名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

心臓冠動脈手術 

2016年04月29日 | 朝な夕なのこと

4・29

 旧友が心臓手術した。冠動脈が狭くなったから。心電図検査にて判った。手術そのものは一時間程度。腕の動脈?から管を入れて心臓にまで管をはわせて様子を目視し、バルーンを膨らませて血管を拡張するものだ。局部麻酔ですので、先生の「ここせまいなぁ~ここやります」という声も聞きながらの手術という。あとは点滴しておしまい。4~5日の入院でした。
彼曰く「すすんでるわ~」と。これで心筋梗塞でバタンといくことはとりあえずなくなりました。よかったです。また飲みにいきましょと約束してTELおわり。

 友たちはアレコレ病もちです。私も来月は血液検査。数値によっては治療といわれてる。ひと総て並みの身体です、特別はなし。

 


ねぼうだぁ~

2016年04月27日 | 私のなりわい・運送のこと

4・27

 朝4時45分目が覚める。アチャ~遅刻だ!!5時積み込みなのだ。最速で40分はかかる。アワテルはアワテルはバタバタです。
 カミサンが起きて、背中をポンと叩かれる。「あんた、明日でしょう!」「・・・・・そうだった・・・」寝ぼけの× 2でありました。もしもカミサンの指摘がないとすると・・・どこらへんで気づくのかなぁ~とも思った。本日午前はなにもないので再度床に入るも結局眠られず・・・・でした。
 かって寝坊は二三度ありました。結果はなんてことなしだったんですが、朝イチの着手時間は絶えず気になるものです。 


災害ボランティア

2016年04月24日 | 朝な夕なのこと

4・26

 災害とボランティア
阪神・淡路地震が「ボランティア元年」といわれ、日本にボランティアが根付きました。 この度の熊本地震でもボランティア活動が始まる。

 自分のボランティア経験は後にも先にも一度だけ?
平成12年9・11 東海豪雨で新川が決壊し市街地広範に浸水した。 その後の片付けでした。北区役所で登録し、要望のある場所へグループで出かける。水に浸かった家具等の片付け、泥掻きでした。

 登録の時、どこかであった人?だが、思い出せない。運送仕事で時々入る会社の方でした。相手も気が付き共にでかけました。
ボランティアの動機はなんでもいい、気負ってすることでもない。気がむいただけ、ノルマがあるわけでもない・・・・しかし自分はボランティアに縁遠いものです。


トヨタ生産ダウン

2016年04月19日 | 朝な夕なのこと

4・19

 トヨタ高岡工場への納品がありました。ここはカローラ等の小型車生産工場です。
構内が、なんだか静か・・・
 熊本地震で、当地のアイシン精機の生産中止となり、ドア周辺部品がアウトと聞いている。そのため全国のトヨタ工場が段階的に生産中止となるらしい。久しぶりの納品ですから、通常との比較はできませんが・・・シズカでした。

 まるで人間の身体のようですね。一つの器官・パーツが悪くなると全身ガタピシとなる。これを「グローバル社会」というらしい。地球の裏側の出来事でも、当地に即ボディーブローとなるんです。

 そのグローバル社会で、それとも知らずウロウロしてる私 は、ミジンコのような単細胞のパーツでしょうか。

あわれミジンコ・・・おのれの損得にかかわる以外の出来事には、不感症のものであるか。


この列島の宿命

2016年04月18日 | 世間のこと

4・18

 熊本地震・・・・・日本は地球上で最も?地震の多い所です。いくつものプレートが沈み込む地域であり、活断層もトビッキリ集中している。
 巨大地震が度々あるのがこの列島の常です。ここで生きるには、これを避けては成り立たない。
 更に、文明が「ゆたか」になればなるほど、規模が同じ地震でも被害が甚大となる。過去の暮らし・・江戸時代と比べるに、今のインフラ(道路・通信・鉄道・産業設備等の社会資本)は巨大・複雑さは次元が異なる。いちど揺れれば比較にならぬ損害を蒙る。先の東日本地震で原発事故を含めトコトン知らされた。
 これは現代文明の宿命です。とてつもないモノ・利便性を獲得したわれらの代償なのでしょうか。といっても生まれた時からこの文明です。そのツケを回されても困ってしまうが・・されど自然と格闘して勝てるわけもなし。

この列島のわれら住民は生まれた時からこの宿題を負っている。東海地方・・・も、東海・南海トラフが満を持して出番を待っている。明日はわが身・・・・・

  


「ピースあいち」丸木位里・俊の「原爆の図」展

2016年04月13日 | 朝な夕なのこと

4・13

 午前中催事ものの搬入と、昼の定期を済まし本日終了。

「ピースあいち」・・近所なんです・・丸木位里・丸木俊夫婦の「原爆の図」展を見に行く。
全15作中、2作の展示でした。作品は1950~1982の32年間の丸木夫妻の共同制作です。
180x720の大きさです。今回は第4部「虹」と8部の「救出」です。
 「救出」の色彩は黒と朱。原爆直後の広島を描く。業火の中、老若男女ほとんど全裸に近い姿、やけただれて累々と横たわる中、若い母親と乳児をモッコで運ぶ男二人。すでにいのち絶えたであろう母子の目が哀しい。亡霊のように全身朱の血を流したたずむ女、手を合わせる母子、死んだ子を目の前にし呆然とする母・・・
 

