田中雄二の「映画の王様」

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『無法松の一生』

2020-11-10 10:19:43 | 映画いろいろ

 今回は見ることができなかったが、東京国際映画祭で『無法松の一生』(43)の4Kデジタル修復版が上映され、NHKの「ニュース9」でも触れられていた。この映画を初めて見た時に書いたメモが残っていた。監督の稲垣浩が、検閲でカットされた無念を晴らした三船敏郎版も好きだ。

『無法松の一生』(43)(1980.5.24.日本映画名作劇場)

 めったに見ることができない、戦前の名作映画が、稲垣浩監督の死去に寄せて特別放映された。阪東妻三郎の主演映画は、以前、サイレントの『雄呂血』(25)を見ただけなので、トーキー映画としては初の対面となった。

 阪妻が演じる富島松五郎=無法松は、そのセリフ回しも含めて、最初は何だか変な感じがして戸惑ったのだが、見ているうちに、これが彼の“味”なのだと気付いた。以前見た、三船敏郎版も好きだが、この阪妻の味や存在感の大きさにはかなわない。

 人力車と子役(後の長門裕之)を巧みに使い、松五郎との見事なコントラストを見せるところが素晴らしい。見ながら何度も涙を誘われるのは、松五郎という無学な男を、ただの乱暴者ではなく、手の届かない未亡人(園井恵子)を慕う、優しさと純情の持ち主として描いているからだろう。

『無法松の一生』(58)(1982.11.29.千代田劇場.併映は『怪談』)

 この映画は、前にテレビで見たことがあり、オリジナルの阪妻版も合わせれば3度目になるのだが、今回ほど、見ながら泣かされたことはなかった。三船敏郎演じる松五郎の態度が、あまりにも悲しい道化のように見えてしまったのだ。

 好きな人にいくら尽くしても、決して報われることはない。それなのに、そうと分かっていながらも、尽くさずにはいられない姿…。これは『男はつらいよ』シリーズの寅さん(渥美清)や、最近の『蒲田行進曲』(82)のヤス(平田満)にも通じるところがある。否、それらの根底には、この無法松の物語が流れていると言った方が正しいのかもしれない。

 ただ、寅さんはいくら傷ついても、寅屋という帰るべき家があり、さくら(倍賞千恵子)をはじめとする肉親もいる。ヤスも最後は小夏(松坂慶子)と結ばれる。それに比べてこの松五郎の何と悲しいことか。

 彼は最後まで慕い続けた未亡人(高峰秀子)に気持ちを理解されない。彼女の方は息子だけが生きがいで、松五郎の優しさの本当の意味が分からない。だから、彼の死後、初めてその本心を知り、涙する姿に、複雑な思いを抱かされるのだ。

 また、この映画は、松五郎を囲む人々を演じた、笠智衆、田中春男、多々良純、有島一郎、稲葉義男、大村千吉、谷晃らが、実にいい味を出していることも特筆に値する。

「カツライス劇場」『無法松の一生』と『王将』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c51b40ad7df8a33137767d8fb0eaf04f


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