名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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飛騨・神岡の義民

2018年11月29日 | いにしえから学ぶ

 風邪にてグズグズ・・・家にてゴロゴロ・・・

時間はあるので、先週23日祝日にいった飛騨市神岡町の話をダラダラ・・・

荷を下ろしたのが4時過ぎ。飛騨は山々が屏風のようで日暮れも早い。町は高原川沿いで、川への傾斜地にへばりつくようにしてありました。

藤波橋という脇にその「碑」がありました。「大原騒動」「義民之碑」とありました。以下看板の説明。

土地の代官・大原彦四郎の「検知」が厳しく、当地へ訴えてもラチアカズ、船津村の名主徳右衛門ほか5名が江戸に出向き、検知取り止めの嘆願を老中・松平武元の登城の際に「籠訴(かごそ)」した。彼らは捕らえられて斬罪に処せられた・・・

 

「検知」とは田畑の基本台帳のようなもんで、税の基本となる。「籠訴」は正式な手続きを無視して、主要役人の籠に「おそれながら・・」と強訴することです。当然死罪を覚悟してのことです。江戸時代はこの訴えが大変多い。村落の利を守るための犠牲です。多くは「義民」伝説で伝承されている。

そのしるしに歌が記されてました。

 船津太良兵衛に 見せたいものは 盆の踊りに こがねの穂波

村落のため、いのちを投げ出したひとたちを、涙で送り、尊崇の念で碑を刻んだのが伝わります。

この「大原騒動」の顛末はどうなったかは書かれてない・・・知りたくなりました。


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