「テクノ・ジジーとババーのためのフォーラム」第2回
「テクノ・ジジーとババーのためのフォーラム」は小生が勝手につけたネーミングである。
正しくはフォーラム「団塊の世代 新たな挑戦」でその第2部パネルディスカッションでの概要と感想を述べる。
パネリスト は漫画家 弘兼憲史、NPOシニアSOHO普及サロン・三鷹 顧問の堀池喜一郎、NPO建築技術支援協会 事務局長 米田雅子の各氏とコーディネータは清家篤 慶應義塾大学商学部教授である。
以上各氏のそれぞれの発言の内、記憶に残ったものを列記する。
清家氏:若い婦人記者がさる著名人にインタビューに云った。
著名人が彼女に質問「貴女の父君はいかなる人か?」
彼女応えて曰く「花王会社で洗剤アタックを開発しています」
著名人は感歎しきりであったという。普通このような問いかけには「某々社で○○部長をしています」の類の答えが返って来るであろう。某々社が有名大企業なら尚更であろう。この話には後日談があり、清家氏が今度は花王のトップのさる人に、この話をしたところトップ氏曰く「花王にはこのような答えをする人が200人ぐらいいますよ」
会社を誇るよりも自分のしてきた仕事を誇れる人であって欲しい、特に定年者、これから定年を迎える人はかくあって欲しい。
堀池氏:会社を去って地域に帰って「只のオジサンにならないで欲しい、自分の得意技を生かして地域に貢献する只ならぬオジサン、オバサンでありたい」
米田氏:定年後は好きなこと、得意技を生かして社会に貢献して欲しい。しかし自分の好きなこと、得意技が分からない人が多いのが現実である。
50才ぐらいからこのことを意識し準備をして欲しい。
弘兼氏:私はまさに団塊の人である。団塊の人はその人数の多さによってトレンドを作ってきた。定年後も大消費者であることによって社会に充分貢献できる。
2007年問題の後2030年問題がある。この時期は現在の団塊人が死んでゆく。
死に場所は病院等でなく、自宅で死ねる宅死が出来るような社会にしたい。
以上各氏からはもっと沢山の示唆に富んだディスカッションがあったが小生の非才のため断片的に記すのみとなった。
「テクノ・ジジーとババーのためのフォーラム」は小生が勝手につけたネーミングである。
正しくはフォーラム「団塊の世代 新たな挑戦」でその第2部パネルディスカッションでの概要と感想を述べる。
パネリスト は漫画家 弘兼憲史、NPOシニアSOHO普及サロン・三鷹 顧問の堀池喜一郎、NPO建築技術支援協会 事務局長 米田雅子の各氏とコーディネータは清家篤 慶應義塾大学商学部教授である。
以上各氏のそれぞれの発言の内、記憶に残ったものを列記する。
清家氏:若い婦人記者がさる著名人にインタビューに云った。
著名人が彼女に質問「貴女の父君はいかなる人か?」
彼女応えて曰く「花王会社で洗剤アタックを開発しています」
著名人は感歎しきりであったという。普通このような問いかけには「某々社で○○部長をしています」の類の答えが返って来るであろう。某々社が有名大企業なら尚更であろう。この話には後日談があり、清家氏が今度は花王のトップのさる人に、この話をしたところトップ氏曰く「花王にはこのような答えをする人が200人ぐらいいますよ」
会社を誇るよりも自分のしてきた仕事を誇れる人であって欲しい、特に定年者、これから定年を迎える人はかくあって欲しい。
堀池氏:会社を去って地域に帰って「只のオジサンにならないで欲しい、自分の得意技を生かして地域に貢献する只ならぬオジサン、オバサンでありたい」
米田氏:定年後は好きなこと、得意技を生かして社会に貢献して欲しい。しかし自分の好きなこと、得意技が分からない人が多いのが現実である。
50才ぐらいからこのことを意識し準備をして欲しい。
弘兼氏:私はまさに団塊の人である。団塊の人はその人数の多さによってトレンドを作ってきた。定年後も大消費者であることによって社会に充分貢献できる。
2007年問題の後2030年問題がある。この時期は現在の団塊人が死んでゆく。
死に場所は病院等でなく、自宅で死ねる宅死が出来るような社会にしたい。
以上各氏からはもっと沢山の示唆に富んだディスカッションがあったが小生の非才のため断片的に記すのみとなった。