鉄道と道路が平面で交わる「踏切」。一般的に(例えばJRの場合)、そのすべてに「○○踏切」と個々の名前が付いている。
道路の交差点よりも数が少なく管理しやすいとはいえ、某秋田県のように交差点名の看板が撤去されて幻となった交差点名や“偽名”の交差点が多いのとは大きな差がある。
踏切は道路に面した柵(?)に踏切の名称が記載されているが、地図には掲載されていおらず一般人には周辺住民くらいにしか浸透していない。あくまで鉄道側の施設であり、命名であるという意味合いなのだろうか。
踏切名は単純に所在地名を付けたものが多いが、それ以外には「○○街道踏切」といったような現代人が忘れてしまいがちな旧街道にちなむものがあるし、秋田市土崎には奥羽本線「松田踏切」(2006年に廃止)という“松田さん家の敷地”を通る踏切があったなど、おもしろい。
新屋駅のすぐ南の踏切(駅ホームから撮影)
列車側にも踏切名が記載されている(赤い矢印)が、「豊岩踏切」となっている。
秋田市豊岩(とよいわ)といえば、新屋の東隣の地域。この踏切は新屋扇町など「新屋○○町」(4つの町の境界)に所在するから、ここは豊岩ではない。秋田市サイト内の「地名小辞典」でも、以前から「新屋町」だった。
「豊岩の方に向かう道にある踏切」という意味で命名されたのかもしれない。
このような踏切名と実際の地名が一致しない例もあるが、駅名でも「品川駅は品川区でなく港区に所在する」といった例があるから、鉄道式の命名法といえるかもしれない。
※豊岩踏切についての関連記事
ほかには近くにある施設などの一般名詞が付いた踏切がある。中には、由来となった施設が消えてしまったのに踏切の名前だけ、そのまま残っているものもある。これも、踏切の名称は鉄道内部で通用すればよく、不用意に変更すればかえって混乱するからといった理由があるのかもしれない。
例えば、五能線には「飛行場踏切(秋田県能代市)」と「兵舎踏切(青森県つがる市木造かな?)」がある。いずれも戦前や戦中に飛行場と兵舎が踏切のそばにあったそうだ。
秋田市土崎の奥羽本線には「支所踏切」というのがある。支所というと、役所とか農協などの支所をイメージしてしまうが、近くには存在しないはず(秋田市土崎支所からはだいぶ距離がある)。これもかつて何かの支所がそばにあったからだろうか?
※支所踏切については、こちらの記事をご覧ください。
さて、
秋田市楢山の羽越本線の踏切
大型車は通行禁止の細い道。周りは住宅やお寺で、奥に城南中学校のある「金照寺山」、左には太平川がある。
この踏切の名称は
「土取場踏切」書体が古めかしい
「つちとりば」と読むのかと思い込んでいたが、帰ってから画像を見ると、ひらがなでも記載があり、
「どとりば踏切」ですか。
採石場のような、石でなく土砂を取る場所を「土取場」という。(「Weblio辞書・土木用語辞典」にも「どとりば・土取り場」で出ている)
今はこの周辺にはそんな場所はなさそうだが、山の麓から川にかけて空き地になっているから、かつて土取場があったのだろうか。
次は、太平川を渡って(道路では百石橋で)、1つ秋田駅寄りの踏切。
「袋小路踏切」こちらは今風のゴシック体
袋小路とは行き止まりの道のこと。ここも細い道だが、行き止まりになっているのか?
※個人のお宅が多いため、写真の掲載は控えます。
西側(南通宮田)からこの踏切を渡ると、直進する道と左折する道に分かれている。
左折すると、北隣の踏切の脇へ出るが、直進する道は本当に「袋小路」になっているらしく、「この先行き止まり」の看板が出ている。
袋小路踏切は本当に袋小路なわけだ。
名称が思いつかなくて、道路の形状から命名したのだろうか? すぐ近くには「楢山寺小路」という地名があるが、それとは関係…ないかな?
