爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

繁栄の外で(42)

2014年06月12日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(42)

 御茶ノ水で働くようになっている。近くには、水道橋があり湯島があり、本の街の神保町がある。

 自分は意識して交友範囲を広げようなどと考えたことはおそらく一度もないだろう。それでも、まったくそういったものを排除しようと意図したこともない。多くのひとと同じように趣味があうひとがいれば、自然と仲良くなっていった。

 そこにひとりの青年がいる。ぼくより3、4才年下だったように思う。ある日、休憩時間にでも会話の糸口が見つかったのだろう。詳しくは憶えていないが、どちらかが本を片手に終わり行く休憩を楽しんでいたのだと思う。そこで自然に「なに、読んでいるの?」と訊いたのかもしれない。もしかしたら、自分がしらない名作がどこかに転がっているという漠然とした喪失感を恐れて。それで、どちらかが答え、どちらかが納得する。

 彼は、アメリカの文学が好きだった。歴史の浅い国であることから、ほんとうのクラシック(ギリシャ悲劇的な)を持たない代わりに、新大陸的な希望と厭世があったり、この体制へのやりきれなさと怒りをまとった文章があった。そこにはゲーテがいない代わりにヘミングウェイがいた。ミステリーの形を借りた、文芸作品(認めようが認めまいが)もあったりした。そういう意味合いでぼくはこの国の文章を捉えていた。彼は、どう思っているか知らないが、それでもアメリカの文学が好きであるといった。

 ヨーロッパから移ってきた民族(一部は迫害などを避け、亡命する文化人もいる)は新たな土地で希望をもつかもしれない。また逆に、どこにいってもいずれ希望などは廃れ行くものかもしれない。その気持ちが文章にあらわれないはずもない。そこに、非ヨーロッパてきなものがあるはずだし、もっと先には混沌とした南米の文学というものもある。

 ふたりはいつしか御茶ノ水から神保町にかけての坂をくだっている。途中には明治大学があった。中古レコード屋が並び、いくつかの大衆的な飲食店がある。それを過ぎ去り、有名な本屋に入る。ときには何かを買い、ときには評価するためだけにとどめ、ときには立ち読みした。

 それに飽きると、地下にあるビールが飲めるパブにはいった。冷たいコクのあるビールを頼み、ソーセージなどを食べながら、そのとき買った本の話をしたり、これから読むべきものを語り合った。たぶんそうした内容をはなす相手を深いところでは必要としていたのだろう。いつしかそれは、ビートルズのどのアルバムが好きか?  という話になったり、好きなミュージシャンの話になった。

 ぼくはノー・リプライという曲のことが好きといったような憶えもあるし、「ラバー・ソウル」というアルバムへの肩入れを語ったようにも思う。あのころのジョン・レノンの必死な声には何かしらのパワーがあった。もう死んでから30年近く(生きていたら70才)も経ってしまうが、彼の存在はまだまだ語り継がれていくのだろうか? そして、なによりも好きなロック・ミュージシャンは、ボブ・ディランとスライ&ザ・ファミリー・ストーンであった。ふたりをロックの範疇に入れてよいのか分からないが、(分類化が必要であるならば、フォークとファンクかもしれない)彼らの音楽の個性的なところがなにより好きであった。そして、個性というものがない芸術家やスポーツ選手などを応援する意味など、まったくないのかもしれない。

「そういう音楽が好きならば、村上春樹を好きになるはずだよ」と彼はぼくに向かって予言をすることになる。彼は、この作家の熱心な読者であった。その予言は当たることになるが、もう少し先の話だ。

 話が盛り上がると、ビールのジョッキの数も増えていった。しかし、限度を超えることはなかった。

 あんなにも話したのに彼の好きな音楽をあまり覚えていない。これが記憶の悲しい部分だ。3、4才違っただけでも同時代の音楽はそうとう変わってきてしまうだろう。

 彼は、ぼくより前にそこを辞めた。それで、ぼくはそのような内容を話す相手を失ったのだ。もともと本を読むということが孤独な作業であるように、もとに戻っただけかもしれない。

 そういった状態は一般的であるならば、学生時代に行われていく過程かもしれない。しかし、あの学生が多い町で自分もいくらか若返ったような印象をもち、本を選び、ビールを飲んだ。ぼくのハイデルベルク時代がそこにあったのかもしれなかった。