爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-33

2014年06月08日 | 11年目の縦軸
16歳-33

 悲劇は終わらない。

 Yシャツについたスパゲティのソース。台無しにするのは簡単だ。卸したてに戻れないさびしさ。

 音楽ならば、イントロや序章が終わったばかりなのだ。このぼくの恋の顛末も。そうした長い構成の曲をぼくはまだ知らない。途中で飽きるという退屈が放つ身勝手さによりかかって聴いていなかっただけなのだろう。こんなことになるのなら第一楽章で退席しておけばよかったのだ。だが、またもや暗転になりつづきがはじまってしまう。空咳をしておかなければ。

 ことの成り行き。ぼくらは会わないという変更の基点はあったが、実物を目にしないで、さらに当人との会話がなくなっただけで、さまざまな情報は耳にした。小さな町での無条件かつ無抵抗の侵犯。
 彼女は新しい男性をみつけた。みつけたというより言い寄られたから付き合っただけなのだろう。

 ぼくとその男性は去年まで同級生だった。ハイエナという形容詞をためらいもなくぼくは値札のシールのようにつける。女性を選ぶときに、誰かの後釜ということに拘泥しない、あるいは、そのことに付加価値を認めるような性質なのだろう。ぼくには中学のときに交際にいたらなかったが好きといってくれた女性がいた。直接にせまられたわけでもないので、本心は分からない。のちのち、彼女のタイプを系統だって見れば完全にぼくという存在は外れているようにも見受けられた。しかし、未遂に終わると、やはり、次の出番として彼があらわれる。舞台での代役のように。だから、今回で少なくとも二回目だった。それでも順序がどうであろうと彼はきちんとものにする。ぼくがずっとためらっていたことをきちんと遂行する。友人たちがその話をしている。彼女はどうやらはじめてだったようだ。ぼくは文章という声高にならないがすこしだけ暴力的な媒体を信奉するのに脳が犯されているため、ここでこの事実を書かない訳にはいかなくなる。ぼくの周りに生まれて動向を目撃されてしまった悲劇でもある。

 つまりはぼくは彼女とそういう関係にならなかった、ということも暗黙のことながら知れ渡ってしまう。近いうちにという予定はあきらめとも同義語になる場合もあった。いつか、誰かと接触と関係をもち、大人になる。いずれ誰しもが通らなければならない。多少の早さの前後はあるが、大体は似通った時期に訪れるのだろう。だから、ぼくは恨みをもちこむ必要はまったくないのだ。しかし、はらわたが煮え返るという表現を用いたい誘惑にもかられる。そして、正解としては、ほんとうはぼくが彼女を手放さなければよかっただけなのだ。怠った自分も同様に憎んでいる。模範解答もない青春の日々の誤った記述と失くした消しゴム。

 その二人の通学範囲は近寄っていた。うわさのつづきでは、アマチュアの蜜月はそう長くももたなかったらしい。彼女はぼくとの関係が終わり、やけになっていただけなのだろうか。誰かがそばにいてほしかったのだ。ぼくは自分を美化することを辞められない。いくら女になろうと、ぼくは彼女の少女性を簡単に捨て去る訳にもいかなかったのだろう。ゴミの収集車を追いかける自分の姿を映像化する。このときの焦燥を詰め込んでほしい。ぼくの見えないところに捨て去ってほしい。または高温で焼き尽くしてほしい。しかし、どうやっても追いつかない。ぼくはぜいぜいと身体から変な息切れの音をだし、懸命に追いかけるのをあきらめてしまう。

 一度、ぼくらのたまり場になっていた居酒屋で彼女とその男性をみかける。彼女はぼくと視線を合わせもしない。そして、勘違いであってほしいが、ぼくに見せなかった表情を彼女が作れることを見つける。ぼくにも、してほしかったという切なる憧れがのこった。

 そこからのぼくの話になる。

 ぼくは、はじめて男性を受け入れるという女性と対面したこともない。皆が皆、ぼくの舞台の壇上に登場したのは、すれっからしでもないし、ぼくが避け通しですまそうと誓ったのでもなかった。ただ、機会が単純に目の前にこなかっただけだ。さらなるうそと美化の上塗り。

 象徴というのは、いつも限りなく美しいものである。痛々しいぐらいに純な美を含んでいる。

 まっさらな半紙に墨汁を滴らせるような行為を自分は誰にもしないであろう、今後も。手を出せない少女か、もしくは成熟した女性しか目を向けない。過渡期をおそれる。だが、もうぼくの年ではその恩恵も、あるいは加虐の機会もそうやすやすと訪れてはくれないだろう。心配する必要もない。地下鉄のトンネルは掘られ、もう毎分ごとに電車が行き来している。吊革につかまるぐらいしかぼくに道はのこされていないのだった。過去に掘削機が活躍した。その現場を知らないことにグレイスという言葉を当てはめる。

 強力な洗剤でもしみは落ちなかった。かえって手のひらや指が荒れた。クリームが必要だ。保護し、油分が浸透する。湿潤。しかし、書くことの題材を与えてくれたことにも感謝する心境である。むしゃくしゃも結局は、扉でしかない。扉の開いた向こう側に行くも、反対に躊躇するのも自分自身の決断である。意識しても、盲目のとりこになった無意識にでも。