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社会断想

諸々の社会現象にもの申す
中高年者・定年退職者向け

「悠々自適」か「悠々自宅」か? 友人の年賀状から

2006年01月09日 11時52分12秒 | 大定年時代
悠々自適か悠々自宅か? 友人の年賀状から
「悠々自適」を「悠々自宅」とはき違え、奥方を「亭主在宅ストレス症候群」に追い込むご主人達にこの年賀状を参考までに。
(近況: 孫三人と毎日賑やかに過ごしています。昨年から小学校の用務員を一日四時間やっていますが学校の子供達はすべて孫みたいになついてくれるので楽しんでいます。
地域の役員や囲碁、コーラスなどで結構忙しい毎日です)
楽しく充実した毎日を過ごしている様子が手に取るようにわかるようだ。

50才才台の起業者と人脈

2005年12月30日 10時05分55秒 | 大定年時代
50才台の開業と人脈との関係
国民生活金融公庫総合研究所の2005年度「新規開業実態調査アンケート」(2005年8月)によれば、50才台の新規開業者のうち38%がリストラによるものであるという。しかし人脈や取引先とのネットワークに自信を持つ開業者は概ね良好な業績を上げているそうである。
起業者にとって人脈は必須のものであると小生は思うのだが、一部の人にはとんでもない誤解や思いこみをしている人がいる。それは前職において取引先の担当者との関係で優位な立場をそのまま人脈やネットワークと考えていることである。
前職の企業と取引先の企業に対する優位関係が起業後の個人対取引先企業の担当者との関係で維持されるという錯覚である。是非この錯覚には陥らないようにしたいものである。

離婚の時期を窺う妻達 もう一つの2007年問題

2005年12月01日 11時19分33秒 | 大定年時代
離婚の時期を窺う妻達 もう一つの2007年問題
日本は今や先進国中第4位の離婚大国である。1位アメリカ離婚率4%、2位イギリス2.6%、3位ドイツ及びスエーデン2.4%に次いで日本2.2%堂々の第4位となっている。続いてフランス1.9%、イタリア0.7%である。(但し各国データはアメリカ02年、日本は04年他は00年調査による)
離婚は家族にとって大問題であるが特に憂慮すべきは結婚生活20年以上の熟年離婚が増加している事である。
にも拘わらず2002年のピークの後に2003年、4年と減少傾向にあるという。
この減少が実はくせ者である。2003年6月に新制度改正が発表され2007年4月から実施される離婚時の老齢厚生年金分割制度を待って離婚の切り出し時期を窺っているのだという説がある。2003年~2004年の離婚減少のスタート時期が2003年6月に重なるのがその証拠であるという。
従って2007年には離婚予備軍が一斉に走り出し一気に離婚率を押し上げると危惧されている。
あたかも2007年は団塊世代の第一波が定年を迎え第二の人生を歩み始める。丁度この時期に重なるわけで「もう一つの2007年問題」と考えるわけである。
どうか世の中の団塊お父さん、ゆめゆめ油断すべからずである。定年退職後は家でのんびりしようなど考えないで外に出て働くなりボランティア活動をしましょう。
濡れ落ち葉症候群は奥方の離婚願望の火に油を注ぐ事になりますよ。

(この記事は第一生命経済研究所 2005.11.22発行のレポートを参考にした)

団塊世代のセカンドライフ 野村聡研レポートより

2005年11月30日 13時12分00秒 | 大定年時代
団塊世代のセカンドライフで目指すもの NRI調査から
(株)野村総合研究所の団塊世代の調査レポート(2005年11月)をたまたま読む機会があった。
それによると60才を過ぎても仕事を持ち働き続けたいと考えている割合は約8割である。尚その理由としては 経済的な理由、老後の生活資金のためが6割、小遣い稼ぎが2割、心身の健康のためが6割、自己実現が5割弱、社会に役立ちたいが3割とある。(複答式設問)
その中で起業を考えている人の割合は15%(被調査対象者全体の12%)であるとし、これの実現率がその半分としても年間12万人の起業者が生まれ、現在の新規開業数を9万件を大きく上回る可能性があるとしている。
LLP,LLC、さらには新会社法の成立等新規開業を促進する法的、制度的なものが整備されてきたのでこの実現性は大いにあると私は思う。
この調査レポートで眼を引いたのは、被調査対象の27%が現在インターネットで買い物をしている、さらに5割近い人がネットショッピングの利用が増えそうだと感じている由。従って団塊世代はインターネットで買い物が出来る初の高齢者群を形成すると予想している。

