『不法侵入』(92)(1993.1.20.丸の内ピカデリーⅡ)
警官ピート
ある夜、ロサンゼルスの高級住宅地に住む夫婦(カート・ラッセル、マデリン・ストウ)の家に泥棒が侵入する。捜査に来た警官の一人ピート(レイ・リオッタ)は、彼らに優しく接し、その後もいろいろと助言をする。だが、やがて、ピートの裏に潜む狂気が浮き彫りになる。警官に狙われた夫婦の姿を描いたサイコスリラー。
この映画を見ると、嫌でも最近起こった二つの事件が思い浮かぶ。ロスの白人警官による黒人暴行事件、そしてハロウィーンに起きた日本人留学生の射殺事件である。
と、われわれ日本人はつい意識的に結び付けて特別なものとして考えてしまうが、アメリカという巨大で、雑多な問題を抱える国では、むしろこうした事件は日常的で、身近な問題なのかもしれない。
そこがうすら寒くて怖いというべきか。最近のアメリカ映画で多発される家族ものやベトナムものをも凌駕する形で、この映画のようなサイコスリラーが幅をきかせている。それらは勧善懲悪や謎解きの面白さとは違い、見終わった後で、一体誰を、何を信じて生きていけばいいのか、といったやるせなさや空しさを感じさせる。
例えば、マーティン・スコセッシの『ケープ・フィアー』(91)同様に、この映画も被害者側に、豪邸に住むお気楽なヤッピー族という、素直に同情できないようなキャラクター設定がなされており、彼らに対して、過酷な仕事をしながらそれに見合った生活ができない警官の屈折が描かれる。そこで、無意識の差別や階級差が生み出すゆがんだ犯罪像が浮かび上がってくるわけである。
ただし、ジョナサン・カプランの演出がいま一つで、例えば、シドニー・ルメットの骨太な問題提起映画などと比べるとしまらない。というわけで、折よく予告編が流れたルメットの『刑事エデン/追跡者』(92)も見てみるか。
先に、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズ共演の『レナードの朝』(90)を見た時に、こういう個性の強い俳優が共演した際は、その役柄を取り換えて考えてみるのも面白いと思った。その例でいけば、この映画のラッセルとリオッタの“逆転配役”にも興味が湧いた。
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