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繁栄の外で(59)

2014年06月29日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(59)

 その後、フランスに行って、スペインに行って、またフランスに行った。モンサンミシェルを2度見て、1回サグラダ・ファミリアを見た。どうしようもなくヨーロッパに引き寄せられていた。いつも感じるのは、生まれるべきところを間違えてしまったのではないか? ということだった。だが、自分が作られる過程として、ぼくの育ったところも捨てきれなかった。

 自分が過去にした選択で一番良かったであろうことは、積み立て式の生命保険に入ったことだ。毎月、一定額を銀行から引かれたが、数年置きにまとまったお金が使えるようになった。それを、自分は旅行代金に充てた。保険に入る必要もないほど、自分の肉体は頑健であった。その健康であることを捨てない身体は、狭い機内に耐え、その後の喜びはひとしおだった。

 スペインはイスラム文化の影響が濃く、点在している建物もイスラム建築が残っていた。それは、どのような様式よりも美的な観点からも優れていた証しとなっていた。アルハンブラ宮殿で自分の目を楽しませ、街往く黒髪の女性の美しさも堪能する。しかし、いつでも言語に限界を感じた。ぼくらは、アメリカの方に目を向けて育っていた。英語を使いこなせるようになれば、世界は自分のものになるという誤解があった。それは、世界共通語としても、普通には使えなかった。イタリア人はサービス精神が旺盛であるため、片言の英語でもなんとかなったが、スペインのバールで赤ワインをおいしそうに飲みながら話しかけてくれるおじさんへの応対としては、使えるものではなかった。フランスでは、それは何の役にもたってくれなかった。こうして、誤解が誤解として機能しており、それを取り除くには、自分の脳はもう堅くなり始めていた。

 料理もその地方独特のものもあった。自分は、こだわりが意外とすくない人間であることを認識する。ある人々は肉が硬過ぎる、と言い、ある人々はサラダの味付けに文句をいった。彼らは、総体的に言っているだけで、それを文句としてすら考えていないのかもしれないが、ある面では自分の楽しい気持ちがそがれた。ぼくらは、家で自分の料理を作っているわけではないのだ。できるだけ譲歩する必要がある。

 しかし、すべては楽しいものだ。若い頃に考えていたことだが、自分はパリにある主要な美術館を網羅する必要をかんじていた。それは、ルーヴルであり、オルセーであり、オランジェリーであり、マルモッタン美術館であった。本来なら一日、一美術館をゆっくり時間をかけて観覧したいところだが、時間の関係もありすこし急ぎ足だが、それらを廻ることもできた。意識してテレビ番組をみて作品の知識を増やしていたが、それらの本物を観る喜びは何にも替え難いものだった。

 モナリザはきょうも微笑んでおり、ロダンの彫刻は堅牢に立っていた。シスレーやピサロはあるべき形できちんと評価され(送りバントのうまい2塁手のようか?)居場所を確立していた。しかし、あまりにも量的なものがぼくの脳を侵し、段々と正当な評価を下せなくなっていく。春の浜辺に眠っているアサリのように、それらはただごろごろと転がっていた。本場のもつ力でもある。

 そして、生きるということの不器用さにかけては、誰も到達できないゴッホがいた。彼の自画像は自分を圧倒的なまでに魅了した。彼は自分の汚れ切って履きつぶした靴を描いてすら、自分自身になっていた。ぼくも文章でそんなことを表現できたら、と常に考えていた。ローマ史や幕末の話を読むことが好きな自分であったが、根本的には自分にもたれかかったことを書く以外のことはできそうになかった。

 オルセーには彼のための一室があった。生きている間はドタバタしていたであろうが(弟がいなかったら、この人の生存自体が危うい)、きちんと空調のきいたしっかりとした部屋で、ゴッホの絵画は保管されていた。ぼくは、それらを前にして目の奥が熱くなってきた。そして、ひとの評価は大事だろうが、それを今日や明日に求めてはいけないのであろうな、とも思う。普通に生きるためには、それは恐れるべきものでもあった。生きている誰かに暖かい言葉をかけられるために(たまにはがっちりと腕をからめられた抱擁に)存在しているのが人間であるならば、それを放棄するのがどれほど困難であるかを、ゴッホは身をもって教えてくれた。また、そうまでさせてしまう彼の内面の衝動にも単純にびっくりする。いまも、地球のどこかで、そのようなひとがいるのだろう。アフリカの荒地でくずれかけたサッカーボールを追いかけている少年かもしれないし、南米のどこかで自分が作ったきれいな洋服を全世界で着られていることを望んでいる少女かもしれない。ゴッホの一枚の絵は、ぼくにそのような果てしない希望を与えてくれた。

 ぼくはパリにいる。レストランでチップを払うことも大した出費ではない。だが、絵の具のことを心配し、そのことを必死に弟への手紙を書き綴った彼も、ここのどこかにいたのだろう。そう思い、ぼくはその空気を吸う。