震災後「原発村」ということばを知った。
原発村とは、産・学・官の三つ巴で水をも漏らさぬ原発推進体制です。反・脱原発の芽がでるとすかさず根こそぎに刈り込む「村」です。そうすることで、膨大な利益が村にもたらされます。
山本某の俳優が「反原発をいえば仕事を干される」とツィツターでかいた。芸能界にとっては、原発関連会社は日本の基幹産業ですので、異見すればそうなっていくんでしょうね。「村八分」でしょう。「学」でも原発の危険性をいうと教授にはなれない。電力会社から国会議員がでる。天下りも当然。
今から思うと、安全・クリーン・安いゾ・・の大合唱でした。好感度・知性派の俳優やタレント・スポーツマンなどの原発安全宣伝が垂れ流し状態でした。今はパタッとやんでいますが。
反原発はめったにマスコミに登らなかった。スポンサーがないので当然です。俗にいう「出来レース」です。原発ありき・・・という。
「風通し」がワルイのです。反論は日本にはない・・というような。これはとても民主的ではないですね。賛成あり、そして反対ありのカンカンガクガクで方向がきまる。これが民主主義です。
日本は主張しあうことは苦手です。村の秩序を乱すことによって蒙る非難を避けたいんです。「村八分」がこわいのでしょうか、村の決定には物申せないんです。だから「原発村」に限らずミニ村はゴロゴロ日本にはあります。自分もそんな村人でありましょうか。
日本人は、今回の震災後の行動が、国際的に評価されました。秩序ありて混乱なし。略奪・無政府状態もなく粛々と・・・など。これも村意識のひっくり返しかもしれない。みんないっしょ・横並び・お隣さんの様子をみてから動く・・・というような。この国民性は、よくもわるくも働きます。