70代は執筆に走る!(続き)

2005年11月21日 11時16分57秒 | 大定年時代
70代は執筆に走る!(続き)
70代に何をしたいかと問うアンケートに執筆との答えが男女とも一番多かったとは某証券会社の調査 の結果である。(朝日新聞11月20日記事)
この一見意外な結果の原因としてパソコンの普及が考えられるとしている。
私のようにミミズののたくったような字しか掛けない人間には自筆の手紙やレポートは大変苦痛でありパソコンワープロは大変ありがたい。そこで浅はかにも自筆に自信のない高齢者がパソコンワープロに力を得て執筆に向かうのだと思った。
だがよく考えてみると単にそれだけではなく、パソコン・インターネットの世界に自分の考えを表現する場が出来たことの方が大きな要因では無かろうか?
つまりホームページやBLOGである。大体この年齢層は軍国主義日本と敗戦を契機とした民主主義日本とそれに続く高度成長、バブル景気そしてその崩壊を見てきた。
その間に生じた悲喜劇を身をもって体験した人も多いだろう。
会社・役所勤めから解放され、今まで口を閉ざしていた事や自分の事(自分史)を書き留めておきたいと考えるのも宜なるかなである。かく申す私もその一人である。

70代は執筆に走る!

2005年11月20日 17時23分40秒 | 大定年時代
70代は執筆に走る!
野村證券が全国の50~80代の男女1万2千人に5年後に自分は何をしたいかという質問をし、1万人以上から有効回答を得た・・・と11月20日付けの朝日新聞が報じている。
それによると「旅行」「趣味」「スポーツ」「仕事」「ボランティア」の順にに続くが、細部に亘っては男女に差があり、「第2の人生」は夫の片思いと皮肉な見出しを付けている。それはともかく70代になると男女とも「執筆」が最多であり意外な想いであると調査担当者は述べているそうである。パソコンの普及(=ワープロの普及)がこの傾向を後押ししていると考えているとのことである。
私もこの結果に意外の感を持った。だが考えてみるとパソコン(=ワープロの普及)のお陰で今このBlogを気軽に書いている。ひとえに自分の悪筆を気にしなくて良いからである。
私信でもワープロ書きで失礼ではないとの世間の考えが早く定着 しないかなーと願っている。そうなれば欠礼がうんと少なくなるのだが。
あー悪筆は悲しい。

40年ぶり旧友と話す

2005年11月14日 16時21分51秒 | 大定年時代
40年ぶりに旧友と話す
過日高校時代の在京同級会があった。この会は毎年一度秋に行い既に数十年続いている。
出席メンバーもほぼ固定化し顔ぶれもあまり変わらないが、郷里からわざわざ上京し参加してくれる人もいて、ふる里の話題や在郷の友人の消息を提供してくれるのが有り難い。今回の幹事S君が冒頭に或る写真集を回覧に供してくれた。
見ると北海道旭川在住のT.O君の手になる自家出版の北海道の野鳥の写真集である。
T.O君と私は小学校から高校まで一緒であり、特に小学校は4年生より6年生まで同じクラスで過ごした仲である。
高校卒業後の進学した大学も違うしそれぞれ別の道を歩むのだが、それでも10年ぐらいは付き合いがあったものの 、いつしか年賀状の遣り取りぐらいになった。正確には覚えていないが10余年ぐらい前に北海道旭川に転居した旨の通知を貰ったか、人づての消息で知りビックリした事を覚えている。
山口県の小都市の、どちらかといえば南国の海洋性気候の土地に生まれ育った人間が何故に北海道のど真ん中の寒そうな土地に移り住むのか理解に苦しんだものである。
ともあれ自費出版で野鳥の写真集を出したところから察するとすっかり土地に馴染んだのだろう。
写真集の後書きの抜粋。曰く「日本の野鳥約550種のうち150種ぐらいしか収録していない駆け出しのバードウオッチャーが写真集を作ろうなんて事は常軌を逸した所業であることは百も承知である。ただ東京にいる息子2家族の5人の孫は、上は高校、下は2才だが、たまに来る孫たちからの電話でおじいちゃんの消息を聞かれるとき、家内から今日も鳥よという返事ばかりだと孫たちからおじいちゃんは何をしているのだろうと不審がられるだろう。そこで実はこんな立派な?仕事をしていたのだとの証拠を残すためにこの写真集を企画した。孫の一人小学校3年生から是非その本を僕に下さいと言われ後に引けなくなった。将来一人でも二人でも鳥好きがでれば嬉しい。この小冊子作りは大変苦労したが、ものすごい頭の勉強になった。中略。この版が終わりではない。第2、第3の増版あってこそのスタートですから・・・・・」(文章の一部を短くするため勝手に変えています。意味は同じと思っています)
小学生の頃のやんちゃ坊主の面目躍如である。
あまりに懐かしいので電話をした。それこそ40年ぶり?である。名乗ったら一発で私だとわかってくれたのは嬉しかった。ともあれこの写真集を早速送ってくれる由。楽しみである。

「好きな仕事」はあるか?

