平成26年度のNHK大河ドラマは長州の大教育者吉田松陰の妹 文をヒロインとした「花燃ゆ」になるという。
この大先覚者と同郷である小生としては期待するもの大である。
同郷であることを言うのもおこがましいが、出身小学校である明倫小学校では「松陰教室」と称する畳敷きの特別教室があり、週一回~2回、当時の必修課目である「修身」の時間に、この「松陰教室」で正座させられ、松陰先生の処刑直前の辞世の和歌2首その他を暗唱させられたものである。
その和歌2首とは
「身はたとい武蔵野の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」
「親思う心に勝る親心、今日のおとずれ何と聞くらん」
である。70有余年前に教わった文言であるが今でもボケ頭からスラスラと出るから不思議である。
今回の主人公は妹 文であるが登場人物には松陰の友人や門下生の桂小五郎、 高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文や山県有朋ら有名人物群像が続々と登場してくると思われる。
それぞれ、どんな描かれ方をするのか期待大であるが同時に或る恐れを抱いているのである。
その恐れとは何か?
比較的最近の例を出すと、「坂の上の雲」司馬遼太郎原作のドラマで児玉源太郎大将が那須に引退していた乃木希典将軍を訪れる場面がある。児玉大将を演ずるのは高橋英樹という体躯堂々たる大スターである。しかし実在の児玉大将は身長150センチぐらいの短駆である。
余りにもイメージが違いすぎるのではないか?
児玉大将を指導した陸軍大学校での教官メッケル将軍(ドイツからの派遣教官)をして言わしめたことは、日露戦争勃発の報が世界中を駆け巡ったとき、日本が負けるが世界の常識であったにもかかわらず、「日本は負けない、なぜなら日本には児玉がいるから」であった。
短駆150センチをそのまま出し、大戦略家 児玉源太郎を演出してほしかった。実在した人物と余りにも違ったイメージはその人物に対する侮辱であると言えば言い過ぎか?
西郷隆盛の巨眼、巨頭、巨体は銅像や肖像画でよく知られている。
もしドラマ等で痩身短駆の俳優が「おいどんが西郷隆盛でごわす」と出てきたら皆さんどうします?
「違うよ、よしてくれ」と悲鳴を上げるのではなかろうか?