以前から気になっていた「坂道のアポロン」というアニメ。とりあえず一話だけ観てみるかと軽い気持ちで観てみたら、やっぱりハマってしまい、続きのDVD3巻を一気に観る。(笑)
原作があるという事で書店にてボーナストラックを購入。マンガでも面白い。
そこで、もし、彼らが実在したら2012年の現在はどうなっているのだろうか。と考えだしたらなんだか面白くなってしまい、思わずノートに走り書きをしてしまった。
きっと、こんな感じなのかなぁ。
川渕千太郎 63歳 神父兼教会に併設されている孤児院「聖母の家」の責任者。島内の高齢化に伴い老人介護事業も検討中
千太郎の妻。58歳 「track4」のロケットを拾ってもらった失語症少女。「track5」時では福祉大学生、21歳 洗礼を受けクリスチャンとなっている。1985年に千太郎と結婚、女児を出産 現在はソーシャルワーカー兼施設長として千太郎と共に孤児院を切り盛りしている。 なお女児は現在27歳 父母の影響を受け、保母として佐世保市内の保育園勤務。
西見薫 63歳 佐世保市民病院勤務。院長補佐。後進を育成しつつ診療所への支援等地域に密着した医療に力を注いでいる。また、福祉事業に携わる千太郎やその妻との相談にものり公私にわたり共に歩んでいる。
西見(迎)律子 63歳 元小学校教員 2児の母 出産後 教員を退職し専業主婦へ。教会員としてボランティア活動を行いつつ、現在も心身が繊細な薫を支えている。相変わらず相思相愛な二人である。
西見 長女 1980年生まれ。 現在32歳 中学校教員 学生時代、吹奏楽部に所属しテナーサックスを担当。教育学部卒業後、赴任先の中学で教鞭をとる傍ら吹奏楽部顧問として活動中。 既婚しており 夫 他校の教員 35歳 と共に幸せに暮らしている。
西見 長男 1982年生まれ。 現在30歳 高校卒業後、大阪の大学へ進学。祖父勉の影響もありコントラバスも使うが、マーカスミラーのプレイに感動し、エレキ・ベーシストとして学業もそこそこにバンド活動に夢中になる。(その為ギター、ドラム、キーボードもそこそこにプレイできるようになる)そのまま大阪で就職しバンド活動していたが、28歳(2010)帰郷。その後、今までの培った経験をもとに「ムカエレコード」をライブハウスに改築、経営し、その傍らミージックスクール行っている。地元でのライブも行っており、薫似の甘いルックスに加え、巧みな演奏を奏でるそのライブに偶然千太郎の長女が来ていて、彼に恋をしてしまったらしい。
桂木純一 67歳 東京の某出版社 副社長。現在も甘いルックスとトランペットとチェットベイカーばりのボーカルは健在。キレのある思考と言葉を持つため、業界はもとより、多方面からも「政治家になられては」と、押されるが学生時代の苦い経験からその話題が出ると巧みな言葉でけむに巻いてしまう。 双方の実家との絶縁状態は双子の誕生によって解消され現在は良好な関係を保てている。
桂木(深堀)百合香 63歳 1978年双子を出産。子育てが一段落すると、東京の美大へ入学。卒業後、バイト先での関係で舞台美術を請け負う仕事の担当となる。現在も仕事をしつつ日展等(絵画)への出展も行っている。
桂木 長女 1978年生まれ 34歳 誰もが憧れる天賦のルックスの持ち主。中学生の頃からモデルを始める。都内の高校卒業後、オートクチュールのモデルも務める傍ら、父親譲りのリズム感を開花させ、ジャズボーカリストとしてCDも出している。現在も活躍中。既婚 夫 34歳 出版社勤務。余談ではあるが彼女のデヴューに一番喜んだのは千太郎である。
桂木 二女 34歳 天賦のルックスを持ちながらも、ショウビジネスには無関心。文系の大学を卒業後、父純一の出版社に入社。現在はファッション雑誌の編集長。撮影現場でカメラマンからモデルを進められるも姉の事もあってか、かたくなに断り続けている。 独身。
迎勉 83歳 1979年 一人娘律子の結婚後、しばらく独居。「ムカエレコード」を1994年まで営業。レコードからCDへ移行しつつあるなかでも、レコードにこだわりつつけるも時代の波には勝てず。閉店後しばらくは音楽を通じての仲間と交流しつつ年金生活を楽しんでいたが、風邪をこじらせ喘息再発、体調を崩す。2000年に律子宅へ身を寄せる。握力の低下によりコントラバスを使う事が難しくなるが、律子と薫から「サイレントベース」をプレゼントされ、「こがんもんベースじゃなかっ。」と拒否しつつも最新のテクノロジーに驚き、今では愛用している。西見 長女とのセッションは彼女が高校生時代に果たされており、スタンゲッツを彷彿させるテナーサックスの巧さに「プロになれ!」と進めていた。その場にいた千太郎、薫、も長女の才能を認めていたが、本人は「そげんもんきょうみなか。」と一蹴されてしまう。長女は照れ屋さんであったので、その場はそのように発言したが、後にジャズよりも吹奏楽の方が楽しいからと、父、薫にこっそりと語っている。
2010長男が帰郷し、ライブハウスを開きたいと相談を受けるも最初は渋ったが、(彼はロックを主としていた為)謙二(コントラバスの最初の持ち主)の遺志を引き継ぐ為に承諾。薫の共同出資で「ムカエレコード」はライブハウスへと姿を変えたが、現在も音楽の好きな人たちが集まる場所となっている。ちなみに西見長男がジャズをプレイする際はそのコントラバスが受け継がれている。