2005年11月10日 11時36分57秒 | 大定年時代
好きな仕事はあるか?
堺屋太一氏は定年後の第2の人生で仕事を選ぶときは「好きな仕事」をキーワードにしなさいという。一方中島義道氏(電気通信大学教授)はその著書「仕事の嫌いな人のために」の中で「そうそう自分の好きな仕事は見つかるものではない」と述べている。
堺屋太一氏は定年後の第二の人生を踏み出そうとしている人達に対して説いている訳であり、中島義道氏は「今の仕事に喜びが見いだせない人や引きこもりの人」に対するメッセージである。両者の説く相手が違うわけである。
ところが私たちのNPO(NPOテクノリンク:技術系定年OBの就業支援)で面接する相手に「貴方の好きなことは?やりたいことは?」という問いかけに対してゴルフ、旅行etcで趣味についての返事は帰ってくるが、こちらの意図する「好きな仕事」に対しての明確な答えがない人が多い。つまり堺屋氏の云うところのキーワードを意識しないで定年を迎えたということなのだろう。
何故か?と私なりに考えてみる。
日本の企業組織では或る年齢に達すると管理職になる、或いはさせられることが普通のようである。つまりゼネラリストになり、広い視野と管理能力が要求されることになる。
そのこと自体悪いことではないだろうがその職位が「好きな仕事」「得意な仕事」とは乖離して行き、「好きな仕事」「得意な仕事」を意識しなくなるという図式か?
乱暴な推論だが、そのように思わざるを得ないのである。
そこで現在の50才前後の技術系サラリーマンは今の職位の立場がどうあれ、「好きな仕事」「得意な仕事」を常に意識し、それに対しての研鑽を怠らず、第2の人生出発に備えて欲しいと願うのである。

英語コンプレックス脱出を読んで

2005年11月05日 12時26分33秒 | 大定年時代
「英語コンプレックス脱出」を読んで

中島義道氏(電気通信大学教授)の「英語コンプレックス脱出」を読んだ。
たまたま この題名を見掛け興味をひかれた。著者が母校の教授であることと、何を隠そう私自身も「英語コンプレックス」の固まりで長いこと悩んできたからである。
かと云って、E-Mailの遣り取りを除いては年中英語で会話をするわけではない。
ただ時時 Face to faceで外人さんに接するすることがあり、それもビジネスと直接関係なく、つまり単なる観光地に案内する程度のことなのだが。
例えば鎌倉を案内するとしよう。一通りの歴史知識があっても、どうも旨く説明できない。駆け込み寺の東慶寺 の話なんどは夫婦者の外人さんにはとても興味深いだろうと思うし、これから話が大いに盛り上がるだろう。だが残念ながら旨く説明できず不得要領な顔をされると中途半端に引き下がらざるを得ない。後で考えるとストーリーを小さく刻んで(つまり文章を短くし)繋げていけば理解して貰えると思うのだが後の祭りである。
語学力の無さは止むを得ないとしても障碍は英語コンプレックスなのだ。
いまから50年余前、電通大に入学した当時、英語の担当はY教授とW助教授であった。当時の同級生は英語力は劣っていたと思う。敗戦直後のことで戦争中の学徒動員や外地からの引き上げ等で中学1,2年(当時の旧制中学)の英語学習の大事な入り口で授業を受けられなかった学生が多かったと思う。言い訳にはならないだろうが。
そんな学生たちにY教授とW助教授の対応はかなり違ったものがあった。
Y教授は最初の授業のときシェイクスピアのハムレットの一節「To be or not to be ,that is a question........」を1ページ分を暗唱出来ることを我々に課したのである。えーと非難の声を挙げる我々に理由を説明してくれた。
それは「諸君は将来必ず外人とのパーティの席に呼ばれることがある。そうゆう世の中になる。その時英語力の無さのためにただ黙っていたのでは馬鹿か低脳と思われる。馬鹿か低脳でないことを示すために挨拶代わりにこのシェイクスピアの一節を空で朗読しなさい。それは外人が歌舞伎の有名な台詞の一節を日本語で朗読したら並み居る日本人はビックリするだろうしその外人に敬意を惜しまないだろう。それと同じことだ」というものであった。友人の一人は遙か後年イギリス出張中にY教授の想定したような場面に遭遇したとき、思い切って「To be or not to be....」をやり、拍手喝采を得たそうである。
一方W助教授は「英語力の無さは教養の無さである」と決めつけたふしがある。
授業の節々にその態度や発言があり、学生たちを白けさせたものである。
卒業後ウン十年経った今も同窓会などでY教授の想い出は好意的に偲ばれている。
この当時の学生のほとんどは英語コンプレックスを大なり小なり持っていたと思う。
日常ビジネスで英語を使わざるを得ない職場に勤務した人ほどコンプレックスは大きく、必要でない人ほどコンプレックスは小さかったと私は思う。
語学では第一級の達人であろう中島先生の「英語コンプレックス脱出」を読んで正直救われた気持ちになった。

