(1986.7.21.月曜ロードショー)
荻昌弘です。今晩は。実は、私たちが初めて岩下俊作原作、伊丹万作脚本、稲垣浩監督、そして阪東妻三郎主演のモノクロの映画『無法松の一生』に接したのは、昭和18年、戦争の真っ最中のことでありました。
あの真っ暗な世相の中で、モノクロ版の『無法松の一生』が、観客の一人一人、例えば、その当時18歳の少年だった私の心にともした灯の熱さ、明るさ。これはもう、今の時代に向って説明しようとしても、説明し切れないものがあるというふうに思います。
まあそれは、本当に、あらゆる作品を通して、この『無法松の一生』というのは、戦争中の日本映画が生んだ最高傑作であると。しかし、その最高傑作を生んだ作り手たちには大きな不満が残った。
と言いますのは、この『無法松の一生』。つまり、生きることを知り、そして、人を愛することを知ったこの男の物語、その愛のテーマの一番重要な、その愛が本当にほとばしるその瞬間を、当時の検閲は切り落としてしまったわけですねえ。
で、それを不満とした稲垣浩監督が、昭和33年になって、つまり、日本映画がカラーとワイドを獲得したその時代になって、改めて、同じ伊丹万作の脚本で作り直したのが、今日これからお楽しみいただく、新しい『無法松の一生』であるわけなんです。
で、阪東妻三郎のあの無法松に代わって、ここでは三船敏郎。もう本当に、当代きっての、迫力の男優が無法松を演じて、そして、この無法松の憧れの結晶になる将校の未亡人には高峰秀子。本当に、当代を代表する両名優がこの名作を飾った。ここで、また素晴らしい作品が生まれ出たわけです。
で、もう私は、これ以上この『無法松の一生』という物語に関して何もお話する必要はないとも思います。つまりこれは、ごく自然に、私たち日本人の胸に染み通ってくるいい話です。しかし、ただ一つ、これが1958年のベニス映画祭に出品されて、そして見事に最高の金獅子賞に輝いた。つまり、極めて日本的である『無法松の一生』の物語というのは、また優れて地球的である。大事なのはこの点だと思います。
このシナリオを書きました伊丹万作さんは、あの『お葬式』(84)や『タンポポ』(85)の伊丹十三監督のお父さんである。これはもうご存じの通りです。まあ、それを言えば、私はあの『タンポポ』のラーメン屋さんのお話にも、実はこの『無法松の一生』の物語の匂いを嗅ぎ取るわけです。
そして、この伊丹万作という人がいかに立派な人であったか、今日のこの映画の中でも聞き取れました。お母さんが息子に向かって言う、「敏男さんも男だから、松五郎さんのように、何でも思うたことを平気でずんずんやる勇気を持たにゃいかんですよ。分かった」。まあ、今では何でもなく聞こえます。しかし、思ったことをずんずんやる勇気。これを戦争中に人間の価値として伊丹万作は宣言したわけです。
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