名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

トマト草刈

2009年06月28日 | 障がいのある人

F1000100_2 27日、娘の通う「NPOかわせみ」(www.kawasemi-na.com/) が,耕作してるトマト畑の草刈に行きました。尻ぐされ病がでたのでカルシュウム散布するための除草です。

毎年カゴメ㈱の協賛で、トマトの育成をしてます。この日は梅雨の晴れ間でとても暑い日でした。NPOかわせみには、障がいを持つ人が通っています。畑はその親達も面倒をみています。畝の間に急速に伸びた草を刈るのはとても重労働です。とくに日頃畑仕事に縁のないものにとっては。でもこのトマト作りは十年以上続いています。

毎年、苗植えと収穫祭は、皆さんを招き、その数は二百人余にもなり、町のイベントになってます。草刈は午前中で終わりましたが、翌日も引き続き行うんですが、私は仕事で日曜はゆけませんでした。      

   草刈や声すぐにやみ鎌のおと


役所依頼の引越し

2009年06月27日 | 私のなりわい・運送のこと

赤帽仲間から引越しの相棒依頼。生活保護を受けている人でした。支払いは役所の福祉課だ。最近は、この保護者の引越しが多い。

生活保護の申請が多く予算がきついのだろう。保護費が少しでも安くという役所の思いだろう。現在の部屋より家賃の安いところへの移動だ。今回は三部屋あるところから、レオパレスのワンルームでした。赤帽二台分がワンルームに入るわけはない。しかし何とか詰め込んで終了。懸命に手伝ってくれたあのひとは、今夜どうやって眠るのかと思いつつ・・・でした。

近頃生活保護を受けている人や、社会的弱者を食い物にする犯罪が多発している。

生活保護を申請するには、住まいがないとできない。そこを利用するのだ。ホームレスに「住まいと食事を提供します」と募り、多数を集め、ベニヤで区切った、蜂の巣のようなところに容れる。そののち役所に生活保護を申請する。支給される保護費は、食事代、部屋代等を差っぴいて、彼らが受け取るのはタバコ銭程度という。まるで役所からの金を生むブロイラーではないか。こうして億の単位を収奪する。予算の付くところにはこのような闇に流れる路が必ずある。その額はどれほどにのぼるのだろう。


一日一度はよかったな~と

2009年06月22日 | 朝な夕なのこと

F1000082 最近耳にはいること・・・・。赤帽仲間の話ですが・・。よい話はありません。

仕事が少なく、家の固定電話を解約した・・、自家用車を手放した・・、あらゆる業界から悲鳴が聞こえてくる。

時代により「割り」をくう世代がある。戦争を体験した世代、バブル後の就職難に出会った世代。逆によい世代もある。高度成長の時代に青春期、壮年期を過ごした世代、又現在年金を受給する世代も良いのだろう。

こんな荒い世代論は、笑ってしまいますが、人はこの手の論議を好みます。私もそうです。隣の芝生を羨むんです。生まれて死ぬまで良いことずくめの世代もなし、又悪いことずくめの世代もない。自分のよいことにきずくことなく、悪いことを見るに熱心なことは、短い人生の中ではもったいない。一日一善なんてことは私はできまい。しかし一日に一度「よかった」と思うぐらいはできるかな~?


四日間の店舗移転作業

2009年06月19日 | 私のなりわい・運送のこと

模型列車、自動車等の販売店の移転の仕事。赤帽仲間に相棒を依頼されて、その作業が本日で三日目となる。

なんせ商品が細かくて多い。陳列ケースから取り出して梱包から始まる。その数も二百をゆうに超える。陳列ケース、棚、事務所の冷蔵庫まで、整理しつつで、やっと半ばというところ。携帯の万歩計は連日一万五千~二万歩を示すほどだ。私は明日でとりあえず終了する。

年齢の割りには、よくやるもんだとちょつと自画自賛です。仕事の少ないこの時期、依頼をしてくれた赤帽仲間に感謝。 赤帽仕事は、一人力んでも、できはしない。お互いに依頼しあってこそある。生きてることも網の目のようなものだ。繋がっていてこそ生きていかれる。こんなことを思うは、体は多少若い?かもしれんが、考え方はかなり、じじむさくなってるね・・・・、ま・・歳相応か。

         

                                                                           


頂きましたご祝儀

2009年06月17日 | 私のなりわい・運送のこと

先日の引越しで祝儀、チップを頂いた。最近この習慣は極めて少なくなりました。引越し代金が一万五千円なのに、五千円でした。通常は、千円かせいぜい二千円ですが・・・。現金とはこのことで、同じ仕事といえども、テンションが高くなります。作業もいつもより親切に?なってるみたい。

これに気づき、少々自分を恥じる。しかしこの手のことは、人間関係の潤滑油ですね。適度の額ならば・・・ということでした。お互い感謝、感謝で終了しました。


行き交う赤帽多少多い?