「音楽がある限り…。」
こうだといいんだけどなぁ。
小玉ユキ先生。勝手に妄想してごめんなさい。
原作があるという事で書店にてボーナストラックを購入。マンガでも面白い。
そこで、もし、彼らが実在したら2012年の現在はどうなっているのだろうか。と考えだしたらなんだか面白くなってしまい、思わずノートに走り書きをしてしまった。
きっと、こんな感じなのかなぁ。
川渕千太郎 63歳 神父兼教会に併設されている孤児院「聖母の家」の責任者。島内の高齢化に伴い老人介護事業も検討中
千太郎の妻。58歳 「track4」のロケットを拾ってもらった失語症少女。「track5」時では福祉大学生、21歳 洗礼を受けクリスチャンとなっている。1985年に千太郎と結婚、女児を出産 現在はソーシャルワーカー兼施設長として千太郎と共に孤児院を切り盛りしている。 なお女児は現在27歳 父母の影響を受け、保母として佐世保市内の保育園勤務。
西見薫 63歳 佐世保市民病院勤務。院長補佐。後進を育成しつつ診療所への支援等地域に密着した医療に力を注いでいる。また、福祉事業に携わる千太郎やその妻との相談にものり公私にわたり共に歩んでいる。
西見(迎)律子 63歳 元小学校教員 2児の母 出産後 教員を退職し専業主婦へ。教会員としてボランティア活動を行いつつ、現在も心身が繊細な薫を支えている。相変わらず相思相愛な二人である。
西見 長女 1980年生まれ。 現在32歳 中学校教員 学生時代、吹奏楽部に所属しテナーサックスを担当。教育学部卒業後、赴任先の中学で教鞭をとる傍ら吹奏楽部顧問として活動中。 既婚しており 夫 他校の教員 35歳 と共に幸せに暮らしている。
西見 長男 1982年生まれ。 現在30歳 高校卒業後、大阪の大学へ進学。祖父勉の影響もありコントラバスも使うが、マーカスミラーのプレイに感動し、エレキ・ベーシストとして学業もそこそこにバンド活動に夢中になる。(その為ギター、ドラム、キーボードもそこそこにプレイできるようになる)そのまま大阪で就職しバンド活動していたが、28歳(2010)帰郷。その後、今までの培った経験をもとに「ムカエレコード」をライブハウスに改築、経営し、その傍らミージックスクール行っている。地元でのライブも行っており、薫似の甘いルックスに加え、巧みな演奏を奏でるそのライブに偶然千太郎の長女が来ていて、彼に恋をしてしまったらしい。
桂木純一 67歳 東京の某出版社 副社長。現在も甘いルックスとトランペットとチェットベイカーばりのボーカルは健在。キレのある思考と言葉を持つため、業界はもとより、多方面からも「政治家になられては」と、押されるが学生時代の苦い経験からその話題が出ると巧みな言葉でけむに巻いてしまう。 双方の実家との絶縁状態は双子の誕生によって解消され現在は良好な関係を保てている。
桂木(深堀)百合香 63歳 1978年双子を出産。子育てが一段落すると、東京の美大へ入学。卒業後、バイト先での関係で舞台美術を請け負う仕事の担当となる。現在も仕事をしつつ日展等(絵画)への出展も行っている。
桂木 長女 1978年生まれ 34歳 誰もが憧れる天賦のルックスの持ち主。中学生の頃からモデルを始める。都内の高校卒業後、オートクチュールのモデルも務める傍ら、父親譲りのリズム感を開花させ、ジャズボーカリストとしてCDも出している。現在も活躍中。既婚 夫 34歳 出版社勤務。余談ではあるが彼女のデヴューに一番喜んだのは千太郎である。
桂木 二女 34歳 天賦のルックスを持ちながらも、ショウビジネスには無関心。文系の大学を卒業後、父純一の出版社に入社。現在はファッション雑誌の編集長。撮影現場でカメラマンからモデルを進められるも姉の事もあってか、かたくなに断り続けている。 独身。
迎勉 83歳 1979年 一人娘律子の結婚後、しばらく独居。「ムカエレコード」を1994年まで営業。レコードからCDへ移行しつつあるなかでも、レコードにこだわりつつけるも時代の波には勝てず。閉店後しばらくは音楽を通じての仲間と交流しつつ年金生活を楽しんでいたが、風邪をこじらせ喘息再発、体調を崩す。2000年に律子宅へ身を寄せる。握力の低下によりコントラバスを使う事が難しくなるが、律子と薫から「サイレントベース」をプレゼントされ、「こがんもんベースじゃなかっ。」と拒否しつつも最新のテクノロジーに驚き、今では愛用している。西見 長女とのセッションは彼女が高校生時代に果たされており、スタンゲッツを彷彿させるテナーサックスの巧さに「プロになれ!」と進めていた。その場にいた千太郎、薫、も長女の才能を認めていたが、本人は「そげんもんきょうみなか。」と一蹴されてしまう。長女は照れ屋さんであったので、その場はそのように発言したが、後にジャズよりも吹奏楽の方が楽しいからと、父、薫にこっそりと語っている。
2010長男が帰郷し、ライブハウスを開きたいと相談を受けるも最初は渋ったが、(彼はロックを主としていた為)謙二(コントラバスの最初の持ち主)の遺志を引き継ぐ為に承諾。薫の共同出資で「ムカエレコード」はライブハウスへと姿を変えたが、現在も音楽の好きな人たちが集まる場所となっている。ちなみに西見長男がジャズをプレイする際はそのコントラバスが受け継がれている。
「音楽がある限り…。」
こうだといいんだけどなぁ。
小玉ユキ先生。勝手に妄想してごめんなさい。