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 名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

妊婦さんの引越し・・・二人でガンバッテ

2009年08月29日 | 私のなりわい・運送のこと

三日間定期運送の仕事のみで、あくびのでる毎日だった。今日は仲間依頼の引越し二件こなす。いずれも役所依頼のものだ。生活保護を受けている方の引越しだ。

二件目は、若夫婦でかつ身重でした。何かの事情で補助を受けてるんでしょう。12月の出産だという。彼女を助手席に乗せ,旦那は引越し先が近くなので徒歩。移動中の話です。新型インフルエンザは、妊婦が罹患すると重症化するので気をつけようという話から、明日が選挙日なので、子供のマニフェストのはなしになる。あの党は、子供手当てを出すよ、この党は幼児保育をただにするみたい、この党は児童手当を2倍にして扶養家族控除も存続するみたいと・・・・あやふやな?話をして到着。

部屋は3Fだが、妊婦さんには傘一本ももたせはしません!旦那は遅ればせながら到着し手伝ってくれました。ありがたし。生活保護を受けてはいるものの、必ず自力でやっていける夫婦だと感じました。この制度は、やむをえず生活難になった場合に、そこでもちこたえ、再起自立する頼みの綱となる。                           二件連続の引越しで1・5キロ減りました・・しかし爽快!


石川、福井県の山々は秋の気配

2009年08月25日 | 私のなりわい・運送のこと

先週に続き石川県白山市行き。小さなモーターを緊急で運ぶ。どうも工場の機械の調子がわるいみたい。「風が吹けば、桶やが儲かる」式で、この工場でトラブルがあると、赤帽の仕事がでる?みたい。ちょつと不謹慎?ごめんなさい。でも仕事は最速で遂行しました。赤帽要請が11時5分、荷物引取りが同25分。白山市鶴来町着がPM3時で終了でした。

鶴来町は白山地帯と金沢地区を結ぶ古くからの町です。帰路はR157~勝山、大野市~R158~白鳥、郡上のルートで帰りました。全行程深い山の中、山々はもう秋の気配、胸いっぱいに吸い込む。大野市から岐阜県にImg_0917_2 かけての九頭竜湖は鏡のような湖面に早くもススキの穂が美しかった。


往く夏

2009年08月23日 | 朝な夕なのこと

Img_0908 Img_0897_2 Img_0907 往く夏を惜しむ。この時期恒例の東別院の「御坊夏まつり」に妻、娘の三人で行く。

今日は処暑、暦どうり空気が清涼でした。娘が盆踊りが大好きで、毎年これを楽しみにしている。数えれば五度目だ。踊る輪が年々ふくらんでいる。境内は楽しむ人で溢れる。踊りの渦のなかでわれを忘れるここちよさを堪能する。

フィナーレの花火が歓声の中で終わり、雑踏のなかを帰路につく。毎回この時は同じ思いをする。また来年も、そろってこられますようにと。


選挙いってきましたヨー!!

2009年08月21日 | 朝な夕なのこと

期日前投票に妻と行ってきました。投票場(区役所)の入り口で、選管より郵送されてきた「選挙のおしらせ」の葉書を提示し投票手続きをする。

名前、住所、生年月日。そして期日前投票の理由。「仕事」に〇をしたが、ほんとうのところは、暇で時間が余っているからです。そんな項目はないので、しかたなく仕事に〇をうちました。

先回の郵政選挙は、それ一点を争うあほらしい選挙だった。今回は様相がガラリと変わった。各党が口当たりのよい政策をあらん限り飾りまくっている。運送業をちまちまと行う身では、高速が千円よりもただのほうがよく、ガソリンの暫定税率が適用されないほうがよいに決まっている。単純にその点だけで選択するのは、郵政選挙と同じレベルになってしまう。マニフェストを細かく比較したわけでもない、自分の選び方は、日本をどんな国にするのかその骨組みの近い人と党を選んできました。

帰宅してテーブルの上にもう一枚の「選挙のおしらせ」がありました。選挙権を行使できぬ娘宛てのものです。成人して初の国政選挙ですが、障がいがありますから・・・ゴミ箱にポイしました。ちょつと寂しい思いでした。


昔の定期仕事・・・

2009年08月19日 | 私のなりわい・運送のこと






予想通り暇でスポット入らず、定期の仕事のみの日が続いている。開業以来売り上げ6割以上はスポット仕事でやって来た。定期仕事は現在一件のみ。それだけでもこの時期有り難し。 過去14年続いた定期仕事があった。仕事の打診があった頃はバブル末期、こちらも忙しいので時間拘束される定期なんぞしたくなかった。週2回、走行22キロ、作業時間およそ1,5時間、荷扱いが少々面倒なので当時の赤帽3時間貸切で見積もりをだしたら、通ってしまった。それが14年続いて、結果的に柱となった。午前中に仕事が入っていれば、前日夜にも荷をとり、翌朝8時に納品できる。勝手のよい仕事だった。その仕事は5年前に終わりました。 そのほかにも、早朝4時に取り、私鉄二駅回りの片道40キロ弱、そして前日の売れ残りを引き取り帰る仕事、毎日なので2~3人でこなす。運賃は、10500円でした。早朝6時半~7時に終わるので、次の仕事にほとんど抵触せず、なかなかの仕事でした。すべて昔語りです。p>


スッ飛んだお盆の休みボケ

2009年08月17日 | 私のなりわい・運送のこと

お盆休みも終わり、暇であろうと思い、妻は終日出かける。娘の送迎を任される(彼女は障がいがあるので付き添いが必ず必要だ)。

朝送り、ぼっとしてたら金沢行きが入る。目が醒める。久しぶりの270キロの走りです。しかし娘を4時30分に迎えに行かねばならん。行ってトンボ帰りでも7時間はかかる。そこで通い先の「かわせみ」www.kawasemi-na.comに4時半以降緊急一時預かりを依頼する。受け入れてもらいいざ出陣。

一時預かりといえども費用はかかる(赤帽の貸切時間よりもかかります)のでノンストップでスットビ帰る。10時半集荷で、14時終了。娘を迎えに到着は5時20分でした。一時間の預かりですみました。あわただし運行でしたが、順調に終わりました。明日からは暇かな~ぁ?


