秋田駅のリニューアルがまもなく完成し、昨年末には羽越本線・新屋駅舎の外観を中心としたリニューアルがされていた。その間に位置する、羽越本線・羽後牛島駅について。
現在の羽後牛島駅は、駅としての機能はコンパクト。1面2線の島式ホームの上に、待合室も駅事務室・窓口も集約されている。
新屋駅同様、委託先であるJR東日本東北総合サービス(旧・ジェイアールアトリス)の駅員がいて、窓口で指定席券等も購入可能。タッチパネル式近距離券売機1台設置。早朝・夜間は無人(券売機も使用停止のため、車内または着駅で精算)。
ホームへは、線路の両側を結ぶ自由通路を兼ねた地下道で出入りする。
昔、貨物列車が発着していた名残りで駅の敷地は広いため、地下道の距離はけっこう長い。65メートルらしい。
地下道の自由通路は、秋田市内の他の駅にならって「牛島ウイロード」と命名されている。ウイロードとは、私たちを意味する「We」とWESTとEASTの頭文字が由来ということのようで、羽後牛島駅も両側の出入口を西口、東口としている。卸町・茨島側が西口、仁井田側にあるのが東口。実際に地図で見ると、どちらかと言えば北口と南口のほうが適切かもしれない。
東口は、道路を横断する地下道の階段(もしくは地下鉄駅の小さな下り口)のようなコンクリート製の出入り口があるのに対し、西口のほうは、こんなもの。
羽後牛島駅西口
広いロータリー【28日補足・単なる広場? 写真のように国際タクシーが待機していることがあり、ポスト、電話ボックス、飲料自販機(Suica対応)、なぜか脇にはコイン精米所もある】があり、大きなケヤキとともに、まるで駅舎のような建物が建つ。その建物にはトイレ以外には一般人が利用できるような施設はない。
列車に乗るにしても、反対側と行き来するにしても、この建物の中を通らないといけないという、どこか大げさな構造。
その理由は、元は西口側の建物が羽後牛島駅舎そのものであり、地下道はこの駅舎とホームを結ぶためだけのものだったから。
1992年に地下道を東側へ延伸して、自由通路として開放。その後に(Wikipediaによれば1994年?)、駅事務室が西口からホーム上へ移転して、現在の形になった。
駅事務室移転後現在まで、西口側の建物は、トイレやJR東日本東北総合サービスの「秋田用地管理事務所」として使われている。
東口がアパートの脇から市営住宅の中へ出入りするような構造なのも、後付けだからこうせざるを得なかったのだろう。
羽後牛島は、仁井田の県立秋田南高校の最寄り駅であるが、自由通路供用前は、わざわざ国道13号線の跨線橋で線路を越えて利用していたことになる。改札口からホームまで遠く、戻る形になり、もどかしそう。
1992年から1994年までは、自由通路として利用する人も、改札口を通っていたということなんだろうか。なお、その頃までは自動券売機がなかったという話を聞いたことがある。
【30日補足】時間帯にもよるのかもしれないが、南高校の生徒以外の地元住民の利用者数は東口のほうが多い印象。東口を作って正解だったと言えよう。
前置きが長くなりました。上の羽後牛島駅西口の建物の写真、以前とは若干変わっている。
もうちょっと近くから
(再掲)部分的ですが以前の姿
現在
外観がわずかに変わった。
増築/減築、大規模な色の変更は行われておらず、全体的に以前のイメージのままできれいになった。建物から外へ出入りする風除室部分だけはこげ茶色の木の風合いを活かしたものになり、窓なしアルミサッシのドア(おそらくはめ殺し)だった部分が、ガラス窓になった。風除室に設置されていた、駅名と用地管理事務所の看板は、同じものを建物本体へ移設。
内部も、以前とほぼ同じながら、木材を使ったきれいな内装になった。
風除室
建物内
かつてはここがコンコースで、正面のドアが改札口だったのだろうか。
現在は、ドアを入って左方の階段で地下道へ下りる。向こうが線路・ホームで、手前の車は社員用駐車スペース。
トイレは、何年も前に使った時は、入口は1つで、中で男女別に分かれている古いタイプだったが、現在は、入口から男女に分かれている。トイレの中もリニューアルされたのかもしれない。
新屋駅の工事が行われていた11月末には、この建物で屋根をきれいにする工事が行われていた。
