大学時代の1980年前半に、東洋現像所(現IMAGICA)でアルバイトをしていたのだが、その際、毎年和田さんが描いた映画の名場面を使ったカレンダーが発行され、それを集めるのが大きな楽しみになっていた。バイトを辞めた後も、何年間かは社員の人にお願いして手に入れていた。カレンダーとしての使命を終えた後は、絵だけを額に入れて飾っていた。これらは『IMAGICA SCREEN GRAFFITI』としてまとめられている。
2008年10月26日、表参道のHBギャラリーに、和田誠さんの個展「ラストシーン」を見に行った。映画のラストシーンだけを描きおろした油絵20点が間近で見られたのはうれしかった。自作の『麻雀放浪記』をはじめ、チャップリンの『街の灯』『モダン・タイムス』などのモノクロ映画もカラーで描かれている点が興味深かった。意外だったのが、ジョン・ウェイン主演の『怒涛の果て』が入っていたこと。これが一番のお気に入りとなった。
2011年8月20日、世田谷文学館で開催された和田誠展「書物と映画」の一環として、「文学とジャズ」と題されたミニコンサートが行われ、解説を務めた和田さんと、初めて対面することができた。今から思えば、とてもいい思い出になった。
和田さんの映画以外のエッセーなど。楽しみながらいろいろと勉強をさせてもらった。
講談社文庫
『落語横車』(84)『日曜日は歌謡日』(86)『にっぽんほら話』(88)
角川文庫・文春文庫
『きなきな族からの脱出』(84)『ビギン・ザ・ビギン』(86)『銀座界隈ドキドキの日々』(93)『いつか聴いた歌』(96)
1.『艶笑・廓ばなし・上』2.『艶笑・廓ばなし・下』3.『長屋ばなし・上』4.『長屋ばなし・下』5.『お店ばなし』6.『幇間・若旦那ばなし』7.『旅・芝居ばなし』8.『怪談・人情ばなし』9.『武家・仇討ばなし』10『上方ばなし』別巻『艶笑江戸小ばなし』
『マイナス・ゼロ』『ツイス』『エロス』『鏡の国のアリス』『T型フォード殺人事件』『タイムマシンの作り方』
『肉体の憎しみ』『野を駆ける光』『時さえ忘れて』
『小説・熱海殺人事件』(76)『初級革命講座飛竜伝』(77)『蒲田行進曲』(81)『銀ちゃんがゆく』(88)『長島茂雄殺人事件』(88)
『名探偵もどき』(83)『捕物帖もどき』(84)『チャンバラもどき』(88)
『平賀源内の生涯』(88)『ファーブルの生涯』(89・ルグロ)『くまぐす外伝』(91)『レミは生きている』(93)『陰者の告白』(94)
『完全脱獄』(80.訳・宇野輝雄)『夜の冒険者たち』(80・訳・山田順子)
『リトル・チルドレン』(90・訳・吉田ルイ子)『ディア・ベイビー』(91・訳・関汀子)『ヒューマン・コメディ』(93・訳・関汀子)『ワン・デイ・イン・ニューヨーク』(99・訳・今江祥智)
『十二人の指名打者 野球小説傑作選』(83・サーバー他/訳・稲葉明雄/永井淳/村上博基)『空中ブランコに乗る中年男』(87・訳・西田実/鳴海四郎)
和田誠さんの著書編。
『お楽しみはこれからだ』シリーズは自分にとってはバイブル。その他、表紙の絵が違うと文庫版まで買ってしまった。
『お楽しみはこれからだ』(75・文藝春秋)
『お楽しみはこれからだPART2』(76・文藝春秋)
『たかが映画じゃないか』(対談・78・山田宏一/文藝春秋/85・文春文庫)
『お楽しみはこれからだPART3』(80・文藝春秋)
『シネマッド・ティーパーティ』(80・講談社)
『映画に乾杯』(対談集・82・キネマ旬報社)
『映画に乾杯2』(対談集・85・キネマ旬報社)
『モンローもいる暗い部屋』(85・編書/新潮社)
『お楽しみはこれからだPART4』(86・文藝春秋)
『IMAGICA SCREEN GRAFFITI』(89・イマジカ)
『ブラウン管の映画館』(91・ダイヤモンド社/95・ちくま文庫)
『シネマッド・カクテルパーティ』(91・講談社)
『お楽しみはこれからだPART5』(95・文藝春秋)
『お楽しみはこれからだPART6』(96・文藝春秋)
『お楽しみはこれからだPART7』(97・文藝春秋)
『それはまた別の話』(97・三谷幸喜/文藝春秋)
『これもまた別の話』(99・三谷幸喜/文藝春秋)
『今日も映画日和』(対談・99・川本三郎/瀬戸川猛資/文藝春秋/02・文春文庫)
『光と嘘 真実と影 市川崑監督作品を語る』(対談・01・森遊机/河出書房)
『シネマ今昔問答』(04・新書館)
『シネマ今昔問答 望郷篇』(05・新書館)
『書物と映画』(11・世田谷文学館)
『映画は存在する スクリーンを信じ続ける作家たち』(75・渡辺武信/サンリオ出版)
『汚れた顔の天使 ジェームズ・キャグニー自伝』(76・訳・山田宏一/宇田川幸洋/出帆社)
『白井佳夫の映画の本』(77・話の特集)
