5/26
25日、飛び込みの新潟県・村上市行きでした。今週、タケフジは珍しく長距離仕事が続く。週3本は数年ないことです。
1時前にお客さんが荷を持ち込んできました。先方が待っている・・とのこと。とにかく急ぐ。540キロの一気走りです。19時40分終了。
帰りはどうしよぅ~です。
新潟です。寄りたい所はイロイロです。明日は土曜でシゴトは一件のみ。すでに仲間に頼んであるので完全フリーです。
帰りのハナシはまたです。なんせ今はツカレタビーですから。
5/26
25日、飛び込みの新潟県・村上市行きでした。今週、タケフジは珍しく長距離仕事が続く。週3本は数年ないことです。
1時前にお客さんが荷を持ち込んできました。先方が待っている・・とのこと。とにかく急ぐ。540キロの一気走りです。19時40分終了。
帰りはどうしよぅ~です。
新潟です。寄りたい所はイロイロです。明日は土曜でシゴトは一件のみ。すでに仲間に頼んであるので完全フリーです。
帰りのハナシはまたです。なんせ今はツカレタビーですから。
5/23
朝より投げ込みの宅配をしていたら、東京行きが入る。宅配は今月中に終えればいいので、「やぁ~めた」即東京へ走る。
天気ヨシ!急ぐでもなし(5時まで・・の納品)ノンビリ新東名を走る。上りは遠州森PAで昼食。「仙の坊」でとろろそばを食べる。自分にあう味でした。
品川着が3時半。帰りも新東名で・・・。夕飯は駿河湾沼津SAの「しおや」。牛タン屋のようで・・牛タンハンバーグ定食にする。これはイマイチでした。
なんだか食いもんバナシになってしまいました。新東名は快適でした。
ゆっくり走ったので、往復700kmをガソリン41?で走る。17キロ/?の好成績でした。
5/21
やっとシゴトらしいものが入る。岡山市行きでした。昼定期に入る寸前にTELあり。定期を振って岡山へ出発です。名神集中工事ですが、さして渋滞なし。新名神のお陰です。夕方終了。距離も旧名神経由よりもうんと短くなりました。
備前ICで山陽道に上がり、ボチボチ帰りました。夕飯を三木SAで取る。食事あとには必ず睡魔がやってくる。それは織り込み済みです。帰りですから次のPAで好きなだけ仮眠です。
午前零時を確認して名古屋西ICを通過。これで高速料金が半額。ありかたいですね。
帰宅は1時でした。
5/20
本年度、町内の役員「体育委員」のお鉢が回ってきました。
これが大変な仕事でした。年間行事は毎月のようにあります。本日は「インデアカ」という競技でした。参加者を募るに走り回り、段取り・世話役の連続です。練習日もあり、その時間は仕事ヤメ。今日も一件仲間に依頼しました。日銭稼ぎのワタシには辛いことです。
なによりも町内の横の繋がりが希薄でしたので、メンバーの人脈にたどり着くまでのストレスがたいへんでした。ほとんどカミサンに、おんぶに抱っこでした。
本日は8時から4時まで、中学校体育館でインでアカ大会の本番日でした。クタクタでした。なんとか無事に済みホットしてます。
次は来月の「ソフトバレー」の準備です。地域の交際は仕事現役のころにはあまりありません。引退して即孤独で、近所町内で挨拶を交わす人が貧弱というのはいやです。ぼちぼち町内付き合いをいとわずにやっていかねばなりません。
「シゴト」の「シ」の字も思わなかった一日でした。いつもの脳の働く部分が違ってました。こんなことも必要です・・・かたくなった自分の脳には。
5/19(土)
ヒマ・暇・・・といっててもしかたないので、東別院へ法話を聞きにいく。たまぁ~に行くんです。真宗では、法話を聞くことを「もんぽう」(聞法)といって大切なものです。一にモンポウ、二にもんぽう・・です。定例法話は5~25日の毎日あります。
昼を挟んで2度あります。内容は省きます。これが大切なんですが・・・書ききれません。
昼食は同地中区橘の「天満屋」へいきました。ここの建物は百年らしいです。きしめん定食を食べてたら、名古屋河村市長が4人でやってきました。きしめんの単品を注文してました。乗ってきた公用車は黒塗りの高級車ではなく、ダイハツの軽自動車です。庶民派というところでしょうか。
昼食後の聞法は、メチャ眠くなり、気持ちよくうつらうつらでした。あきませんねぇ~
5月は暇な日々がつづいてます。
赤帽仲間の新車乗り換えのラッシュです。スバルサンバーが今年2月をもって生産中止となった。これを見越して、サンバーを予約した組合員がドンドン乗り換えているわけです。
自分も乗り換えたかったのはヤマヤマでしたが、走行距離が19万キロ程度でしたので、2回めの車検を昨年末に受けました。ここ数年走行距離は伸びませんので、現在の車はまだ3年はいけると思ってます。