その後、羽後牛島駅へ来ることはなく、3月下旬に久々に来たら、このようになっていた。新屋駅と同時進行でリニューアルが行われたのだろう。
羽後牛島駅リニューアルについてJR東日本秋田支社からの発表もないし、新屋駅ほど工事費用がかかっているようにも見えない。新屋といっしょにやって、費用を抑えようとしたのかしら。
“プチリニューアル”といったところか。(←自分で記述してなんですが、フランス語+英語の異言語の合成が気に入らない。プチトマトも同様。ミニトマトというべきでしょ)
「建物財産標 昭和19年6月」
新屋駅は1920年のこの区間開業時からあったが、羽後牛島駅は1年遅れて開業している。
駅舎は新屋駅は当時のものをずっと使っているが、羽後牛島駅は1944年に建て直されて、それが現在の西側の建物。
羽後牛島駅では、バリアフリー対応とか、持て余している土地を効率化することも必要に思えるけれど、ケヤキの大木とともにたたずむ味のある(元?)駅舎の風景が味わい深い。それがきれいになって気持ちいい。引き続き、大切にしてほしい。
ところで、「羽後+牛島」のように、地名の前に旧国名を冠する駅名は、他地域にある同じ地名と区別する目的。
大久保のように国名なしのものが3駅もあったり、越後湯沢と湯沢のような例もあり、厳密な決まりではない。
では、他に「牛島駅」があるのか。
埼玉県春日部市の東武野田線に「藤の牛島」駅がある。
ただし、旧国鉄ではないし、開業が1930年と羽後牛島より後だから、あまり関連はなさそう。
やはり所在地名が牛島で、「牛島の藤」というフジの巨木があり、それにちなんだ駅名とのこと。
徳島県吉野川市のJR四国徳島線には「牛島」駅。こちらは「うしのしま」と読む。
1899年に私鉄の「牛ノ島」駅として開業、1907年に国有化され、その後「牛島」表記になったので、国鉄駅として羽後牛島より先輩。
表記が重ならないよう、後からできたほうに羽後を付けたことになる。
四国の牛島駅は、無人駅ながら駅舎はあったものの、ちょうど1年前に取り壊され、今は小さな待合室だけの駅舎になったそうだ。
※この後、2019年春に羽後牛島駅の前を通る新しい市道が開通。駅の建物への影響はないが、先立ってケヤキが伐られ、周辺の構造物の配置や車の動線が変わった。こちらにて。
現在の羽後牛島駅は、駅としての機能はコンパクト。1面2線の島式ホームの上に、待合室も駅事務室・窓口も集約されている。
新屋駅同様、委託先であるJR東日本東北総合サービス(旧・ジェイアールアトリス)の駅員がいて、窓口で指定席券等も購入可能。タッチパネル式近距離券売機1台設置。早朝・夜間は無人(券売機も使用停止のため、車内または着駅で精算)。
ホームへは、線路の両側を結ぶ自由通路を兼ねた地下道で出入りする。
昔、貨物列車が発着していた名残りで駅の敷地は広いため、地下道の距離はけっこう長い。65メートルらしい。
地下道の自由通路は、秋田市内の他の駅にならって「牛島ウイロード」と命名されている。ウイロードとは、私たちを意味する「We」とWESTとEASTの頭文字が由来ということのようで、羽後牛島駅も両側の出入口を西口、東口としている。卸町・茨島側が西口、仁井田側にあるのが東口。実際に地図で見ると、どちらかと言えば北口と南口のほうが適切かもしれない。
東口は、道路を横断する地下道の階段(もしくは地下鉄駅の小さな下り口)のようなコンクリート製の出入り口があるのに対し、西口のほうは、こんなもの。
羽後牛島駅西口
広いロータリー【28日補足・単なる広場? 写真のように国際タクシーが待機していることがあり、ポスト、電話ボックス、飲料自販機(Suica対応)、なぜか脇にはコイン精米所もある】があり、大きなケヤキとともに、まるで駅舎のような建物が建つ。その建物にはトイレ以外には一般人が利用できるような施設はない。
列車に乗るにしても、反対側と行き来するにしても、この建物の中を通らないといけないという、どこか大げさな構造。
その理由は、元は西口側の建物が羽後牛島駅舎そのものであり、地下道はこの駅舎とホームを結ぶためだけのものだったから。
1992年に地下道を東側へ延伸して、自由通路として開放。その後に(Wikipediaによれば1994年?)、駅事務室が西口からホーム上へ移転して、現在の形になった。
