名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

キャチホン3件でバタバタ

2010年08月31日 | 私のなりわい・運送のこと

 8/30(月)

 土日全休の遊び疲れで朝ボーッとしていたら電話。ミニ引越しの依頼。電話中にキャツチホンが入りあわてる。いずれもリピーターさんでしたので待ってもらった。その途中に再々度のキャッチホン、お得意さんから茨城行きの依頼。キャツチホン三段重ねでコチャコチヤになりました。

 茨城県は、かすみがうら市です。昼前にトヨタ自動車の工場から引き取りでした。東京の首都高の渋滞ありでした。終了は夕方。帰宅は日付が替わった一時過ぎでした。

 しかしこの間の暑さも半端じゃないですね。さいわい?引越しは今月は少なかったが、明日から4件炎天下の作業がある。用心深くやらないと危険だ。日本の夏は炎熱地獄となりました。


友からもらった宿題

2010年08月29日 | 朝な夕なのこと

 昨日の夕方より夜12時までのんで食って、しゃべりまくりる。学生時代の旧友6人が京都に集合し旧交を温めたんです。現況報告よりはじまり、家族、健康・・・と続く。酔いが廻るにつれて昔はなしとなる。アレもコレもと夜が更けました。皆なんとかやってるのを確認してヨシヨシでした。

 自分としては、仕事はまだ続けるんですが、引退生活を送っている友に関心があります。家庭で料理を担当する人、プール通いする人、趣味に山登りをしてる人、それぞれ充実した生活をしている。チョイト羨望です。オレはどおなるのかなぁ~と思案してしまいます。

 次回は来年9月と決め、場所は岐阜県の温泉としょうかということになる。本日再開を約して京都駅にて別れる。

 


忙中閑あり,,でなくて、閑中歓あり

2010年08月27日 | 朝な夕なのこと

 今週はとてつもなく仕事すくなし。定期運送とチョロチョロとあっただけ。運送日記を記すまでもありませんでした。

 本日は自社定期と、組合の配車での現場納めの2件でオシマイ。しかし今週末は反対にオタノシミです。

 明日の土曜日の午前は、岐阜関市の山奥のキャンプ地までの運送です。ある学校の合宿地への資材運びです。今年で3回目です。

 この後すっ飛び帰って、京都へ一泊のあそびです。学生時代の旧友数人でのものです。今回は関西に住む友がお膳立てしてくれました。この集いは先輩の病死がきっかけで、四五年前から始まりました。初回の時には、三十年以上も会ってない友もあり、お互い歳食ったさまがまるで浦島太郎の感でした。退職し悠々自適?のもの、あるは事業を切り盛りしてるもの、あるいは退職後関連する職場に 招聘されたものと様々です。思い切りのんで、しゃべってきまぁ~す!!


真夏の紅葉

2010年08月22日 | 朝な夕なのこと

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よく行く平和公園、先日いってビックリしました。あっちこっち「紅葉か!」という状態です。平和堂正面階段下のナラの大樹が真っ赤でした。改めて見回すと、公園一帯に散見できました。真夏の日に、このような光景はすこし気味が悪いです。先日8/7に書いた牧野が原公園と同様です。「カシナガ虫」の異常繁殖によるものです。

 ナラの木が蝕まれるということを知ってから、高速道路からも周りの樹木に気をつけてます。中央道の瑞浪あたりにも枯死したナラを見ました。

 原因の一つに、人と森の付き合い方の変化があげられる。こうした自然の異変は激しくなっている。人間の文明が自然と完全に折り合わなくなってきた。危機感が強くなり、あれこれ模索されている。人類の英知が、大きく舵をきり、折り合いをつけることができるんだろうか?

 自分はなぁ~にもできんので、それだけに身近の異変には気になる。


炎天、熱中症・・秋刀魚は高級魚

2010年08月21日 | 私のなりわい・運送のこと

 8/21(土)

 仲間依頼の引越し、3台口。炎天下ヘバリが早い。詰め込みはエレあり。移動先は3階エレなし。熱中症に気をつけながら、休憩をはさみつつおこなう。亜熱帯日本では、今夏3万人以上の人びとが救急車にて運ばれたという。こんな時は馬力をいれず水と休憩が肝心ですね。チョット見ダラダラした作業でしたが無事終了。