ところで、踏切の柵の表示に、名称のほかに「踏切No.100」「270K396M」という表示もある。
「○K○M」は、羽越本線起点の新潟県新津からの踏切の距離(キロ・メートル)。
「踏切No.」は、JR東日本秋田支社管内での路線別の通し番号(羽越本線の場合酒田以南【訂正】以北)を示している。つまり袋小路踏切は、酒田から数えてちょうど「100番目の踏切」ということになるはず。(踏切No.については後日記事にするつもりです)
袋小路踏切から秋田駅方向。秋田駅までは1.3キロほど
この先で奥羽本線と合流し、秋田駅で羽越本線が終わる。
道路の交差点よりも数が少なく管理しやすいとはいえ、某秋田県のように交差点名の看板が撤去されて幻となった交差点名や“偽名”の交差点が多いのとは大きな差がある。
踏切は道路に面した柵(?)に踏切の名称が記載されているが、地図には掲載されていおらず一般人には周辺住民くらいにしか浸透していない。あくまで鉄道側の施設であり、命名であるという意味合いなのだろうか。
踏切名は単純に所在地名を付けたものが多いが、それ以外には「○○街道踏切」といったような現代人が忘れてしまいがちな旧街道にちなむものがあるし、秋田市土崎には奥羽本線「松田踏切」(2006年に廃止)という“松田さん家の敷地”を通る踏切があったなど、おもしろい。
新屋駅のすぐ南の踏切(駅ホームから撮影)
列車側にも踏切名が記載されている(赤い矢印)が、「豊岩踏切」となっている。
秋田市豊岩(とよいわ)といえば、新屋の東隣の地域。この踏切は新屋扇町など「新屋○○町」(4つの町の境界)に所在するから、ここは豊岩ではない。秋田市サイト内の「地名小辞典」でも、以前から「新屋町」だった。
「豊岩の方に向かう道にある踏切」という意味で命名されたのかもしれない。
このような踏切名と実際の地名が一致しない例もあるが、駅名でも「品川駅は品川区でなく港区に所在する」といった例があるから、鉄道式の命名法といえるかもしれない。
※豊岩踏切についての関連記事
ほかには近くにある施設などの一般名詞が付いた踏切がある。中には、由来となった施設が消えてしまったのに踏切の名前だけ、そのまま残っているものもある。これも、踏切の名称は鉄道内部で通用すればよく、不用意に変更すればかえって混乱するからといった理由があるのかもしれない。
例えば、五能線には「飛行場踏切(秋田県能代市)」と「兵舎踏切(青森県つがる市木造かな?)」がある。いずれも戦前や戦中に飛行場と兵舎が踏切のそばにあったそうだ。
秋田市土崎の奥羽本線には「支所踏切」というのがある。支所というと、役所とか農協などの支所をイメージしてしまうが、近くには存在しないはず(秋田市土崎支所からはだいぶ距離がある)。これもかつて何かの支所がそばにあったからだろうか?
※支所踏切については、こちらの記事をご覧ください。
さて、
秋田市楢山の羽越本線の踏切
大型車は通行禁止の細い道。周りは住宅やお寺で、奥に城南中学校のある「金照寺山」、左には太平川がある。
この踏切の名称は
「土取場踏切」書体が古めかしい
「つちとりば」と読むのかと思い込んでいたが、帰ってから画像を見ると、ひらがなでも記載があり、
「どとりば踏切」ですか。
採石場のような、石でなく土砂を取る場所を「土取場」という。(「Weblio辞書・土木用語辞典」にも「どとりば・土取り場」で出ている)
今はこの周辺にはそんな場所はなさそうだが、山の麓から川にかけて空き地になっているから、かつて土取場があったのだろうか。
次は、太平川を渡って(道路では百石橋で)、1つ秋田駅寄りの踏切。
「袋小路踏切」こちらは今風のゴシック体
袋小路とは行き止まりの道のこと。ここも細い道だが、行き止まりになっているのか?
※個人のお宅が多いため、写真の掲載は控えます。
西側(南通宮田)からこの踏切を渡ると、直進する道と左折する道に分かれている。
左折すると、北隣の踏切の脇へ出るが、直進する道は本当に「袋小路」になっているらしく、「この先行き止まり」の看板が出ている。
袋小路踏切は本当に袋小路なわけだ。
名称が思いつかなくて、道路の形状から命名したのだろうか? すぐ近くには「楢山寺小路」という地名があるが、それとは関係…ないかな?
ところで、踏切の柵の表示に、名称のほかに「踏切No.100」「270K396M」という表示もある。
「○K○M」は、羽越本線起点の新潟県新津からの踏切の距離(キロ・メートル)。
「踏切No.」は、JR東日本秋田支社管内での路線別の通し番号(羽越本線の場合酒田
袋小路踏切から秋田駅方向。秋田駅までは1.3キロほど
この先で奥羽本線と合流し、秋田駅で羽越本線が終わる。
地元とまでは言いませんが、子どもの頃の私の活動範囲には入っているので。
ただ、踏切の名前までは把握していませんでした。
踏切に限らず昔の地名や名称が残っているところは多いですね。
以前の町名の話題でも書きましたが、出来れば古い地名など、その土地の歴史を感じさせるものは出来るだけ残して欲しいと思います。
今は住宅が多いですが、当時はきっと、遊べる場所も多かったのでしょう。
地名を知っていたとしても、身近すぎて由来までは思い至らないことが多いですが、よく考えると不思議なものがあります。
名前と由緒を一緒に残していけるのが理想的だと思います。