駅事務室移転後現在まで、西口側の建物は、トイレやJR東日本東北総合サービスの「秋田用地管理事務所」として使われている。
東口がアパートの脇から市営住宅の中へ出入りするような構造なのも、後付けだからこうせざるを得なかったのだろう。
羽後牛島は、仁井田の県立秋田南高校の最寄り駅であるが、自由通路供用前は、わざわざ国道13号線の跨線橋で線路を越えて利用していたことになる。改札口からホームまで遠く、戻る形になり、もどかしそう。
1992年から1994年までは、自由通路として利用する人も、改札口を通っていたということなんだろうか。なお、その頃までは自動券売機がなかったという話を聞いたことがある。
【30日補足】時間帯にもよるのかもしれないが、南高校の生徒以外の地元住民の利用者数は東口のほうが多い印象。東口を作って正解だったと言えよう。
前置きが長くなりました。上の羽後牛島駅西口の建物の写真、以前とは若干変わっている。
もうちょっと近くから
(再掲)部分的ですが以前の姿
現在
外観がわずかに変わった。
増築/減築、大規模な色の変更は行われておらず、全体的に以前のイメージのままできれいになった。建物から外へ出入りする風除室部分だけはこげ茶色の木の風合いを活かしたものになり、窓なしアルミサッシのドア(おそらくはめ殺し)だった部分が、ガラス窓になった。風除室に設置されていた、駅名と用地管理事務所の看板は、同じものを建物本体へ移設。
内部も、以前とほぼ同じながら、木材を使ったきれいな内装になった。
風除室
建物内
かつてはここがコンコースで、正面のドアが改札口だったのだろうか。
現在は、ドアを入って左方の階段で地下道へ下りる。向こうが線路・ホームで、手前の車は社員用駐車スペース。
トイレは、何年も前に使った時は、入口は1つで、中で男女別に分かれている古いタイプだったが、現在は、入口から男女に分かれている。トイレの中もリニューアルされたのかもしれない。
新屋駅の工事が行われていた11月末には、この建物で屋根をきれいにする工事が行われていた。
その後、羽後牛島駅へ来ることはなく、3月下旬に久々に来たら、このようになっていた。新屋駅と同時進行でリニューアルが行われたのだろう。
羽後牛島駅リニューアルについてJR東日本秋田支社からの発表もないし、新屋駅ほど工事費用がかかっているようにも見えない。新屋といっしょにやって、費用を抑えようとしたのかしら。
“プチリニューアル”といったところか。(←自分で記述してなんですが、フランス語+英語の異言語の合成が気に入らない。プチトマトも同様。ミニトマトというべきでしょ)
「建物財産標 昭和19年6月」
新屋駅は1920年のこの区間開業時からあったが、羽後牛島駅は1年遅れて開業している。
駅舎は新屋駅は当時のものをずっと使っているが、羽後牛島駅は1944年に建て直されて、それが現在の西側の建物。
羽後牛島駅では、バリアフリー対応とか、持て余している土地を効率化することも必要に思えるけれど、ケヤキの大木とともにたたずむ味のある(元?)駅舎の風景が味わい深い。それがきれいになって気持ちいい。引き続き、大切にしてほしい。
ところで、「羽後+牛島」のように、地名の前に旧国名を冠する駅名は、他地域にある同じ地名と区別する目的。
大久保のように国名なしのものが3駅もあったり、越後湯沢と湯沢のような例もあり、厳密な決まりではない。
では、他に「牛島駅」があるのか。
埼玉県春日部市の東武野田線に「藤の牛島」駅がある。
ただし、旧国鉄ではないし、開業が1930年と羽後牛島より後だから、あまり関連はなさそう。
やはり所在地名が牛島で、「牛島の藤」というフジの巨木があり、それにちなんだ駅名とのこと。
徳島県吉野川市のJR四国徳島線には「牛島」駅。こちらは「うしのしま」と読む。
1899年に私鉄の「牛ノ島」駅として開業、1907年に国有化され、その後「牛島」表記になったので、国鉄駅として羽後牛島より先輩。
表記が重ならないよう、後からできたほうに羽後を付けたことになる。
四国の牛島駅は、無人駅ながら駅舎はあったものの、ちょうど1年前に取り壊され、今は小さな待合室だけの駅舎になったそうだ。