 今年は秋刀魚がまったく水揚げがないという。一尾1200円の高級魚となりました。なんでも海水温が15度以下でないと来ないそうです。当然海温が高いのでしょう。ここにきて地球環境の激的変化が気になります。どうにもできないんですが・・・しかし原因があって結果がある。こんな環境にしたのは人間ということだけはわかります。

 


いきなり全開

2010年08月19日 | 私のなりわい・運送のこと

 8/18(水)

 お盆休み明けの仕事はポロポロでしたが・・・突然全開!!でした。

 午前中は赤帽2台で引越し。知り合いの家でしたのでノンビリやりました。

 昼の定期は本日からあるので昼飯をすまして、さあいこかと出かけたら松阪行きがでた。定期は仲間に依頼して走る。14時に終了でした。

 届け先の近くに「宝塚古墳」があったので寄ってみた。5世紀初頭のものです。このはなしは改めて・・・

 本日はもうなかろうと、四日市東まで下走り、そこから高速。

 帰るやいなや埼玉県上尾市の直行が出る。18時引き取り、中央道から圏央道に入り終点まで。帰省ラッシュの名残の渋滞が相模湖先頭に20kと表示されていたが、そこを走るころは解消してました。23時半に終了。明日は昼に仕事なので仮眠チョビットではや帰り。朝6時には家に到着。

 午前中寝ます。


先輩の戦争体験

2010年08月16日 | いにしえから学ぶ

ある先輩の戦争体験。

 昭和20年、彼は十四五歳でした。まだ中学生?で一二年も年上であれば徴兵になるかならぬかの歳でした。当時の学校は授業は停止され「勤労動員」という、労働の毎日でした。

 かれは愛知県の知多半島の生まれでした。当時乙川には中島飛行機の製造工場があったそうです。戦闘機等の製造に動員されたのです。彼はコクピットの計器盤の取り付けをしていたそうです。配線コードをつなぎ、はめ込む作業でした。結構複雑な作業をしていたんです。

 製造過程の戦闘機が仮設の足場に乗っかっていて、その下からもぐりこむようにして作業するわけです。時にその脚立が崩れて怪我をする人もあったようです。完成した戦闘機は伊勢湾を横切り、三重の鈴鹿航空隊に行くんですが、たどり着く前に伊勢湾に墜落することもあったそうです。彼曰く「いい加減な機器の取り付けのせいだろう」と。年端もいかぬ子供達に完全を期すわけにはいきません。

 やがて戦闘機を作る材料さえなくなり、彼は東三河の豊川の北の新城あたりで豪を掘る作業に行った。そこでも各地からかき集められた動員学生が豪堀をしていた。「本土決戦」のための豪だそうだ。身の丈ほどの深さに縦横無尽にほり、さらに深く、司令部をモグラの巣の如く掘ったそうです。大変な重労働でした。

 その地で昭和20年8月7日の豊川工廠(弾丸機銃の工場)の大空襲を見たそうです。時間は午前中、遠目にまるでハエや蚊が群がるように豊川の上空をB29(重爆撃機)が飛んでいたそうです。それは、サイパン、グアムからの124機だった。

  その大空襲は250キロ爆弾が三千発以上、総重量は800t以上が投下され、二千八百以上の死者がでたそうです。その中には、彼と同じ動員学徒が何百人もいました。

 少年期の食べ盛りに満足に食えなかった彼です。時々口いするものが不味いと思う時にフト当時の食料難の思いにスイッチがはいると「ああ、これは決して不味くはないなぁ~」と思い返すそうです。


 初めてベンツに乗る

2010年08月15日 | 朝な夕なのこと

 8/15(日)

 とりあえず本日まで休み、しかし明日は仕事は入っておらず。

 夕方娘とかみさんと三人で散歩する。たいへん蒸し暑かった。三十分以上歩いたか、そんな時娘が発作で崩れこむ。最近は数分で回復するので、歩道にペタリと座った状態で待つ。今日はかみさんもいるので精神的に余裕あり。しかし一向に回復せず。腰砕けなので二人で脇をかかえてもむりだ。家まで数百メーターではあるが流しのタクシーを待つ。しかし通らず。

 どうしようと二人で思案してたら、ベンツの高級車がスーッと脇に停車した。助手席から中学生くらいの娘さんが、「よろしければ送りましょうか?」と・・・。地獄で仏です。ありがたくお願いしました。運転してた方はその娘さんの母親でした。まことに親切な方でした。世間はすてたもんでもありませんね。

 初めて高級ベンツに乗せていただいたんですが、革張りのシートで?内装もよかったです。も少し乗っていたかったって?それはチヨイト不謹慎ですヨ!!

