昔、主役に無名の役者を抜擢しながら、途中でその俳優を降板させた原作者が、その役者から刺された・・・という事件がありました。
この俳優さんは、その後も、色々と問題を起こしたりしたようにも聞いておりますから、まあ、元々、問題がある人だったのかもしれませんが、一方で、一旦、抜擢しておきながら、途中で安易に降板させた原作者の方にも非がないとはいえないと思います。
おそらく、その役者さんは無名だっただけに、この大抜擢に、粉骨砕身、全身全霊を賭けて役を演じようとしていたはずで、それが突然、大した理由もなく降ろされたわけですから、やはり、納得は出来なかったでしょう。
無論、だからといって、こういう傷害事件に走るなどというのは論外でしょうが、ここで言いたいのは、この事件の是非ではなく一度、決まったものを変えるということがいかに難しいか・・・ということであり、つまり、変える場合には、「変えるなりの理由」がなくてはならないということですね。
ところが、そう言いながらも、この点では、実に興味深い事例があります。
豊臣秀吉の片腕として、太閤記などでも有名な黒田官兵衛の嫡男黒田長政が、関ヶ原の戦いの功績によって筑前一国を与えられたことから創設された筑前福岡藩52万石ですが、その長政は晩年、嫡男忠之の気性を危ぶみ、これを廃嫡し、弟長興を二代藩主とすることを検討したといいます。
ただ、このときは、忠之付きの重臣、栗山大膳が強く反対したことで、これを断念し、やがて、長政が死ぬと、忠之が二代藩主となったのですが、時が経つに連れ、忠之はその危惧されたとおりの気性で、実力者・栗山大膳との軋轢を深め、その結果、大膳から幕府に対し、「忠之に謀叛の心有り!」と訴えられてしまいます。
これが、映画や講談などで有名な「黒田騒動」と呼ばれるお家騒動なのですが、まあ、曲折あった物の、結果は無罪となって一件落着・・・となるのですが、あわや、お家お取り潰し・・・の存亡の危機にまで行ってしまったわけですね。
一方その忠之の子供である三代藩主光之は嫡男綱之を「酒癖が悪い」という理由で廃嫡し、弟である綱政を四代藩主とします。
ところが、その光之が、当時としては記録的な長命の80歳まで生きながら、最後まで実権を離さなかったことから、光之は綱政とも険悪となり、その結果、光之死後、綱政の恨みは光之側近で実力者であった立花実山へと向かい、さらに、廃嫡後、長年にわたり幽閉されていた実兄綱之が復権する事への恐怖へと繋がり、それから間もなく、二人とも幽死したことから(死因については定かではないようですが・・・。)、少なくとも、綱之死去に対しては、あまりにもタイミングが良すぎたこともあり、幕府から「兄の復権を恐れた綱政が殺した」と嫌疑が掛けられ、黒田家は再び、取り調べを受けることとなり、またもや、「第二の黒田騒動」と呼ばれるお家存亡の危機をもたらしてしまうわけです。
廃嫡しなかった長政と廃嫡した光之・・・。結果は、いずれも同じく、黒田家を存亡の危機におとしめてしまったことを考えれば、大きな運命の歯車の前には人選などというこざかしい人間の思惑は無意味なことなのでしょうか・・・
(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
この俳優さんは、その後も、色々と問題を起こしたりしたようにも聞いておりますから、まあ、元々、問題がある人だったのかもしれませんが、一方で、一旦、抜擢しておきながら、途中で安易に降板させた原作者の方にも非がないとはいえないと思います。
おそらく、その役者さんは無名だっただけに、この大抜擢に、粉骨砕身、全身全霊を賭けて役を演じようとしていたはずで、それが突然、大した理由もなく降ろされたわけですから、やはり、納得は出来なかったでしょう。
無論、だからといって、こういう傷害事件に走るなどというのは論外でしょうが、ここで言いたいのは、この事件の是非ではなく一度、決まったものを変えるということがいかに難しいか・・・ということであり、つまり、変える場合には、「変えるなりの理由」がなくてはならないということですね。
ところが、そう言いながらも、この点では、実に興味深い事例があります。
豊臣秀吉の片腕として、太閤記などでも有名な黒田官兵衛の嫡男黒田長政が、関ヶ原の戦いの功績によって筑前一国を与えられたことから創設された筑前福岡藩52万石ですが、その長政は晩年、嫡男忠之の気性を危ぶみ、これを廃嫡し、弟長興を二代藩主とすることを検討したといいます。
ただ、このときは、忠之付きの重臣、栗山大膳が強く反対したことで、これを断念し、やがて、長政が死ぬと、忠之が二代藩主となったのですが、時が経つに連れ、忠之はその危惧されたとおりの気性で、実力者・栗山大膳との軋轢を深め、その結果、大膳から幕府に対し、「忠之に謀叛の心有り!」と訴えられてしまいます。
これが、映画や講談などで有名な「黒田騒動」と呼ばれるお家騒動なのですが、まあ、曲折あった物の、結果は無罪となって一件落着・・・となるのですが、あわや、お家お取り潰し・・・の存亡の危機にまで行ってしまったわけですね。
一方その忠之の子供である三代藩主光之は嫡男綱之を「酒癖が悪い」という理由で廃嫡し、弟である綱政を四代藩主とします。
ところが、その光之が、当時としては記録的な長命の80歳まで生きながら、最後まで実権を離さなかったことから、光之は綱政とも険悪となり、その結果、光之死後、綱政の恨みは光之側近で実力者であった立花実山へと向かい、さらに、廃嫡後、長年にわたり幽閉されていた実兄綱之が復権する事への恐怖へと繋がり、それから間もなく、二人とも幽死したことから(死因については定かではないようですが・・・。)、少なくとも、綱之死去に対しては、あまりにもタイミングが良すぎたこともあり、幕府から「兄の復権を恐れた綱政が殺した」と嫌疑が掛けられ、黒田家は再び、取り調べを受けることとなり、またもや、「第二の黒田騒動」と呼ばれるお家存亡の危機をもたらしてしまうわけです。
廃嫡しなかった長政と廃嫡した光之・・・。結果は、いずれも同じく、黒田家を存亡の危機におとしめてしまったことを考えれば、大きな運命の歯車の前には人選などというこざかしい人間の思惑は無意味なことなのでしょうか・・・
(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
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