※この後、2019年春に羽後牛島駅の前を通る新しい市道が開通。駅の建物への影響はないが、先立ってケヤキが伐られ、周辺の構造物の配置や車の動線が変わった。こちらにて。
秋田市内の主力駅ですし。
紛らわしいシリーズが福島、郡山。
これはデカイ街なんですが大阪と奈良にあるから(北)と印刷されてます。
大阪の側はABC朝日放送の局舎があるとか。
あと郡山、福島の次に来るデカイ街仙台も読みが同じ駅が鹿児島にあります。
大阪環状線の福島駅は知っていましたが、関西本線には郡山駅があるんですね。知らなかった。
同名駅の券面での区別は、路線名の略をカッコ書きするそうで、秋田の大久保は(奥)のはず。
そういえば、30年以上前のコンピューター発券のきっぷはカタカナ印字だったので、その仙台と川内も区別できなかったのです。
だから、仙台は「東北本線」の意味で「(トホ)センダイ」となっていました。
天候による遅延が多めな羽越線なので、電車が遅れたりするとそれを待つ南高生の列が待合室から地下道まで伸びていたのを思い出します。
寒い冬も暖房が効いているのは小さな待合室だけですし、今思うとなかなか不便ですね。
電車の待ち時間が長い時は、地下道から西口の建物を通り、歩いて秋田駅まで向かっていました。
あの建物は高校時代から不思議だったのですが、やっと謎が解けました。
ホームから見える西口の建物とケヤキの大木は、高校時代の思い出の景色の一つです。
懐かしい写真をありがとうございます。
羽後牛島駅の工事には気付きませんでした。
跨線橋といえば、四ツ小屋駅で降りて御所野イオン方面に歩いていこうとすると、田んぼの中の道をぐるっと遠回りしていく必要があり、不便だと思っていました。跨線橋に上れるように、(手形陸橋のように)螺旋階段でも付けてくれないかな、とよく思います。
地下道が出来る前は、今の国際タクシーと秋田銀行の交差点の所から結構長かったと思いましたが地下道が出来てからは駅が近く感じました。
余談ですが市営住宅の所に無人の野菜販売所が有ったのを思い出しました。20年以上前の事ですが・・・。
お役に立ってよかったです。
ホーム上の壁のある部分は6~8人程度しか座れないでしょうか。地下道まであふれるのは想定内なのでしょう。
秋田-羽後牛島は初乗り料金ですし、線路とほぼ並行する道路を歩けば、大した距離ではないとも言えそうです。東五丁目からバスという手もあります。
人数は多くないのでしょうが、新屋・本荘方面に行く人は歩くには厳しいので、遅延時は大変そうです。
>りおさん
奥羽本線では、大久保の隣の追分もそうでしたね。でも長野県(今は第3セクター化されましたが)のは「信濃追分」。歴史では、北海道、秋田、長野の順みたいですが、おもしろいものです。
四ツ小屋駅~イオンへは、何度か歩いたことがありますが、どのルートがいいのか毎回悩みます。
手形陸橋のお話が出ましたが、車線拡張工事の一環で、30日朝からこれまで使っていた部分の補修工事に入るそうで、車は増設した新しい側を通ることになるそうです。歩道については(県の説明が不十分で)よく分かりませんが、螺旋階段は使用停止となるとのこと。いずれ現地を確認して記事にするつもりです。
>秋田の4227ファンさん
こんばんは。
僕は大人になるまで(というか10年くらい前まで)羽後牛島駅を利用したことがありませんでした。でも、平成初期に新屋まで乗った時は、たしかにディーゼルでした。キハ40系のほか、キハ20とかいう古いのも走っていたはずです。
20年以上前の市営住宅といえば、個人的にはよつば電機。今も建物はありますが。当時はデンコードー以外の家電量販店として、目新しかったものですが、後に企業としてはケーズデンキ→デンコードーとなったようです。
道路拡張は国際タクシー~13号線下で止まってしまっていますが、駅前を経て南側で工事に向けた動きもあるとか。
あの辺りの光景も、いずれ変わってしまうのでしょう。
一時期は、JR貨物に旅客の駅業務を委託していたわけですか。個人的には羽後牛島に貨物列車が発着していたイメージはないものの、有蓋貨車が西側に留置されている風景は、なんとなく記憶にあります。
変化があってこそ、人が暮らす街。せめて、記憶と記録は受け継いでいってほしいです。