広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

続・油田

2012-10-11 21:14:37 | 秋田の地理
昨日に続いて油田の話を少々。
帝石秋田鉱業所裏の掲示の中に、「八橋油田地域図」があった。
八橋油田地域図
ちょっと分かりにくいが、「八橋油田」は、北秋田、外旭川、高野(こうや)、八橋、雄物川、新屋、浜田の各地区に区分されるらしい。そのうち外旭川から新屋までの5地区で採掘が行われている(いた?)ということだろうか。

5つの地区名は、実際の地名とズレていたり、地名ではない名称が使われている。
地名でいうと、北から下新城、飯島、外旭川、寺内、八橋、川尻、勝平、新屋といった辺り。秋田市中心部の西側をほぼ南北に貫いていることになる。

八橋以北には、今もポンピングユニットがあって、油田地帯であることをイメージしやすいが、それより南でも石油が取れるイメージはなかった。
でも、そういえば、昔(昭和末期)、秋田運河(地図では旧雄物川)に架かる新川橋~臨海バイパス「若葉町」交差点(地図の雄物川地区と新屋地区の境目)付近から、運河沿いで稼働するポンピングユニットが何台か見えたのを思い出した。今もあるかは分からない。
勝平や新屋の中心部(湧き水のある場所と重なる)にも石油があるのか。掘ったところで採算は取れないのだろうけど。

さらに、地図には、八橋油田より東側に「旭川油田」と「新秋田油田」が示されている。こんなところにも油田があったとは知らなかった。
線路との位置関係から判断するに、「旭川油田」は旭川流域の旭川地区。秋田温泉の南側から手形山のふもと(秋田高校付近)ってところか。
Wikipediaの八橋油田の項によれば、旭川油田は明治末に採掘が始まり、昭和初期にピークを迎え、1978年でもわずかに採れていたようだ。
「新秋田油田」は、なんと秋田駅のすぐ西。旭川沿い=川反かもしれないが、あの付近の旭川は江戸時代に流路が変えられた人口河川だったはず。そこから南下して、楢山、太平川(と地図にはないが猿田川)を越えて牛島をかすめて卸町、茨島まで。

なお、「新八橋油田」という名称を聞いたことがあったが、それは外旭川にあるらしいので、地図では八橋油田・外旭川地区に含まれているのだろうか。

秋田市というところは、掘ればどこでも石油が出てくるといっても過言ではない土地、といってはやっぱり過言でしょうか。


さて、
外旭川の秋田市卸売市場
イオンタウンがショッピングセンター建設を計画しているのは、この北側(上の写真奥)。
卸売市場の正面は、敷地の西側。道路を渡ると、店舗や住宅地が連なる。
その中の中古自動車屋さんの敷地の片隅に、石碑があった。


「日本一 大油田発祥の地」
裏面には由緒や設置した日付などが掘られていたが、ちょっと入りづらい場所だったのと、撮影時に急いでいたので見ないでしまった。

「貸地(帝石に土地を貸してる人たちってこと?)」関係の連合会・同盟会の創立50周年で立てたものらしく、わりと新しそう。

推測だけど、八橋油田で最初に石油が採れたのは、八橋地区とか草生津川(くそうづがわ=石油にちなむ名)流域などでなく、外旭川のここだというのが意外だった。卸売市場ができたり住宅地になったのはここ30年ほどのことだから、昔は「外旭川村」の外れの田んぼの中だったのだろう。
なお、現在も、近くの住宅地でポンピングユニットが稼働している。(記事末尾参照)

【2014年12月13日追記】
2014年12月7日付秋田魁新報の同社創刊140周年企画「秋田再探訪」の「21油田王国」より。
・ポンピングユニットと呼ばれる採油機械
→「サッカーロッドポンプ」よりはポンピングユニットのほうが装置の呼び名としては普通のようだ

・明治時代の初め、秋田市八橋戌川原(現在のJAビル付近)で地面の油を目にした油商人・千蒲善五郎が、その活用を思い立ち、本県の油田史は幕を開けた。
→石碑の発祥の地とは異なる場所
・秋田市外旭川から浜田まで南北13キロ、幅600メートルと細長い八橋油田は、国内でも珍しい平野部の油田だ。
→上の看板の地図の「秋田北地区」は新城川付近なので外旭川よりも北。そこは「黒川油田」?