 先日G7外相会議が広島にて開催された。米国オバマ大統領が今度のサミットで、この地を訪れるかどうか が注目されている。兵器を使用した米国は、国内の「原爆によって戦争が早期に終わった」という感情があり訪問には慎重です。

 国家間の利害・意見の相違の壁は、高く厚い。
その利害・相違 に固執する国家、そしてわれら。そのありようは、この「原爆の図」を前にすると悲しい姿に見えてくる。


休日・・・なんてことなく終わり

2016年04月10日 | 朝な夕なのこと

4・10

 くたびれがくる所まで来たら、同時に仕事はなくなりました。うまくできてます。先週金曜日は定期だけ、土・日は全休となる。金曜日は午前中図書館で新聞読んだり、なんとなく手にした本を借りたり。「東海の民話」「美濃・飛騨の伝説」・・・昔話が好きです。

 土曜は名古屋別院にて法話を聞きに行く。昼食後の法話はコクリコクリ・・・これがまた気持ヨシ。4月22日より「宗祖親鸞聖人750年御遠忌法要」が執り行われる。伽藍の修復も終わって準備も整いつつある。
  今日は豊田市のグリーンロードの中山IC出たとこの「緑化センター」へ。桜は最後の落下でした。1時間ほど散策して帰る。
なんてことない休日が終わる。疲労はとれたか?明日は簡単?荷下ろし、また始まりますよ!
  

 


仕事 なくても、あってもボヤキ・・

2016年04月04日 | 私のなりわい・運送のこと

 なんだか今年は忙しい。くたびれる。ことに組合仕事多し。

 今日も組合の引越し、荷物多し、見積もりがアマイ。これは2台口だヨ。この繁忙期にもう一台と組合に要求してもダメでしょうから2回戦とする。自分のもっともイヤな長時間引越しとなるが、お客さんにはそんな顔はツイとも見せず。プロですから・・・

 「手伝い」あり・・が条件の引越しです。青年が積極的に動いてくれる。ジジイに働かせてはならじとの惻隠の情か・・・ならば申し訳なし。

 さらに荷物の一部を少し破損する。「いいよ・・いいよ」で済ましてくれました。 
作業中にはTEL。明後日、引越しの長距離らしいが断る。

 引越しを終えて終了報告。即、明日午前中2件の仕事の打診あり。長距離引越しを蹴ってコロ2件を受ける。腰をさすりながらやりましょか。 

 ちょっとイソガシすぎます。
   ヒマは当然、忙しすぎてもボヤキマス。


選択できるうちがハナ

2016年04月04日 | 私のなりわい・運送のこと

4・4

 夕方美術館より絵画の搬出。同期で同年輩の赤帽さんに会う。待ち時間のダベリング。彼は2.3年前から引越しは止めたという。長距離はサックリこなす人です。
 赤帽仕事はその人の状況・環境にしたがって変化します。私も次第に自分の殻に合わせた仕事になってます。
 若き頃の稼がねばならん時には、仕事は問わず「何でもござれ」でした。しかしそれも50代まででしょうか。定期中心となり、近場のコマイ仕事を追うようになる。そう変化してきたのは、家を長きにわたり空けることができなくなったからだ。子の介護です。若いころならカミサン一人でよかったが、この歳ですと難儀となる。自分もなるべく家にある時間を多くしたいという訳です。
 このように軌道修正可能 な仕事でよかった。

 昨日、日曜日にスタッドレスを夏ラジアルに交換した。あの交換姿勢は腰にきます。最近はトクニです。だんだん引越しもままなりません。これも止めてしまうと、仕事の選択肢が狭くなり、ショボクなっていくんでしょうね。選べるうちがハナ。

 


役割、おしまい ・・の時

2016年04月01日 | 障がいのある人

 4・1

 先の日曜日、あるグループの寄り合いに行きました。障害児をもつ父親仲間の会です。もう四半世紀の付き合いです。今回はその「幕〆」のハナシです。

 ことの始まりは、障害のある子供を持った父親の集いからでした。親なき後も、施設等にて囲われることなく、普通の地域で暮らして欲しいという気持を共有した父親達の集いでした。 ある福祉法人のもとでのスタートでした。

 障害者が地域で暮らすには、グループホームと、生涯にわたる運営が必要です。そのために子供の障害年金を十数年積み立てました。H17にNPO法人を創設、運営の核としました。H19に家屋を購入し、グループホームとして改修をする。

 その後、ホームとNPOの地域活動を愛知県・知多にある社会福祉法人に委譲した。
ここいらで我等オヤジ達は退場でしょう。
 
 ホームへの出資は「寄付」という認識でした。しかし運営する社会福祉法人の方針で、お金が長期間に渡るも返金されることとなった。子供達が障害年金だけで暮らすのは厳しい。この措置はありがたい。
 今回の集いはその話し合でした。

 オヤジ達の二十数年間は過ぎ、まこと楽しい飲み会は終わりました。