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繁栄の外で(57)

2014年06月27日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(57)

 またもや自分の働いていた業務は終わり(企業も生き残りと経費削減に必死である)、新しいところに移る。自分は、前に短期で働いていたところに空きが出たということで、そこに誘われる。以前にそこでお世話になっていたとき、なかなか楽しく働けていたので、自分は戻ることには躊躇はなかった。

 短期のときに日比谷公園でおなじ職場の女性たちと、ランチを買って桜を見ながら食べた。丁度良いタイミングだったらしく、ピンク色の花びらはあざやかに公園内を彩っていた。そのことが楽しい思い出の象徴となり、またあの人たちに会いたいと思っていたが、再びいくと彼女らはいなかった。そのことでひとの入れ替わりが早いなにかの理由があるのであろう、とぼんやりとだが予感する。

 仕事中は、パソコンの前に座り続け、指先を動かした。となりのひとが何をしているのかも分からないほど集中するときもあった。

 ストレスも残業も増えたが、それがいやだったら生き残れないので、適度には頑張る。その頑張りで正社員さんたちにはきちんとボーナスが供給され、安定した生活が確保される。なにも恨んではいないし、不平等だとも思っていない。ただ、自分の過去の選択の集約の結果である。

 これでつまらないのかと言えば、まったくのところそうではなく、ここにいた間は日々楽しく過ごすことになる。自分には悲観的な要素を忘れてしまう、誰にとって都合が良いのだか分からないが、すべてを楽観視する能力があった。それで駄目なら、仕様がないし考え方としても間違っているとも思えなかった。

 業務中に暇な時間ができると、女性たちをからかい、また女性たちにもからかわれた。彼女らは、同僚の男性たちの悪口を言ったりもしたが、欠点の多い自分にはなぜか目をつぶり、大目に見るということを忘れなかった。不思議なものだ。その子らと仕事帰りに水族館に行ったりもした。彼女らはぼくの酒の飲み方だけは大目に見てくれず、自分もそのことだけはためらった。だがそれも、そのひとたちの前で飲まなければ良いだけのことだ。それを避けるには、いくらでも方法があった。

 彼女らと仕事帰りに花火にも行った。道中でビールを買い焼き鳥を食べた。蒸し暑さと多くの観客のせいでかなりの湿気があり、ワイシャツは汗で濡れ、夏用のズボンも身体に貼りついてしまった。芝生に腰を降ろしていたが、打ち上げが終わり帰り際いっしょに行った女性の一人が立ち上がるときにぼくは自然と手をかした。彼女は立ち上がり小さな声で「ありがとう」と言った。もうかなり前に忘れてしまった淡い恋心を思い出すことになる経験だった。

 昼休みには日比谷公園で陽射しを浴びた。多くの人も、ランチを食べたり、携帯電話をいじったりと思い思いのことで、のどかに休んでいた。雨が降れば図書館に入り、ジャズの雑誌を読んだりした。いまだに表紙に選ばれる多くのひとは、もう既にこの世にいなく、そのことだけでもこの音楽には廃れ行く運命が待ち構えている気がした。また、そのような商売が成り立っていることも、自分は疑問を感じた。

 残業時間が多くなりいくらか増えた収入で、ミニコンポを買い替えデジタル・カメラを新しくした。初代はよく頑張ってくれ、ぼくの記憶の助けになってくれた。ご褒美をあげるという自分の性格は、小さなころ歯医者に通った帰りに母がミニカーを買い与えてくれたため、ぼくの幼いこころに刻み込まれていた。それで、余ったお金で自分に甘いものを与えた。

 それまでの長年の内気な性格を克服したく、それが度を過ぎてしまい酔っては見知らぬ女性たちと話していた。自分には話せるべき経験がインプットされ、それをある面では構築し、ある面では話を膨らませた。その最終形として、ぼくは友人とグアムに行ったときの話しだ。レストランの隣の席には日本人の女性がいて、いつの間にか席を移動しいっしょに飲むことになり、ふざけ合って騒いで飲んだ。友人は、ぼくの内気時代をはっきりと記憶しており、ぼくの態度に驚いていた。あとできいたことだが、隣の席の現地のひとも、ぼくらの騒ぎ方に驚いていた。彼女らは、とても面白くぼくの話でも笑ってくれ、ぼくも彼女らの話でたくさん笑った。それをきっかけとして、長年の腐れ縁であったはずのぼくの内気時代は終幕となり、以後はそれを出したり引っ込めたりとコントロールできるようになった。コントロールできるようになってやっと一人前なのだろう。長い格闘であった。

 それでも、すべてが自分の思い通り行くはずもなく、ひとりの女性はなんど誘ってもなびいてはくれなかった。違う部署のその子は、ビル自体が違う場所にあって、ぼくらの部に用事があると、わざわざこちらまで来る必要があった。機会を見つけては、声をかけてみたがそれでも何も発展しなかった。自分の話術の限界を痛いほど感じた瞬間でもあった。