硝子戸の外へ。

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行き詰まりと息詰まり。

2024-07-14 16:53:52 | 日記
SNS上では都知事選が終わった後も候補者への批判が相次いでいる。
もう目にするものしんどいので瞬間的に飛ばしてゆくのであるが、その粘着力には驚きを隠せない。

なぜ、そこまでこだわるのか。
当選者のこれまでの成果に疑問を持つ人々が批判し続けるのは「よくならない」という思いからであると察しが付くが、落選者に対しては落選した時点で批判する理由はなくなるはずである。

粘着する事にメリットがあるのだろうか?

もしあるとしたら、自分の正しさを他者から認められたい気持ちに執着しているか、当選者が辞退する状況が生まれた時に、落選者が繰り上がらないよう止めを刺しておく必要があるという組織的な動きによるものかのどちらかであるように思う。

どちらにしても、第三者から見ればその行為は「イジメ」にしか映らない。
SNSを駆使する人々は、「いい大人」であるはずなのに、なぜ行為が稚拙なのだろう。

直接的な被害を受けているなら、恨みを晴らしたいという感情が残り続けるが、多くの人がそうでない人であるはず。
なのに、なぜそこまで執拗に批判し続けるのだろうか。
正解は全く分からないが、もっとシンプルな理由として、日常で他者と会話する事がほとんどない人物が、SNSでその喪失感を充足する為に執拗に批判しているのかもしれない。

だとしたら、個人主義も行き詰まりの所まで来ているといえるのかもしれないし、そのような世の中では息も詰まるのではないかと思う。

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