名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

赤帽廃業の挨拶

2019年09月22日 | 朝な夕なのこと
 二十年来の付き合いのある赤帽さんが来訪。
9月の車検日を以て廃業という挨拶でした。彼は娘を十数年前に亡くし、その子たちを養育し、いまでは結婚もし、ひ孫まであるという。
よくがんばったひとなんです。
彼自身、孫たちを育て上げたことに満足し、安堵したと語る。赤帽は、も少し続けようかとも思ったが、孫たちが高齢を心配してたので決心したとも。
 また廃業につき、受けている運送を引き継いでくれないかとの依頼です。もちろん快諾しました。

おつかれさまでした。これからは孫、ひ孫に囲まれてゆっくりしてください・・・と、お別れしました。
円満の廃業なれど、別れはいつも淋しさをまとってきます。


安八の水騒動

2019年09月19日 | いにしえから学ぶ

 納品先の、岐阜県・安八町に「犀川事件」の碑がありました。水騒動です。江戸の時代では、生き死にの問題で、時には地域、村落の争いになり、命が失われることも数ありました。
ここ安八は、濃尾平野の木曽・長良・揖斐の三川に挟まれた「輪中」です。水災を防ぐために住民が共同して周りに堤を形成した洲の村落です。
しかし、この水騒動は江戸の時代ではなく、昭和4年の事件でした。政府の新水路計画は、当地にとっては洪水の危機が高まるということで七ケ村、2千人の抗議行動となり、官憲と対峙する。大垣の軍隊も出動もしたが、結局はその新水路は廃案となる。その代償として多くの村民が逮捕され、拷問も受けたという。

その騒動の旧町役場の地がここでした。
21世紀は、難民と温暖化による水争いの時代だといわれる。90年前の水騒動は、これからが本番になるのでしょか。

三日間…ゴロゴロ

2019年09月16日 | 朝な夕なのこと
 三日間休みとなりました。赤帽テキにいえば、仕事がなかったんです。これも丁度良かったです。この間、3時4時起きの仕事やら、一日走ったりがあり(たいしたことないんですが・・・)疲れたんでしょうゴロゴロしてました。
またもう一つ丁度よく?娘が持病の嘔吐で伏せったのでその看病ができたからです。こんなことで家から出たのは、土曜日に図書館で2冊借り出ししてきただけです・・・相当なモノグサでした。
借りた本は、「金子みすゞの詩とこころ」小寺誠・「故郷」水上勉です。
金子みすゞをヒマに任せ読みました・・・よかったです。
水上の文学は、その憂鬱さに耐えなければ読めません。しかしそのクラサが好きなんです。



自分のウツワ

2019年09月11日 | 私のなりわい・運送のこと
 先日は、デパートの催事物の引き上げ、4台口でした。
過去には、いろんな仕事で、7台・8台の要請も時々にはあり、その需要に応えてやってました。しかし最近は4台位がマックスです。それ以上は配車できないのです。仕事を依頼する仲間が減ったということです。私の仕事の器が小さくなったということです。
 法人化して「器」を大きくしていけば、仕事も増え顧客の大口需要にもどんどん対応できます。しかしタケフジは個人です。歳もとれば気力体力も減少、大きな仕事はできなくなるわけです。個人事業の宿命です。
しかし、法人化して規模拡大するウツワでない私にはこれが丁度よい。下り坂の姿を眺めてます。

 明日は、滋賀・大津までの運送です。昼の定期仕事を仲間に依頼していきます。昼過ぎには終了するでしょうからどこかブラブラ寄り道して楽しんできます。

通りすがりの・・やさしさ

2019年09月08日 | 朝な夕なのこと
 本日はやすみ。
夕方娘とカミさんと散歩。傾いた日差しがまだアツい。コースはいつもの香流川河畔です。桜並木の陰を選んでの散策です。
 その途上で娘の発作あり。路上でうずくまり痙攣。自転車の男性がとどうしたかと止まる。さらに女性の二人組がだいじょうぶ?かと声かけてくれる。
こちらにとっては、毎度のことですから・・・ええ間もなく回復しますから・・・と。さらに救急車を呼びましょうか・・・とも。いいえ大丈夫ですヨ、これで呼んでたら毎日よぶことになっちゃんですから・・・と笑う。娘と外出ではこのようなことが時々ある。その度に見知らぬ人たちのやさしさに感謝する。
私も、娘にかけてくれた人たちのそのやさしさを、めぐりてひと様に・・・と常におもってはいるんですが・・・



仕事の選択・・・変化あり

2019年09月05日 | 私のなりわい・運送のこと
 若いころは、仕事一途で当たり前です。家族のいろんな用事もありますが、仕事優先でした。稼がねばならんからです。
歳を喰うとそうではなくなるんです。働こうと思ってもできない状況が多発するのです。
 ここんとこカミさんの体調がかんばしくない。そうなると娘(障害アリ)の世話を私がやることになる。娘は福祉法人の工房へ通っている。朝夕はその送迎をせなならん。
カミさんが出来ねば私がやる。当然その時間帯の仕事ができなくなるわけです。事前に受けてある仕事があると仲間に急遽の依頼となる。
 来週は、神戸と滋賀・大津市への運送があるのだが、時間のかかる神戸は仲間に依頼し、近場の大津市への運送を選択しました。
なるべく仕事時間が短くなるように・・ということです。若いころの、少しでも長距離を・・ということとは、マギャクの選択をするのが日常となる。



防災の日 津波の記憶・・・物語として・・

2019年09月01日 | いにしえから学ぶ
 先日、静岡・袋井市浅羽町のある工場へ納品に行きました。ここは南へ1キロも走れば茫洋たる遠州灘だ。
その工場の正門前に写真の松がありました。「亀ノ松」とある。謂われの看板を見る。それによると、6百年ほど前に大きな地震津波・津波があり多くの人達が亡くなる。 
村のある青年の家族も被害にあい、妻子が波にさらわれた。神仏に祈ると、夢に子は生きておるとのお告げ。いわれた浜に行くと、打ち寄せられた小枝の山の上に子供がいた。そしてその下には大きな亀が死んでいた。妻が亀となり子を救ったと。その子供が手にしていた松の苗をこの地に植え育てた・・・という伝承です。

 ここは東南海トラフの真上です。その地震だったんでしょう。またウミガメの産卵の浜でもあります。
ただ地震津波がありましたとさ・・・だけでは、後世のわれらには伝わらない。このような物語になったればこそ6百年後の今にも伝わったのでしょう。

この地は、江戸時代初期にも大地震・津波に襲われた。時の領主の命で「いのちの山」がつくられていた。現代も其れにならい、古墳のような丘が遠州灘の各所に出来上がった。
 
 「亀ノ松」の遺志は確かに伝承されている。
現代のわれわれは6百年後の民に、かたりつげる物語を遺せるだろうか?