・昭和初期に本格的に開発され、1960年前後をピークに、これまで約575万キロリットルを生産した日本一の油田
・1960年1月11日、八橋油田は最多日産量1075キロリットルを記録(それ以後、原油、天然ガスとも減り始める)。(その当時は、)帝石の従業員4千人のうち、八橋だけで千人もいた
(以上追記)



最後に、ネットを見ると、石油を掘る光景を見たいと思われる旅行者の方がたまにいらっしゃる。(ポンピングユニットが動いているだけだけど、その気持ちはよく分かる)でも、アクセス方法が分からなくて困ることが多いようだ。
そこで、秋田駅西口から路線バスで訪れやすい場所を以下に記しておきます。※基地が廃止される場合などもあるかと思いますので、参考程度にお願いします。バス路線や運賃は初回アップ時の内容で、改定される可能性あり。
・帝石秋田鉱業所裏のポンピングユニット(ショッピングモール「パブリ」内の「ホームセンターサンデー秋田八橋店」の裏)
県庁・寺内経由土崎線 または 将軍野線(通町経由・県庁経由どちらも) 合わせて毎時3本程度運行
「帝石前」下車 300円(1つ手前の「面影橋」で降りれば250円)

・「日本一大油田発祥の地」碑と近くのポンピングユニット(サンフェスタ外旭川内のスーパー「グランマート外旭川店」の南西にある保育園の隣)
神田線 毎時2~3本運行
「卸売市場入口」下車 340円 または「旭野団地」下車 380円
間の「八柳三丁目」「外旭川病院前」バス停だとちょっと遠い。1日2便の土崎駅行きの神田線は「旭野団地」は通らないので注意。


※ネットでも閲覧できる国土地理院の地形図では、ポンピングユニットのある場所に、「油井・ガス井」を示す四角い地図記号が記載される。複数台がまとまっている箇所では、記号は1つのことも多い。この記事後半に例があります。

【2020年7月31日追記】秋田魁新報購読者向け月刊誌「秋田さきがけ コミュニティーマガジン 郷 vol.142(2020年8月号)」によれば、
・ポンピングユニットは現在(秋田)市内に25機あり、うち15機程度が稼働。
・1日約25キロリットルの原油を生産している。
・(総称としての)八橋油田の産油の約8割は、外旭川・寺内高野産。※誌面では、ブログ本文中の「高野」地区のことを「寺内高野」としている。
【2020年8月5日補足】1993年10月28日付秋田魁新報夕刊には「八橋油田のポンピングユニット/家に囲まれ夜間休止も/苦境に耐え現役は57基」という記事があった。30年弱でかなり減ったようだ。

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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
旭川油田 (りお)
2012-10-11 23:27:16
旭川出身の者です。
確か小学校の郷土学習で習ったと思うのですが、秋田温泉って「油田を掘ろうと思ったら、油ではなく温泉が出てきちゃった!」というなかなか珍しい温泉だったはずです。
田んぼの中に油が滲みだしてきて農民が迷惑して、その話を聞いた人が油が出てくるのではと思って掘った…という話を聞いた覚えが朧気ながらあります。
こうやって今考えると、秋田温泉って結構歴史の浅い温泉なのですね。
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秋田温泉 (taic02)
2012-10-11 23:41:39
情報ありがとうございます。さすが地元の方はよくご存知ですね。
秋田温泉は偶然の産物だったのですか。
外旭川のイオン計画の中に温泉もありますが、すぐ近くが大油田発祥の地。どうなりますやら。
恥ずかしながら、秋田温泉に入浴したことがまだありません。機会を逃してしまって。

そういえば数年前には、金足の辺り(黒川油田?)で田んぼに石油が湧いたことがありました。農家にしてみればとても迷惑な話でしょう。
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続・産油都市秋田 (FMEN)
2012-10-11 23:50:40
川尻TSUTAYAの近くに井戸ありましたね。
雄物川油田というのはわかりましたが、この油田は旧共同石油(後のJOMO→エネオス)が会社を大きくするのに貢献したそうです。
確かにJOMOは男鹿に基地を置き、男鹿がJOMOの企業城下町でありましたが。
浜田までとはしりませんでした。

