11時18分34秒 | 社会断層
私はプロボクシングの試合は長いこと見る気がしなかった。
興行臭に辟易していたのである。かってはチャンピオンが掛かった国際試合には人並みに興奮もしたが、いつの間にやら見せ物臭が鼻につき遠ざかっていたのである。
それが昨日の亀田VSポンサの試合はチョット見る気になった。
本当に亀田は強いのか?との私のかねてからの疑問に答えを出してくれそうな予感がしたからである。結果は2対零、引き分け1でポンサの勝ちの判定に終わった。
判定が告げられた瞬間私は思わず拍手をしていた。私の本当の気持ちがそうさせたのだ。今までの亀田陣営の振る舞い、戦術があまりにもインチキ臭く、プロスポーツを辱めるものだと思っていたからである。
日本人選手が負けて日本人の私がおもわず拍手するなんて、何とも恥ずかしい話であるが、そんな私に同感する人は他にもいるのではなかろうか?

多すぎる龍馬本も仕方がないが・・・・

2010年03月02日 16時05分09秒 | 社会断層
書店では幕末・維新本や龍馬本が花盛りだが・・・・

今書店を覗くと龍馬本の花盛りである。ここ数年来の大河ドラマが概して好評なので、いきおい関連した書籍、幕末・明治維新および日清・日露戦争物がめじろおしである。
女性の歴史好きもはやり廃りを越えて定着しそうである。「歴女」なる言葉も出来た。
大学入試センター試験には日本史が必修になる?とか。
全体として結構な話ではあるが何かもの足りない気がしてならない。
今の龍馬本を始め同時代ものは時代の英雄、快男児を取り上げ、おもしろおかしくかかれていることが多い。史実をある程度逸脱したストーリがいろいろと出てくるが小説、劇の脚本ならば眼をつぶろう。
小生の不満はそんなことではない。
幕末・明治維新と明治時代の日本近代化を推しすする過程での血を流した沢山の犠牲者、幸運にも生きながらえ犠牲になった先人の意志を継いで学術・技術・法制や行政制度の進歩・確立に貢献した人たちが沢山いる。概して地味な存在(龍馬本等の人たちに比べて)であるが、その功績は計り知れない。ヒーロー、快男児に劣るものではない。
大学の創立者、郵便制度の確立、鉄道の父、医療ら現在の我々が享受している諸々のサービスの発芽を育てた人たちのことを知るべきであるし知らせて欲しい。
特に著述業の諸先生方にはお願いしたい。
坂本龍馬や西郷隆盛を知らない人はいないと思うが、同時に郵便の前島密、日本大学の山田顕義や東大工学部前身の工部大学校の山尾庸三等をもっと知っていて欲しいのである。ほんの一例だが。

ユーモラスなゲーム at バンクバーオリンピック

2010年02月22日 19時31分56秒 | 社会断層
絶叫するカーリング娘 at Vancouver

冬期オリンピック at バンクーバー をTV観戦している中でカーリングゲームがとても面白いと思った。
オリンピックの諸スポーツでユーモラス度でランク付けするとすればカーリングゲームを一位に推したい。観戦している当方は実は戦いのルールは分かっていないのである。
ユーモラスの内容を構成する大きな要素はプレイヤーの絶叫・雄叫び(女子だから雌叫びか?) である。投擲者の指示声、掃くプレイヤーの気合い等女性特有の高音。。。
声の大きさは肉食系の欧米女性の声量が大和撫子のそれを圧倒しているのはやむを得ないか?
このゲームのTV放映の面白さの一つはプレイヤーの表情をバッチリと映し出すことでもある。他のスポーツのように動きが速い、マスク、眼鏡をかけたりしない、はたまた汗をダクダクかくこともないのでメークがバッチリきめられるのか、選手の皆さんもメークをバッチリ決めているので観戦している男性の一人として楽しい。
解説者の云っている意味がいまいち分からないのであるが、プレイヤー達の醸し出すユーモアーが何ともいえず楽しい。
解説者の「1点を(相手に)取らせる」という発言がちょいちょい出てくる。どうしてなのか分からないのだが、ともかくとても頭を使うゲームだと云う雰囲気は伝わってくる。カーリングは「氷上のチェスゲーム」だと云われているそうであるし、「1点を(相手に)取らせる」など相手にわざと石を取らせる囲碁にも通じるものがあると思った。

ふと変なことを考えついた。それは選手の一人は必ず対戦相手の言葉を分かる人を選んだらどうだろう? 
と云うのは、このオリンピックゲームを見る限り作戦打ち合わせ等の音声が流れるようだ。と云うわけで相手側の打ち合わせ内容が分かれば対応の仕方に参考になるのではないか?リアルタイム情報は作戦上とても有効ではないかと素人はテレビを見ながら考えたのだが。