2009年06月15日 | 私のなりわい・運送のこと

F1000089 F1000087 東大阪ゆきの仕事。午後十二時半に引き取り、東名阪~R25~西名阪~近畿道で走る。順調、三時四十分終了。

帰路はR163~三重上野~東名阪。途中木津川沿い、山城町の高麗寺址に寄る。飛鳥時代の渡来系,狛氏の建立か?と記されていた。仏教が伝来し、仏教伽藍の建造ラッシュの時代だ。この時代の朝鮮系の渡来人は、大陸の文物、文化の(ちょっと古いですが、舶来物なんです)先端文化人なんです。,塔?の礎石が草の中にありました。

 夏草や つわものどもが 夢のあと ・・・の観でした。芭蕉さんにまねて

 梅雨空に 飛鳥の伽藍 石ひとつ  ・・・でした。

道中、行き交う赤帽車が、以前よりは若干多いように思いました、仕事量はさっぱりですが・・・。


ウオーキングの効用?

2009年06月11日 | 朝な夕なのこと

F1000066 ウオーキングの効用について。散策を習慣にして半年が経過した。なにがどうなったのか?  

○体重が減りはしないが、増加しない。そしてベルトの穴の位置が1つ狭くなる。以前は、少し食べすぎたり、呑みすぎると即体重増加でしたが、現在はそうでもない。お尻や腿が、なんだか張っているみたい。ということは、筋肉がついて、脂肪が減ったということ?か。身体上はそんなとこです。

○精神的には、三十分も歩くとなんだか気持ちよくなってくる。悲観的な思考が停止し、明るい気分のよい思考傾向になる。具体的には、目に付く草花、樹木に興味がわき、いつも目にしていたものが、新しい姿で現れてくる。最近は植物図鑑を購入しようかと思うぐらいだ。こないだは、マンホールの図柄が、市町村で異なり、いろんなパターンがあること気がついた。

ちょつと思いついたことを記しました。でも私が四五十台の年齢だったら、ウオーキングなぞやってはいられんだろうと思う。いまの年齢で、与えられた境遇を受け入れて進むだけだ


蒲郡のあぢさい

2009年06月07日 | 朝な夕なのこと

Img_0806_2 昨日はImg_0824_2 休日、蒲郡のあぢさい寺(本光寺)と、形原温泉あぢさいの里へゆく。あぢさいのフルコースだ。

本光寺は、徳川家康、松平家の一族である,深溝松平家の菩提寺で、歴代松平当主の墓がある。参道があぢさい尽くしだ。少々蒸し暑く感じつつ歩く。その蒸し暑さがあぢさいのよろこぶ季節だ。

そこから数キロで、あぢさいの里。あぢさいの花が押し迫ってくるほどの公園。あれだけの種類をかって見たことがない。花の丘から三河湾が眺望できる。霞に浮かぶ大島がみえた。

帰路、音羽蒲郡インターへ向かう途上に、清田のオオクスに寄ってみた。驚きました。樹齢千年とあった。幹周り十三メーター以上,高さ二十メーターはある。明治ころまでこのあたりは、楠木樹林だったそうな。永きにわたり、立ち尽くし、時代を眺めてきたんだと思うと、畏敬の念さえわいてきました。


住人が死んでいた

2009年06月04日 | 私のなりわい・運送のこと

展示会の会場までの納品。荷主さん同乗での道中の話。

彼女は、八十半ば、二十歳の頃、今の北朝鮮の平壌で敗戦を迎え、一ヶ月の逃避行のはて博多に着いたという。頭は坊主、衣装はボロボロ、大変な苦労だったと。

もう一つ。現在彼女はアパートの大家をしている。その住民が隣の部屋のラジオが鳴りっぱなしというのでドアを開けたら、そこの住人が死んでいた。警察をよび、結果は、病死ということで落着はしたが、その後が大変だった。

身元を調べ連絡するも引受人は来ず、荷物の処理も大家さんがした。その住人は、元大工だったという。几帳面な人で、部屋はきれい、家賃を持つて来るときは、服装を整え、お札はピン札というこだわりの人物だったと。病弱であり、仕事もままならなかったのに・・・。

遺品に日記らしきものがあり、「今日も生きて目覚め有り難し・・・、一日暮れてよかった・・・」など記されてあったという。一日一日をまじめに、明日はなし、今日だけという生き方。私なんかは、明日はもちろん,五年も十年さきもあるやろうと、漠然と生きてるだけ・・・彼に比すれば・・・と三十分余のおしゃべりで思いました。