 とにかく感謝、感謝ありがとうございました。


お盆の集い

2010年08月14日 | 朝な夕なのこと

 月おくれの盆、兄の家へ集う。兄弟一同久しぶりに顔を合わす。寺の坊さんが今回は来ないので、内輪で正信偈と和讃、お文(うちは東本願寺です)をとなえて終了でした。昼食はおおぜいで支度が大変ということで、近くの和食屋さんを予約してありました。送迎サービスのバスで一族そろい出かけました。仕事から解放され久しぶりに、昼間の酒でした。もっとも仲間から一件依頼ありましたが・・・ゴメンチャイでした。

 両親が健在のころ、盆正月、祭りのたび集ったときは、 われら兄弟は子育て、仕事に追われていた。今では子もおおかた成人し、孫が成人のところもあります。仕事も引退やら、ボチボチ引こうかという時節となってしまいました。気ずけば、それぞれ顔に人生のひだがきざまれてありました。光陰矢の如しです。

 我が家にも子らが遠方から集ってくれました。なんとかやっていれば上等です。にぎやかだったのも3日間だけ、今日夕方は靜になってしまいました。

 


商品管理は、損得のわかれめでは・・・

2010年08月11日 | 私のなりわい・運送のこと

 定期終わってすぐに、仲間からのSOSあり。安城市の配送センターへとにかく早く入ってという依頼。高速をも使用して入るが、まだ荷物が出てない。そこはあるカタログ販売の配送を請け負っている運送屋さんのセンターでした。

 商品が無秩序に?山積みという状態でした。素人目にみても「これはどうなってんの?!」という感じです。強く請求された顧客の商品を捜しているんですが、容易なことではない。こんなことで仕事が成り立つのかと思ってしまう。構内の作業者には、それなりに分かっているのかもしれませんが・・・合理的な商品管理ではありません。誰でもが、決まりを覚えれば、直ぐにピックアップできなければなりません。

 結果は一時間捜索したんですが、一件がどうにも見つからない。出たものだけの配送となりました。

 しかしどうにもあの無秩序の山積みは解せません。膨大な時間の浪費です。実際赤帽チャターすれば、一時間の待機の運賃のロスがでるし、なによりも日常商品探しのムダな時間の浪費はいけません。しのぎを削る競争時代にあのムダはなんとも・・・です。商品管理の良否は運送業の損益分岐点と思いました。


なが~い休みになってしまいそぅ~

2010年08月10日 | 私のなりわい・運送のこと


8/10(火)

 終日曇りで時々雨。組合配車の二台口の引越しでした。冷蔵庫、洗濯機等は備え付けゆえになし。折りたたみベッドと二人掛けソファー、ラック、小型TVくらいですばやく積み込み終了。名古屋東部から津島市までです。東名阪で行く。

 途中からきっい雨となりました。あちこち渋滞の掲示です。着いたころが一番の降りでした。お客さんは出る部屋の掃除ですこし後からの出発でしたので、その間に部屋の前まで荷をおろしてしまいました。庇があり全く濡れることもなくありがたし・・です。間もなく荷主さんが到着で、パタパタと10時半に終了。

 昼の定期が間に合うので向かう。本日はこの2件で終わりでした。定期は明日が最終でお盆休み。後の予定はミニ引越しが12日に1件あるだけです。

 なが~い盆休みになりそうです。昨年はもすこしあったみたいだったけど....


わたしは、倒れた人に声をかけられるか?

2010年08月09日 | 障がいのある人

  娘は障がいがあり、なおかつ発作持ちです。ドタリと倒れるので常に介護者がいなければならない。三四年前までは妻がまめに散歩をしていたが、体重が逆転し、妻も歳もとってきたので咄嗟の発作に対応できないようになった。その結果ついつい娘は座りぱなしになってしまう。

 運動量の少ない娘は骨密度が、二十歳代前半なんですが、すでに三十歳台です。これをなんとか持ち直すのは運動しかありません。自分が早く帰った折には努めて娘を散歩に連れ出すようにしてます。