松蔭ミュージカルを見て

2010年02月12日 14時18分42秒 | 社会断層
Showin 松蔭 若き志士たち ミュージカルを見て

表題の創作ミュージカルが世田谷区民会館で上演されるというので友人からチケットをプレゼントされたので出かけることにした。
当日は氷雨の混じる悪天候であったし会場もアクセスが良い所とは言い難いので、客の入りは如何なものかと些か心配しながら会館に到着するとあに図らんや長蛇の列であった。心配して損したなと勝手なことを思いながらホール内にはいると定刻30分前にしてほぼ満席の状況であった。
幕が開くと可愛い少女、多分小学校2-3年生ぐらい?がスポットライトを浴びて凛として屹立し詩吟の朗誦を始めた。
松蔭先生の辞世「親思う心に勝る親心、今日のおとずれなんと聞くらん」である。堂堂たる唱いぷりに期せずして万雷の拍手が巻き起こったのである。この瞬間このミュージカルの成功を確信したのは小生だけではないだろう。小生もウルっとしたものである。
おもえば今は昔、小生も萩市立明倫小学校に入学し、「松蔭教室」なる特別教室で 「親思う心に勝る親心、今日のおとずれなんと聞くらん」等の和歌、詩文を朗誦した、或いはさせられたものである。板敷きの上に正座し、足が痛くなってもじもじし、冬は足指先が冷たかったことを思いだしたのである。上演前のビデオを見ると明倫では今も同じことをやっているのかしら?
開演前の萩市長の話では出演者は全員演劇的にはノンプロで本職の余暇をつぶして1年有余の稽古を積んだとのことである。演技の巧拙はこの際問題ではない。松蔭先生の物の考え方、教育に対する熱情を伝えようとする出演者一同の 熱い気持ちは観衆に良く伝わったと思う。また小生のような爺世代から見て孫世代の少年少女が大勢舞台狭しと走り回るのを見るのは理屈抜きに楽しかった。萩弁もたっぷり楽しませて貰った。
ともあれ最後のカーテンコールの大拍手がこのミュージカルの大成功を物語ってやまないと小生は思った。
出演者、スタッフの皆さん ご苦労様、楽しませてくれて有り難う。

NHK龍馬伝にもの申す

2010年02月08日 10時43分56秒 | 社会断層
NHKの「龍馬伝」を楽しみにしている呆け老人であるが、2月7日放送の「松蔭はどこ」の一シーンにはむかついた。
松蔭先生の下田踏海の場面で松蔭先生が龍馬を殴り倒すシーンである。
教師の権化とも云うべき人が説教こそするが龍馬のような偉丈夫を殴り倒すという暴力を振るうようなことはあり得ない。
この脚本の作者の意図は龍馬VS松蔭の情熱のぶっつかり合いを表現したかったのであろうことは理解するが松蔭先生を少しでも勉強したらかくのごときシーンの発想は出てこないと思う。
第一この下田踏海の場面で龍馬、桂小五郎、松蔭および金子重助が出会うことは史実にないのだが、時代の先駆者たちの思想、情熱を表現したい作者の意図は許容されるとしても・・・・。





見るに見かねての地方自治体の挙

2008年12月16日 12時26分09秒 | 社会断層
見るに見かねたある地方自治体の挙

非正規労働者が切られているニュースが毎日のように報じられている。
この年の暮れにきて解雇を通告されたテレビに映る彼らの途惑った表情が痛々しい。
そんな中で大分県杵築市は雇用契約解除による失業者 (市内在住者)を臨時職員として雇用する方針を発表したとY紙は報じている。
同市および隣接の国東市にはキャノンの製造子会社・大分キャノンと関連会社大分マテリアルがあり杵築市には上記2社の従業員が多く在住しており、両社の合わせて1200名の非正規社員を段階的に雇用解除するというキャノンの発表を受けてのことである。
この前例のない地方自治体の挙は快とすべきであろうが所詮一時しのぎでしかない。
世界に冠たる企業であるキャノン本体の経営者や正規社員はこの事をどう受け止めているか、是非知りたいものである。
痛みを分かち合う手だてを講じた 末のことなのか、一番てっとり早いコスト削減の方法として派遣切りを選んだのかという疑問を持つものである。
デジカメにしろプリンターにしろキャノン製品を愛用してきたし、その製品を通じてキャノンという企業に敬意を払ってきた小生としては大企業の先頭を切って派遣切りを行おうとすることに落胆を禁じ得ない。
make it possible with canon の精神を技術開発以外にも発揮されんことを!