硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

ああそうかと思った瞬間だった。

2012-12-12 23:26:34 | 日記
今朝のニュースで尼崎連続殺人事件の容疑者の女性が自殺したと報じられたとき、僕は思わず「ああそうか」と呟いてしまった。

容疑者の女性は、人の命と引き換えに対価を得ていた。それが一番自身にとって最良な貨幣の獲得方法であったのだと思う。

もちろん、そんな行為は「人」のすることでないが、この方法の大規模な行為が国家間による「戦争」でもある以上、こういう思考性は人ならば誰かしら考えるものである。

だから、容疑者の女性も人の命と引き換えに貨幣を得ることに躊躇わなかったのだと思う。

その原動力は自身がルールであり自身の益を最大化する事が目的であるからではないだろうかと考えられ、それを「生きる意味がない」という言葉が示していると思う。

自身の欲望に素直に従う生き方が、女性にとっての「生」である。それが他の「法」によって、自身の欲望を制限され拘束される事はつまり「死。」

したがって、逮捕された時点で容疑者の女性は「死」を望んでいたはずである。

どこまでも、自分勝手な人であるが周りを気にせず我の欲望の赴くままあらゆるものを消費し続けたその思考には驚かされる。

きっと、容疑者の女性の前では「倫理」や「道徳」や「正義」も皆無であっただろう。

どうすればあのような人格を形成できるのであろうか。それとも、もって生まれた気質であったのだろうか。

女性の自殺ですべてが闇に葬られたが、しかしそれは女性が最後に望んだ「欲望」であるから、自殺するという行為すらも戸惑わなかったのだと思う。