お盆休みの引越し

2009年08月16日 | 私のなりわい・運送のこと

お盆休みの終盤、昨日と今日、3件の引越しがありました。

本日午前の引越しは、ベルを鳴らせど,携帯を鳴らせど応答なし。30分待ちあきらめて帰る。午前中があいてしまった。ぼやくことしきり。帰路TELあり。「寝坊してました」とのこと。午後の引越しもあるので急ぎ積み込む。その後は順調に進み、岐阜にて終了。西瓜までご馳走になりました。汗一杯の後にはなによりのものでした。次の午後2時まで名古屋にすっとび帰る。

この引越しの人はリピーターでした。どうも派遣で仕事をしてる人みたい。同乗で名古屋近郊の町まで行きました。道中の話では、この引越し代金を払うと明日の生活費がなくなってしまう、という。心中「・・・・・」の思いです。たいした荷持でもないので基本料金でしたが値引きしました。

・・・・・以前もう十年も前のことですが、東京の帰り、東名高速のあるサービスエリアでヒッチハイクをする青年にあいました。話をすると金がなく、それも青森で盗まれたという。彼は北海道から関西方面へいく道中とのことでした。汗臭く、あげたタバコをむさぼるようにすった。・・・・・ちょつと長くなるのでまたの機会にします。


「スパイ大作戦」の?マニフェスト

2009年08月14日 | 世間のこと

ある党のマニフェストを見ました。まるでスパイ大作戦のようでした。以下、抜粋、要旨です。

  • 北朝鮮が明確に核ミサイルを日本に打ち込む姿勢を明確にした場合・・・ミサイル基地を先制攻撃する。
  • 核ミサイル危機の際、金正日総書記にピンポイント攻撃を検討する。
  • 拉致問題で進展のない場合、自衛隊のレンジャー部隊を北朝鮮へ派遣し、金正日総書記を日本へ拘束、連行する「軍事演習」を行う。
  • 核ミサイルを同様に日本に向けている中国にも、原子力潜水艦や人口衛星などから攻撃できる核抑止力を築く。
  • 米国から核兵器のレンタルを検討する。

そして「アジア各国と協調して平和を保つ」・・・・とありました。はたしてこのスパイ大作戦にアジアのどの国が協調してくれるか?米国が、それでは核兵器を貸しましょうというのだろうか?  トムクルーズの「スパイ大作戦」は、楽しんで見ましたが、この「映画」はみたくないです。


ダニ騒動

2009年08月12日 | 朝な夕なのこと

我が家のダニ騒動のてん末。

この夏娘と妻がよく虫に刺されて痒がる。私にはほとんどない。とくに下半身を刺される。妻いわく、これはダニではないか?と。それはエロダニだと冗談で言っていたがそれではすまなくなった。

居間のソファーか、その下のカーペット周辺が怪しいということとなる。妻は、日頃より「掃除いのち」で清潔神経症か?おまえは!と私がよく言ってしまうほどです。そして、掃除の日は邪魔ということでいつも家より追放されるぐらいだ。これほどきれいにしてるのにとしょげる妻にダニアースを勧める。早速実行す。

操作は簡単なれど、事前にすること多し。テレビ、精密機械、食器、等をポリエチレン袋で覆う。また植物も隣部屋へ移動。その作業にくたびれる。ドアにめばりして薫煙し就寝する。翌朝は、テーブルを拭き、食器洗う。部屋の復元にまた一汗でした。お盆の真っ只中の騒動でした・・・・そして肝心の効果は??結果はすぐにもわかるでしょう。


戦艦大和の生存者、そして広島

2009年08月08日 | 私のなりわい・運送のこと

8月6日広島原爆の日、女性のお客さんの依頼で荷を運ぶ。道中彼女の話。

なんと彼女の父は戦艦大和の生存者でした。昭和20年4月、鹿児島沖で、何の成果を挙げることなく魚雷にて撃沈された。彼女の父は、大和の副砲艦主?であった。重油の海に飛び込み、再度の魚雷があればひとたまりもないので、泳ぐ水兵に声をかけ、必死で艦より遠くに泳いだという。駆逐艦に救助され生還した。乗組員三千人中三百人弱の生存だったという。

さらに彼は広島出身でした。同年8月6日故郷の原爆を知り、安否を尋ね広島へ行った。想像を超える体験をしたのでしょう。戦争体験を本人ではなくとも、その子から聞くことは、重く伝わってきました。戦争の語り部は年々少なくなる。文字や映像で知った戦争と、体験者の肉声とでは全くちがうもんだ。

           「 戦争が廊下の奥に立つていた」(渡辺白泉)・・・からでは遅いし、悲しいですから。