その代わりメンテナンスには気をつけてます。一台のサンバー大体30数万キロで交換してきました。今回は行ける所まで乗ってみるつもりです。
いまんところ5台目は調子いいです。
5/12
久しぶりの終日仕事。疲れました。
朝より家具を積んで、美濃市まで。トンネル一つくぐると郡上という所です。長良川が大きく蛇行する川沿いにある旧道の集落です。昔は通行人で大いに賑わったとのことです。お届けしたお家は3代前までは、旅人相手の商売をしていたそうです。「十年ひと昔」といいます。ましてや40年となれば隔世の感です。われわれはそんな気ぜわしい世を生きているんですね。
今はR156が通り、街道の時代は終わり、静かな山里となりました。青い空に優しい美濃の山が傍に迫り、なんともうらやましい環境でした。
午後は小牧までスットビ戻り、引越しでした。家具類を積めるだけ積んでいく仕事です。お客さんと積み込んで名古屋まで走る。終了は4時頃。
ずぅ~と暇でしたので体がナマッテいたのでしょう、くたびれたぞ~う。
連休あけても連休続きの状態。週末に美濃市行きと引越しがはいってるだけです。
先日茨城県の帰りに寄った真岡市の高田山「専修寺」です。親鸞が越後へ遠流され、それが許される。その後53歳の時常陸国へ行く。この地での布教そしてこの一堂を建立・・・と寺の説明書きにありました。その総門の柱(写真)は建立当時のものといわれる。親鸞本人の意思にての建立ではなく、高田グループがなしたものではないかと思う。
如来堂の「一光三尊仏」は善光寺からお迎えしたとのことです。親鸞は善光寺の勧進僧との関係がありそうです。この地には親鸞ゆかりの言い伝えがおおくあります。
この専修寺は後に津の一身田に移り、あまり真宗が根づかなかったようです。
この専修寺から程ないところに二ノ宮尊徳の桜町陣屋跡と資料館もあります。朝着け仕事で眠かったですがウロウロしました。
関越バス事故・・・その内容事実がでてきました。
千葉~金沢、片道540キロの往復、3日間の仕事です。
事故までの行程は、東京を夜10時発、金沢に翌朝着。AM10時ホテルにチェツクインで休む。その日のPM10時過ぎに千葉行きです。到着予定は翌朝7時頃というコースです。往路はドラバー2人で、千葉行きは富山まで2人であとは1人です。この運転手は「日雇い」でした。
元請会社が18万円で受け、その下請けの2件がピンハネそれぞれ1万円。最終の「陸援隊」が15万円で受けた仕事です。
赤帽としてこの運行を考えてみる。
540キロの夜間走行、単発ものならば直行でも頑張れます。昼間10時間休息をはさんでの夜間走行は、休めさえすればできます。運賃でみると、13万円前後でしょうか。さして変わりません。
しかし赤帽は荷物ですが、このバスは46名の人命です。この違いは大きいです。夜間運転手のはなしでは、ラジオは聞けない、眠気覚ましに歌も歌えない、窓をあけて冷気を浴びることもできない・・・・ひたすら運転だそうです。赤帽車ではナンデモアリですが・・・。
規制緩和によりバス事業への参入のハードルが低くなり、負の面がでた。事業社間の競争にて運賃が安くなるのは消費者としては歓迎です。その反面運転者の人件費がカットされる。夜間バス運転者の所得は、かって500万円余だったが、今は300万円位という。
さらに危険リスクの過小評価がなされた。リスク回避には経費がかかります。ドライバー2名なら今回の事故は回避できたでしょう。
これに伴う人件費は乗客負担が当然です。「空気と水そして安全はタダ」という時代はオワリです。消費者もリスク回避を自分で判断する時代になったようだ。
5/1
連休谷間、仕事続く。3件目が夕方積んで、茨城県・東海村への朝一仕事でした。時間はあるのでノンビリ行く。新東名を始めて走りました。夜なので景色はサッパリですが、走りやすい道でした。
東海村は日本初の「原子の火」の地です。この原電近くの工場への納品でした。原電前を走ってみました。排気塔で「フクシマ」を思い出した。人のコントロールの出来なくなる可能性があるモノがこの構内にある・・・と思うと、早くこの場を去りたいという気持になった。このキモチは不謹慎?なことかなぁ~・・・でした。
往復走行距離・・1012キロ/62?・・・燃費は16.3㌔/?・・ガソリン代は9千円を越えます。省エネ走行したワリにはイマイチのデータでした。
眠かったんですが、帰りは北関東道を真岡市で下り、専修寺と二ノ宮尊徳資料館へ寄りました。・・・・それはまた後日。