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繁栄の外で(48)

2014年06月18日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(48)

 何年間かテレビのない期間があった。いままで使っていたものが突然故障になり、そのまま壊れた箱のままの姿で無視していた。やるべきことも多く、ないことのメリットも確かにあったかもしれないが、入るべき情報が減ることは、もったいないといえばもったいないものでもあった。新聞もとっておらず、世間と隔絶してしまうような感じもしたが、電車に乗って広告に目を向ければ、充分なぐらいには知るべき情報が載っていた。総理大臣はいつも責められ、スキャンダルを起こす人はいつの時代にもいた。

 株価などにはそのときは興味はなかったが、それを確認したからといって自分の貯金額が増えるわけもなく、どう考えても日本の経済が先細りに向かっていることは誰の目にも明らかだった。

 たぶんフランスのワールド・カップの記憶が乏しいので、その時期にもぶつかっていたのだろう。それを見なくてもアンリとジダンの凄さはとっくの前に知っていた。その後も、飲食店で注文した料理ができるまでざっと新聞を読み、食べながら野球の日本シリーズを見たときもある。

 そのように時折、目にするぐらいがちょうど良いものでもあるかもしれないし、また、たまに目にするとテレビというものはリアルで即興性で楽しいものであった。だが、料理を食べ終えて会計を済ませ、家に向かえばそれらの映像はなくなっていた。静かに音楽を聴き、静かに本を読んだ。もっと生きるために必要(根源的な部分で)とする読み物も読んだ。

 過去にヨブというひとがいた。これを現在に置き換える。

 ヨブは、ある大きな企業に勤めていることにする。きれいな妻もいて、2人の息子とその子らの下に娘もできたということにする。東京の海の近くに開発されている地域にマンションも買い、そのローンも順調に返済していき、たまにボーナスが増えると繰り上げ返済も重ねる。自分には、スピードのための車があり、家族用の大きな車も2台目としてもっている。維持費に悩むこともあるが、売り飛ばすまでにはいたっていない。

 ヨブには、自分の周辺への愛情も深かったし、偽りでもない信仰心もあったのだ。

 ここで論争があるのだ。

 ある者が意義をいう。

「このような羨望に値する恵まれている立場のひとなら、神を信じることは簡単ですよね。もし、かわりに彼がそれらを持っていなかったとしたら、どうでしょう。そう易々と神を信じることは可能でしょうか?」

 裁判というのは双方の主張の戦いでもあるのでしょう。もう一方も受けて立つ。

「ヨブの動機をお前は疑っている。それらを全部奪った後に、それでも神を愛しているか、確認すればよいではないか?」

 なにも知らないであろうヨブは不幸に襲われる。仮に失業したとする。仮に災害にあって、可愛い息子と娘の命は若くして奪われる。友人たちがきて、お前のなにかが悪くその責任をお前が取らされているのだろう、と追及される。夫婦仲も悪くなり、このような状況を呪って、死んでしまえ、と妻にまでののしられる。

 ヨブはじっと耐える。

 自分は裸で産まれたのだし、もし裸でそこに帰ったとして何の損があるのだろう。神は与えることも奪うこともできるし、褒め称えようではないか。

「地球が最初につくられたときに、お前はどこにいたのか・・・」とヨブの耳には聞こえるようになる。

 検察側と弁護側の互いの証言も終わり、ヨブは無罪ということになる。彼はその後、祝福され失った同じ人数の子どもたちをふたたび目にすることになる。また財産も得て、彼の娘はどこの子よりも美人であった。モデル事務所にスカウトされるぐらいに美人であった。

 良くできた話であった。ストーリーとしてもばっちりだし、なかなか論争の湧く話題でもある。いまの自分はこれらのことを常識程度で知っている人生というのも、また良いものであるという認識である。

 ウディ・アレンという監督の映画の中のセリフで「ヨブぐらいに貧乏だよ」というものがあった。それを字幕でみた瞬間に、笑わない観客のなかでひとり声をだして笑ってしまった。悲劇の追求は、圧倒的なまでの喜劇にもなる。

 ぼくは、その後知人の引越しを手伝った。汗をかき、のどを乾かし、その見返りとして2台も必要もないということで小さなテレビを手に入れた。久し振りにみるテレビは驚愕するほど面白かった。なにかの論争の真っ只中にいたわけでもないがぼくの財産はこの手にしたテレビぐらいなものであった。

 それはいつしか奪われ、いつしか手に入った。

 山ほどの広告を見せられ、ニュースでは各局が協定しているような同じ内容をなんども見せられた。それで賢くなっているのかといえば、大してなっているとも思えず、だがなにかで暇をつぶさないことには明日というものはやって来ない。