一時期、仁井田の原野は掘れば石油が自噴するみたいな話が流れましたが、嘘みたいですね。
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連投すみません (りお)
2012-10-12 00:31:02
http://www.onsen-navi.net/onsenhistory/2009/06/post_664.html#more

その後調べてみた所、やっぱり史実であったようですね。
秋田温泉は「秋田温泉プラザ」と「秋田温泉 別館 りらっくす」で日帰り入浴が可能です。
浴槽も数種類あり、露天風呂もあります。田んぼに囲まれた温泉というのも、いかにも秋田らしくいいものですよ(お風呂からは田んぼは見られませんが…)。
機会があれば、ぜひいらしてください!
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Unknown (あんなか)
2012-10-13 17:52:57
油田のお話ためになりました。
以前長老から聞いた話ですと八橋油田地帯のやぐらの連立はそれは見事だったそうです。
特に新国道から西から見た風景はまさに日本一の油田地帯の貫録だったようです。

ここからは映画の話ですが
東宝の特撮映画に「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」というのがあります。
この映画の冒頭でバラゴンが一部出てくるシーンで「秋田油田で大きな地震があった」というセリフがあります。
東宝特撮映画唯一秋田が出てくるのがこの映画でバラゴンは秋田出身の怪獣と言うことになります。
(ただ子供の頃持っていた怪獣図鑑にバラゴンは新潟出身と有ってガッカリした思い出が。)
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Unknown (アポロG)
2012-10-14 19:04:06
「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」は海底油田でしたね。
TV版「日本沈没」もやはり海底油田でした。
新屋海浜公園沖に「白竜号」が来ていたようです。
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コメントありがとうございます (taic02)
2012-10-14 20:04:52
>FMENさん
そうです。TSUTAYAのところです。
「浜田」といっても、地名としては新屋の平野部から大森山まで含むように見えますが、意外ですね。

仁井田はどうなんでしょう?
地学の知識はぜんぜんないのですが、こういうのも突き詰めるとおもしろいそうです。

>りおさん
秋田市民なら秋田温泉ぐらい入っておかないとと思っているのですが、アクセスの都合上、華のゆと新屋温泉ばかり行ってしまいます。
ほんとにいつか。

>あんなかさん
ほとんど看板の受け売りで恐縮です。
昔は建物が少なく見通しもよかったでしょうが、独特の風景が広がっていたようですね。僕も聞いたことがあります。
今は風車がその代わりでしょうか。

昔は映画になるほど、秋田といえば油田というイメージが全国的に持たれていたのでしょうね。

>アポロGさん
そうでした。「白竜号」ってのもありましたね。
海の中にやぐら状のものが立っていて、秋田市の海岸からも見えたような話を聞きました。
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八橋油田なつかしいです (やすべえ)
2013-01-26 14:41:30
今日初めてこちらのブログを拝見しました。
わたしに興味深いことがたくさん書いてあり、始めて投稿してみようと思いました。
わたしはもう50代後半ですが、こどもの(小学生)頃は八橋に住んでおり、当時は子供の行動範囲内でも、今のパブリからタケダスポーツあたりにかけて油田のやぐらやポンピングユニットがあり、また旧国道の帝石前バス停あたりから新国道が見渡せ、そこには一面田んぼのなかにやぐらが立ち並んでおりました。
当時は帝石が石油も出て絶好調だったので、映画の撮影があったり帝石体育館に歌手が来てみに行ったりしたように思います。
久々にそんなことを思い出しました。
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ありがとうございます (taic02)
2013-01-26 20:54:07
はじめまして。懐かしく見ていただけて、うれしいです。
その当時は、やぐらとポンピングユニットが混在していたのですか。

僕が物心ついた頃は、外旭川の田んぼの中など限られた場所にポンピングユニットが点在するだけで、帝石付近はすっかり住宅地という認識でした。
かつては、保戸野・泉~新国道付近、さらに以前は山王も一面の田んぼだったという話や写真は見聞きしても、あまり実感がしない世代です。
今の若い人は、秋田産のエネルギー源といえば、石油よりも風力発電を連想するらしく、新たな世代間の差があるなと感じてしまいます。
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