爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 w

2014年08月31日 | 悪童の書
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 ぼくの町には映画館があった。駅とつながっていたが、駅自体が高架になったり、近くの環状道路の計画にあわせて少しずつ場所を変えた所為か、分離する結果になり、結局は隣接という形におさまった。

 駅のそばにふたつのおもちゃ屋があり派閥とまでは行かないが、駅の場所によって、儲けが変わってくるだろうな、と大人の頭は考えるとしても、日常的に電車に乗らないころの年齢なので、意に介さない。

 いつ頃か明確ではないが、映画館の階段を登る途中に女性が接客してくれてお酒を飲ませる場所があった。左右あった階段の左側である。友人と違って行く気もなかった自分は、女性の年齢層や容姿も内装も知らないままで終わっている。媚というものが基本的に苦手なのだろう。この性分は直りそうもない。

 隣町にも小さな古びた映画館があり、通常は大人相手のフィルムを流していたが、ある時期になると子どものためのマンガ祭りと評するものを上映した。ロビンちゃんは大人になり、歌をうたった。ロボコンという無骨な格好のヒーローの話である。

 柴又の風来坊の新作ができると、町の名画座は活気づいた。ぼくらは、子ども時代なので、その通過儀礼を受け入れることもできず、ライオンズのキャッチャーのアニメでお茶をにごした。同時上映のスター・ウォーズを見逃しているので愚かであることも立証できる。裕福な友人のお小遣いで、「ガンダム」も見た。ある日、その場所で騒ぎ過ぎてこわい兄ちゃんに座席の背中を思いっ切り蹴られた。一時は、シュンとなったであろうが、それも良い思い出のひとつになってしまった。

 高校になり、学校をさぼる。「ライト・スタッフ」という長い映画を観ながら無駄にならないようにお弁当を食べて、片や、宇宙飛行士にあこがれる感情をいだいていた。勉強と医学と工学と、サボるということを同一に並べられないぐらいに愚かなままであった。「インドへの道」という不可思議な映画のことも深く印象に残っている。ある程度の時間になって、家に帰る。弁当箱は見事に空である。一日分の知識は放り込めなかった。

 別の隣町にも映画館があった。ぼくらは週末、酒を飲み、時間を潰すためにそこに入った。牛乳を飲むと欲情する外国女性が出てきて、意味も理解できないまま数日間の楽しい話題になった。

 学校の体育館で生徒を相手に映画会が開かれた。どこかで迷った少年の隔絶された過酷な生活が描き出されていた。食糧の調達もままならず、記憶が定かであれば小型の可愛らしい愛犬の肉を食べていた。その後のいたいけな少年たちには待ち遠しい給食の時間が待っており、ぼくらは当然、ブーたれる。教師も厄介な問題を軽々しく持ち込むものである。外的な要因で食欲を殺がれるという経験のはじめてのことかもしれない。体験したくもなかったのに。

 計画していた環状道路が完成する。ぼくらの小学校の真ん前である。公害と騒音が話題になったが、勉強の集中力の低下は自分には起こらなかった。しない理由は、たくさん生み出される。電車の駆け込み乗車を防ぐアナウンスがあっても、するひとは永遠にするのだし、しないひとは行儀よくずっとしないものだ。ひとは聞きたいものを聞く。

 記憶というものは不確かなものだ。あの町の名画座のポスターが町角にあった所為か、「テルマ&ルイーズ」という映画をあの場所で観た気になっているが、違う機会にビデオという代用で鑑賞したのかもしれない。安い値段で映画を二本見ることができた。時間もゆっくりと流れていたのだろう。

 女性とデートのときは場所を変えることになる。イベントになれば町という背景が重要なことになる。ぼくは新宿でひとりで新作の映画を観て、それほど多い機会でもなかったが渋谷では女性といた。もっとマイナーなものを期待すると、どこかの隠れ場所のようなところで堪能することになる。そのための雑誌があった。わざわざ誰かの調査が加わった努力の結晶の雑誌が発刊されている。ぼくはあの表紙のイラストになることをいつか願うが、もう廃刊である。もちろん継続中でも、表紙を飾ることなどない。

 同じ町のなかで引っ越し、小学校に近くなったのもつかの間、中学までは元の家より遠退いた。そのために、床屋の場所を変える。子どもにとってはエポック・メーキングなできごとである。前の主人は腕の毛が濃いのに、頭髪はさびしかった。その反比例な姿を髪を切られながら理不尽に思っている。自分は腕の毛が濃くなることも同時に恐れるようになる。

 前の家から駅までは一本の道であった。友人や一つ上の生徒の父たちの商店がいくつかある。母は駅の近くの商店街の途中まで歩くだけで大勢の知り合いと会話をした。兄は面倒くさがり付き合わないが、ぼくは小遣いで足りない分を同行することによって補い、買ってもらうことにしていた。弟が生まれる前のぼくがヒーローを占有していたころの家族の話だ。無口な女性を潜在的に求める前の時期でもある。砂漠には針ぐらい落ちているだろう。

 無数の映画を観てきた。この町で観たのは、割合からするとほんのわずかになってしまった。またもや、隣町には映画館ができるが、ショッピング・モールのなかの一角で、陰気な顔のもぎりの女性などサービス業にふさわしくないと思われている時代になってしまった。ポップコーンも、もうむかしの味付けではない。




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