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 名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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浜松の「小豆餅」という町名

2011年01月23日 | いにしえから学ぶ

 21日・22日に浜松納め・引取りがあった。毎年恒例の運送です。天気もよく順調に終了でした。

 浜松西ICを出て、まっすぐ市内に向けると、「小豆餅町」という信号ある。面白い町名です。これは徳川家康の三方が原の戦いが起源でした。

 かの戦いは家康・織田の連合軍が武田信玄にコテンパンにやられた戦で有名です。家康30歳の若さで、かたや信玄は50をこす老獪なモサです。家康は必死の思いで浜松城へ逃げ帰ります。城まであと一里、ほっとしたのでしょうか、腹が減りこの地の茶店で小豆餅を食った。そこへ追っ手があることを知り、あわてて代金を払わずに城へ急いだ。茶屋の婆がおいかけ代金を取った・・・という逸話が元です。

 家康は負け戦で死をも覚悟したんでしょうね。兵はわずか、城で篭城もならず・・です。そこで取った策は「空城計」というものでした。八方破れの策です。城中にかがり火を炊き、門をあけっ放しにするというもんです。武田勢にしては簡単に家康の首が取れるというものだ。歴史はここで変わってたかもしれない。

 武田の追っての武将は、深追いを避けで帰還する。家康は死ぬ覚悟で寝ていたということです。家康は生き、信玄はその翌年病死する。


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