テクノ・ジジーがテクテク・ジジーに 箱根散策

2005年11月04日 12時55分20秒 | 大定年時代
 テクノ・ジジーがテクテク・ジジーになって 箱根散策
電気通信大学のオールドOBで小田急沿線に住むグループ10数名が箱根を一泊2日で散策した。
初日は曇り日で時々陽差しものぞく天候のもと定番ルートで大湧谷にいたる。
丁度時分時なので展望レストランで昼食。後は谷向の噴煙穴を覗こうということになる。ご存じ温泉黒卵を作っているところ。黒卵を食べる。味は普通のゆで卵と変わらない。
たまたまNHKがこの大湧谷風景を取材、実況中継をしていた。後日リーダーのY君のメールによればY君夫人がこの実況を偶然見つけ、急いで録画したそうだ。同行者が何人もチラッとだけど写っており、私もその一人であったとのこと。
此処で一行は散歩班とカメラ班に別れる。
散歩班の行路は下りのみで登りはないと聞いたので散歩班に参加。確かに下りが延々と続くが段々道でそれほど楽ではない。同行のT君より段々道をより楽に歩く方法を教えて貰う。それはジグザグに歩くというものである。確かにその方が段差での衝撃は少ない。
いつも思うことだが、この散歩会では同行者の誰彼となく教わることが多い。
途中から雷が鳴り始め、その内雨模様となったが無事今夜の宿「仙石荘ロッジ」に辿り着く。「仙石荘ロッジ」はIBM社の保養所である。同行のM君がIBM元社員でM君の世話でこの宿が確保されたのである。清潔な小型ホテルといった感じでさすがIBMさんと思った。
翌日は昨日の薄曇り後雨が嘘のように晴れ上がりロッジの窓から外輪山脈越しに富士山がくっきりと顔を出していた。
過去何度も箱根にきているが、いつも曇りやガスで富士山は拝めなかったのでラッキーという感じである。
此処でも散歩班と写真班に分かれる。今度は写真班に加わる。歩かなくて済みそうなことと有名なすすき野を是非見たかったからである。
是非見たかった訳は前回の野川をたどる散歩会で深大寺植物園での一むらのすすきが見事であったのを感心していたところ、その時の同行者の一人K君が仙石高原のすすき野を見ることを勧めてくれたからである。
なるほど、その広漠たるスケールといい野趣といい、深大寺植物園のそれとは比べものにならない。この年までたびたび箱根に来ていながらこの景色が始めてとは私も少々抜けていると内心恥じた。
バスで桃源台に下り、海賊船に乗る。この船は私にとってお馴染みであるが、今回はちょっと雰囲気が違って感じられた。それは中国人観光客団体が乗り合わせ、そこかしこで中国語が飛び交っていたいたことである。中国沿海地方の経済発展がめざましいとの話はもはや常識であるが、その勢いが日本の有名観光地に押し寄せて来ているのを実感させられた。余談だが、観光バス「はとバス」の巡回コースの終点は今や秋葉原であり、どっと中国人観光客が下りるそうである。
船上でチラッと顔を出した富士山のスナップを撮り、元箱根で下りる。
此処で散歩班と再合同し昼食となる。食堂のやり手婆さんとした女将さんがしきりにワカサギ定食を勧めるのでほぼ全員がそれを注文する。
誰かが「ワカサギが小さい」と云っていたのでまだ最盛期ではないようだ。
昼食後任意解散となるが、散歩班は又どこかに行くそうだ。
テクノ・ジジーはテクテク・ジジーでもある。