名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

次郎長の妻「おちょう」

2010年12月07日 | いにしえから学ぶ

004  平和公園の墓碑めぐりーその3

 戦国・信長・・忠臣蔵と続きました。今回は幕末の侠客「清水の次郎長」です。

 彼の女房は「おちょう」です。その墓は日蓮宗・妙蓮寺にありました。

 安政五年暮れ、現在 「西区の巾下」の侠客・長兵衛宅に次郎長と子分達が止宿しました。その時におちょうは 重い病となり亡くなったという。おちょうも共に逃亡していたのか。この年は、次郎長が甲州の出入りで捕り手に追われ、逃亡中の時と思われる。世は「安政の大獄」で尊王攘夷派が獄に繋がれた時代です。

 この「巾下」には、赤帽が配送でお世話になる有名な仕出し屋がある。この店は美濃街道沿いにあり、創業は江戸時代です。当時は八百屋でしたから、侠客長兵衛もこの店の客でもあったんでしょう。そんなことを思うと、次郎長・おちようが歴史上の人ではなく、身近な人物に感じられてくる。

 墓の正面は「妙法 信解妙諦信女」とあり側面には「駿州清水三ノ町 山本長五郎」とありました。没年は安政年12月。

 次郎長の前半は博徒、そして明治維新には、官軍より街道の警察を命じられたりもする。前半生とは打って変わり、富士山ろくの開墾、お茶の実業そして、英語教育の塾までもと様変わりでした。 一つ身で二つの人生をまっとうした人のようです。


コメントを投稿