 本日夕方散歩に出ました。途中二度発作で崩れる。腕を絶えず握っているので、バタリと顔面から倒れることなく無事済む。回復には数分時間が要る。路の真ん中でしたので、車がきます。道路わきに移動させますが、うずくまった二人の前でまじかに車が停車してるとあせります。そして車が二台通り過ぎました。通り過ぎる人もあれば、声をかけてくれる人も二人ありました。「だいじょうぶですか?」「お手伝いしましょうか?」・・・ 

 ほんとうにありがたいことです。娘の発作は、たいてい数分で回復するのでその好意にはいつも「ありがとう、直ぐに回復しますから大丈夫です」と答えます。

 声をかけてくれる人、無言で通り過ぎる人。このことに良し悪しを私はいえません。もし自分が赤帽仕事で急ぎの荷物を積んで走っていた時に、うずくまった人に出会ったとしたら、遅れるのを覚悟で停車できるか?ということです。

  自分に置き換えてみると、安直に人を批判できません。明日はワタシが無視して通過する人になるかもしれませんから。

 


熱中症?

2010年08月08日 | 私のなりわい・運送のこと

 二日連続引越し。近場の二回戦で、赤帽二台口です。大きい家具があるのでホロをめくりおこなう。本日は曇りで炎天下ではないが、最終コーナーあたりからなんだかボーッとなり、頭も重くなってきた。最近ハードな仕事してないからかとも思ったが、熱中症では?という危惧もあり休憩した。お客さんは知りあいであったから融通が利きよかったです。無事終わり、吉野家で赤帽二人昼食をおごってもらい終了。食欲があれば大丈夫!

 しかし帰ってからも頭痛があり、アイスノン枕で横になりました。回復したのは夕方でした。あの時作業が続き、休憩もしないでいたらチョツトやばかったかも・・・。立秋ではありますが野外の作業は気をつけましょう。特に年輩のかたは・・・自分のことですね!


包帯された樹木たち

2010年08月07日 | 朝な夕なのこと

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 時々散歩する牧野ケ池できずいたこと。

 先回歩いた時にはなかったんです。コナラやあべまき(ぶな科)の樹木に根元からビニールシートが3~4メータほど巻いてあるんです。その数もけっこうなもんです。大木のナラがまっかになつて枯れてました。多分何かの虫からの防御ではなかろうかと思いました。あらためて注意して歩くと枯れた樹木が数ありました。

 帰って調べてみると近年急激に増加してるそうです。原因は甲虫カシノナガキクイムシ(カシナガ)の媒介する菌による枯死だそうです。愛知では06年より被害がでて現在は400haにおよぶという。そのカシナガはなぜ急増したか?

 里山に人の手が入らぬようになったからといいます。1960年代まで里山は薪や柴の調達、ナラ系の木材はしいたけ等で利用範囲が広く、30年前後で伐採された。しかし今は放置され大木化してます。散髪にいかず,洗髪もせずほっとくのと同様です。大木のナラはカシナガが好んで入ると言う。

 燃料が薪から化石燃料に入れ替わった燃料革命。この効率のよい文明は、人と自然の良きバランスの時代をとっくに突破してしまいました。そのしるしとしてこの枯れ死があるんでしょうか。名古屋の憩いの緑地帯にも現れてきました。


即身成仏

2010年08月05日 | いにしえから学ぶ

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8/5(木)

 夏休み前で周りは少し動いてるみたいですが、タケフジはイマイチの日が続きます。本日は朝早くの建築現場納めでした。現場は日進市です。近くに「聖人塚」・(しょうねずか)なるものが、野方というところにありました。

 「尾州府志」という江戸時代半ばの官撰地誌にこの塚の記事があるそうです。ある僧が「鈴の音がしなくなったら入定(にゅうじょう)=死去したしるしです」といってこの塚の土中に入ったということです。この地には「六部のしょうがねもち チンチン鉦叩け」という童謡があったそうです。六部とは巡礼の行脚僧のことです。

 これはいわゆる「即身成仏」です。五穀断ち、水断ちをして「ミイラ」になるんです。佛になり世の安寧を願うわけです。先日、111歳でミイラ化して発見された人の家族の言葉に「即身成仏になると部屋にこもった」とメチャな言い訳がありましたが・・・。 

 江戸時代にはこのような手段で「佛」になることを行った僧が数あります。以前揖斐の横蔵寺にて妙心法師の即身佛を見たことがあります。壮絶な生き方であるし死にようですね。