『映画の部屋のお客さま』(77・淀川長治対談集/TBSブリタニカ)
『映画・映画・映画』(78・淀川長治/講談社)
『インタビュー・ジョン・フォード』(78・ピーター・ボグダノビッチ/訳・高橋千尋/九藝出版)
『映画的神話の再興 スクリーンは信じ得るか』(79・渡辺武信/未来社)
『ロビン・フッドに鉛の玉を』(79・スチュアート・カミンスキー/訳・和田誠/文藝春秋)
『子供たちの時間』(79・フランソワ・トリュフォー/訳・山田宏一/講談社)
『ヘンリー・フォンダ マイ・ライフ』(82・ハワード・タイクマン/訳・鈴木主税/文春文庫)
『虹の彼方の殺人』(82・スチュアート・カミンスキー/訳・和田誠/文藝春秋)
『映画が好きな君は素敵だ』(84・長部日出雄・編/集英社文庫)
『サタデー・ナイト・ムービー』(84・都筑道夫/集英社文庫)
『シネ・ブラボー1』(84・山田宏一/ケイブンシャ文庫)
『グルメのためのシネガイド』(84・淀川長治/渡辺祥子/田中暎一/ハヤカワ文庫)
『ハリウッドをカバンにつめて』(84・サミー・デイビス・ジュニア/訳・清水俊二/ハヤカワ文庫)
『シネ・ブラボー2』(85・山田宏一/ケイブンシャ文庫)
『音のない映画館』(86・佐藤勝/立風書房)
『シネ・ブラボー3』(86・山田宏一/ケイブンシャ文庫)
『ティンセル』(86・ウィリアム・ゴールドマン/訳・沢川進/角川書店)
『ジョン・フォード伝』(87・ダン・フォード/訳・高橋千尋/文藝春秋)
『HEY!スピルバーグ』(88・小林弘利/角川文庫)
『アラウンド・ザ・ムービー』(89・森卓也/平凡社)
『映画を夢みて』(91・小林信彦/筑摩書房)
『フランシス・コッポラ』(91・ピーター・カーウィ/訳・内山一樹/内田勝/ダゲレオ出版)
『マリオネットの葬送行進曲』(91・フランク・デ・フェリータ/訳・日暮雅通/文春文庫)
『グッドモーニング、ゴジラ』(92・樋口尚文/筑摩書房)
『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか―ロジャー・コーマン自伝』(92/訳・石上三登志/早川書房)
『我輩はカモじゃない』(94・スチュアート・カミンスキー/訳・田口俊樹/文春文庫)
『ハワード・ヒューズ事件』(98・スチュアート・カミンスキー/訳・土屋晃/文春文庫)
『吸血鬼に手を出すな』(99・スチュアート・カミンスキー/訳・長野きよみ/文春文庫)
(2006.10.7.)
セオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』(文春文庫刊)を読了。文庫上下巻でほぼ1000ページの破天荒な超大作。舞台は1960年代から70年代。大筋は映画学科の教授になった元映画フリークが、戦前に活躍しながら行方不明になった謎の監督が映画の奥に隠した秘密の技法とキリスト教の異端教団との関係に迫る…という謎解きを含んだ一種のホラ話なのだが、そこに実際の映画史や宗教史が盛り込まれるから必然的に話は壮大になる。
上巻は一気に読めるが、下巻の前半はちょっとダレて正直読むのがつらかった。だがそれを超えるとまるで麻薬のように読むのがやめられなくなる。もっともラストは大山鳴動して鼠一匹という感じがしないでもないが。
主人公が魅かれる謎の映画監督マックス・キャッスルはもちろん架空の人物だが、フリッツ・ラング、カール・フロイント、エド・ウッド、ロジャー・コーマンなど、モデルとなったであろう複数の人物が想像できる。そして、そこにオーソン・ウェルズやジョン・ヒューストンもからんでくるから、読んでいるうちにどこまでがホラ話なのかが分からなくなる“快感”が味わえ、全編を読み終わると副題通り“映画の魔力”を強く感じさせられる。映画フリークでなければ書けない、まさに怪書と言える。
惹句は「異能の映画スタッフが、いわく付きの脚本を映画化するために集い、さまざまな困難を経て、映画を撮り上げる姿を描く職業小説」。
タイトルは聖書の「神は7日で世界を造った」という天地創造にあやかり、「映画の創造は7日では無理。もっと大変だ」ということを暗に表現している。
前半は、それぞれのスタッフを描いた連作短編の趣があって面白い。彼らが集う後半の中編「アンダー・ヘヴン撮影記」は支離滅裂だが、読者を引き込むパワーがある。ただ脚注的に挿入されるさまざま映画に関する説明はかえってじゃまな気がした。
文庫600ページを超える大冊で、セオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』をほうふつとさせ、映画製作にまつわるカオス的な世界が描かれるのだが、結末は大山鳴動して鼠一匹の感もあり、これも『フリッカー~』と同様。ただ作者の映画への熱い思いは痛いほど伝わってきた。映画好きには一読をお薦めする。