●中三が
昨日、青森市に本社のある百貨店「中三(なかさん)」が30日付で民事再生手続きに入ったことが分かった。負債総額は122億5千万円。
昨日から休業しており、1週間程度で営業を再開するが、4月末で全従業員を解雇。スポンサーの支援を得て、営業再開したい方針。
中三は、1896(明治29)年、現在の五所川原市で創業。(創業地の五所川原店は2006年に閉店)
現在は青森市の本店、弘前店、岩手県の盛岡店の3店舗が、それぞれの中心市街地にある。
一時期イオンと提携しており、その際に秋田市郊外のイオン秋田ショッピングセンター(現イオンモール秋田)に秋田店を出店(1997年)したが、2008年に閉店・撤退している。
商品仕入れは三越と提携しているそうだ。
現在、盛岡店は3月14日に発生した爆発事故を受けて休業中だが、盛岡店も含めた3店舗すべてを存続したい方針。
青森の地場百貨店で現在も残るのは、中三だけ。(「さくら野」も地元百貨店の流れを汲んではいる)
そして老舗だけに、地元の人の信頼や親近感は強い。今日の陸奥新報によれば「津軽地域の住民には「手土産は中三の包装紙かどうかで違う」と言われるほど老舗百貨店として別格の存在。」。(秋田で「木内」の包装でないと…と言われたのと同じだ)
秋田店の撤退などから分かるように以前から中三の経営は思わしくなかったのだろうし、そこに爆発事故と大震災による消費低迷が打撃を与えたようだ。
僕は中三については、弘前市下土手町にある弘前店しか知らない。(秋田店にも行ったことなかった)
土手町は大正時代に東北地方で初めて百貨店ができた街であり、戦後には中三を含めて3つの百貨店があった(中三は1962年開店)という。2つは後に閉店や移転し、土手町に残ったのは中三だけだった。
毛綱毅曠(もづなきこう)設計の現店舗は1995年完成
土手町のみならず弘前市中心市街地の核となる店舗だから、弘前市民や商工界のショックは大きいだろう。
営業を再開する方針であるのが救いだ。
【2024年8月30日追記・その後の中三について】
2011年以降、経営再建が続けられ、2019年以降は弘前店のみが営業を継続していた。
ところが2024年8月29日、破産手続き開始。負債総額約9億円で、全従業員を解雇。土手町の衰退や、弘前店の建物の今後(解体する方針との報道も)を不安視する声が出ている。(以上追記)
・「苦して」?
陸奥新報サイトでは、このニュースを知った買い物客の声として「「つぶれればどうするべと苦して来た」」とあるが、「苦して」ってどういう意味?
そんな方言は聞いたことないし、「苦労して」とか「苦しくて」とかの間違いだとしても意味が通らない。どなたか分かりませんか?
【4月2日追記】「苦して」について、皆様からコメントで教えていただきました(コメント欄をご覧ください)。ありがとうございました。
※続きはこちら
●ハイローザ跡地が
中三弘前店の近く、下土手町と一番町付近に、「ドテヒロ」という空き地がある。感覚的には中三のはす向かいかな(実際は離れている)。スクランブル交差点に面した角地で前にバス停がある。
元は上記、東北初の百貨店「かくは宮川」があり(1978年閉店)、1980年から1998年まで「ハイローザ」というファッションビル(?)があった。
ハイローザは閉店後解体されて、弘前商工会議所所有の空き地になり、屋台村のイベントなどが開催されていた。(秋田市の産業会館跡地と同じようなもんだ)
「ドテヒロ」は、その空き地の愛称。
そのドテヒロが、5月にマンション開発業者に売却される見通しであることが先日分かった。29日の陸奥新報によれば「業者は購入した土地に分譲マンションを建設する意向だという。」。
あそこもマンションになってしまうのか。
秋田市広小路の「協働社」跡地がマンションになった時、街の性格が変わってしまったように思え、かつての賑わいはもう戻らない気がした。
ハイローザ跡地もそれと同じようになってしまわないだろうか。
空き地にしておくよりはいいのかもしれないが、土手町と弘前公園の間のあの場所をマンションにしてしまうのはもったいない。
弘前駅前の「ジョッパル(旧ダイエー)」が経営破綻し買い手がつかずに空き屋になっているし、弘前も秋田市中心市街地と同じように、衰退に拍車がかかってしまうのではないかと気がかりだ。
※続きはこちら
昨日、青森市に本社のある百貨店「中三(なかさん)」が30日付で民事再生手続きに入ったことが分かった。負債総額は122億5千万円。
昨日から休業しており、1週間程度で営業を再開するが、4月末で全従業員を解雇。スポンサーの支援を得て、営業再開したい方針。
中三は、1896(明治29)年、現在の五所川原市で創業。(創業地の五所川原店は2006年に閉店)
現在は青森市の本店、弘前店、岩手県の盛岡店の3店舗が、それぞれの中心市街地にある。
一時期イオンと提携しており、その際に秋田市郊外のイオン秋田ショッピングセンター(現イオンモール秋田)に秋田店を出店(1997年)したが、2008年に閉店・撤退している。
商品仕入れは三越と提携しているそうだ。
現在、盛岡店は3月14日に発生した爆発事故を受けて休業中だが、盛岡店も含めた3店舗すべてを存続したい方針。
青森の地場百貨店で現在も残るのは、中三だけ。(「さくら野」も地元百貨店の流れを汲んではいる)
そして老舗だけに、地元の人の信頼や親近感は強い。今日の陸奥新報によれば「津軽地域の住民には「手土産は中三の包装紙かどうかで違う」と言われるほど老舗百貨店として別格の存在。」。(秋田で「木内」の包装でないと…と言われたのと同じだ)
秋田店の撤退などから分かるように以前から中三の経営は思わしくなかったのだろうし、そこに爆発事故と大震災による消費低迷が打撃を与えたようだ。
僕は中三については、弘前市下土手町にある弘前店しか知らない。(秋田店にも行ったことなかった)
土手町は大正時代に東北地方で初めて百貨店ができた街であり、戦後には中三を含めて3つの百貨店があった(中三は1962年開店)という。2つは後に閉店や移転し、土手町に残ったのは中三だけだった。

土手町のみならず弘前市中心市街地の核となる店舗だから、弘前市民や商工界のショックは大きいだろう。
営業を再開する方針であるのが救いだ。
【2024年8月30日追記・その後の中三について】
2011年以降、経営再建が続けられ、2019年以降は弘前店のみが営業を継続していた。
ところが2024年8月29日、破産手続き開始。負債総額約9億円で、全従業員を解雇。土手町の衰退や、弘前店の建物の今後(解体する方針との報道も)を不安視する声が出ている。(以上追記)
・「苦して」?
陸奥新報サイトでは、このニュースを知った買い物客の声として「「つぶれればどうするべと苦して来た」」とあるが、「苦して」ってどういう意味?
【4月2日追記】「苦して」について、皆様からコメントで教えていただきました(コメント欄をご覧ください)。ありがとうございました。
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●ハイローザ跡地が
中三弘前店の近く、下土手町と一番町付近に、「ドテヒロ」という空き地がある。感覚的には中三のはす向かいかな(実際は離れている)。スクランブル交差点に面した角地で前にバス停がある。
元は上記、東北初の百貨店「かくは宮川」があり(1978年閉店)、1980年から1998年まで「ハイローザ」というファッションビル(?)があった。
ハイローザは閉店後解体されて、弘前商工会議所所有の空き地になり、屋台村のイベントなどが開催されていた。(秋田市の産業会館跡地と同じようなもんだ)
「ドテヒロ」は、その空き地の愛称。
そのドテヒロが、5月にマンション開発業者に売却される見通しであることが先日分かった。29日の陸奥新報によれば「業者は購入した土地に分譲マンションを建設する意向だという。」。
あそこもマンションになってしまうのか。
秋田市広小路の「協働社」跡地がマンションになった時、街の性格が変わってしまったように思え、かつての賑わいはもう戻らない気がした。
ハイローザ跡地もそれと同じようになってしまわないだろうか。
空き地にしておくよりはいいのかもしれないが、土手町と弘前公園の間のあの場所をマンションにしてしまうのはもったいない。
弘前駅前の「ジョッパル(旧ダイエー)」が経営破綻し買い手がつかずに空き屋になっているし、弘前も秋田市中心市街地と同じように、衰退に拍車がかかってしまうのではないかと気がかりだ。
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意味は、心配して来たです。
津軽弁なのでしょうか。
秋田でも津軽でも、苦しいことを「へづね(“切ない”の転)」とは言いますが。
中三の件はまさかねえと言う感じでして。
「苦してきた」ですが秋田だと県南で耳にしますね。
意味は「気に病んで」とか「気苦労」とかそんな感じです。
古い江戸言葉が残る上州だと「気がやめらぃね」とこんな感じでしょうか。
秋田は広いですから「へッ?」と思う言葉もありますね。
県南で面白いと思わず吹き出しそうになっyたのがクレーム処理で言われた「なんだてほにや」。
ところが向こうの出身の方に言わせると大激怒や喧嘩がスタートしたときに発せられる枕詞だそうで言われたら非常に危険信号なのだそうです。
でもやっぱりクスッとなっちゃいますね。
ちなみに秋田県南です。
くして、で一発変換できましたが、方言でしょうか?
秋田でも使うんですか。
うちは県南には縁がないからでしょうか、まったく知りませんでした。
秋田県内でも違うし、逆に秋田弁と津軽弁など隣接地域で共通の言語があったり、おもしろいものです。
「なんだてほにや」も知らなかった。覚えておきます。
>naoさん
やはり県南ですか。
辞書には載ってないようですが、方言は奥が深いですね。
まだまだ勉強不足でした。
意味は、皆様がおっしゃる通り「心配する」が正当です。
恐らくは「苦に思う(くにおもう)」という言葉が転じたものと思われます。
ハイローザの件ですが、最近になって鋼製の工事用仮壁が敷地周囲に張り巡らされ、中ではなにやら作業をしているようです。たぶん建物建この件は近々アップしようと思ってましたので、その際は参考までにご覧ください。
たぶん建物建設のための地質調査を行っているようです。
この件について近々アップしようと思ってましたので、その祭は参考までにご覧ください。
同じ秋田でも様々ですね。
鮭でも…『シオビキ』とか『ボダッコ』って言いますよね。
津軽弁は多少は知っていたつもりでしたが、ぜんぜんでした。
「苦する」だと何だかよく分かりませんが、「くぅするじゃ」と言われてみれば、そういう津軽弁があってもおかしくないですね。
それにしても、地方紙とはいえ、そのまんま紙面に載せてしまう陸奥新報って…(他の市民のコメントは共通語でしたけど)
郷土の新聞・秋田魁新報もこれくらいやってもいいかもしれません。
今まで弘前に行っても、ハイローザの場所はほとんど意識していませんでした。ぜひ、状況をアップしてください。
>秋田市民→京都府民さん
市内でも使いますか。世代や親の出身地などにもよるのでしょう。
うちは「ボダッコ」は言いますが、「シオビキ」は使わないかもしれません。
塩鮭の切り身を並べた様が「ボタンの花」のように見えることから「ボタ」+秋田弁特有の「っこ」で「ボダッコ」になったらしいです。(東日本放送「週刊ことばマガジン」より)