広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

コシヒカリ弁当+思い出

2019-09-11 00:17:15 | 各地お土産・食べ物
えび千両ちらしに続き、新潟駅弁をもう1つ。今回は地味な存在のもの。
帰りの車内で食べる駅弁は、幕の内系がいいかな。新潟の各社の駅弁はどれもおいしいのは分かっているが、えび千両ちらしほど個性が強いものはなく、迷う。時間と改札出入り自由のフリーきっぷがあるのをいいことに、改札内外の複数店舗を物色。

万代口改札外・NewDays隣の駅弁店「たび御膳」に、1つだけ残っていた弁当が気になった。中身の写真が並べられているが、その駅弁だけ写真がなかったはず。でも名前である程度想像が付くし、名前こそ選んだ理由(後述)。
新潟コシヒカリ弁当 1000円
「新潟県産コシヒカリ米使用」「幕の内弁当」と書いてある。本家新津や新発田でなく、新潟三新軒の商品。

そう言えば三新軒系列各社の駅弁は、「掛け紙」でなく、ボール紙製の箱のフタに印刷する方式のものが多い気がする。えび千両ちらしは、手がこんでいるものの、似た感じだった。鮭の焼漬弁当は掛け紙か。
仕出し弁当っぽい雰囲気もするけれど、製造時も車内で食べる時も、楽かも。

フタを開けると、
おしぼり付き
箱の中にプラスチックトレイが収まっていて、割り箸を入れるべきスペースも確保されているが、そこでなく透明フィルムの上に乗っかっていた。
箸袋には「一口食べてほっこり笑顔に」のフレーズとQRコードも。

この時初めて、おかずのラインナップを知ることになった。フタにも中にも「おしながき」は見当たらない。
原材料名欄を見れば見当がつくものの、箱の底に印刷してあって、持ち上げて見上げないとならない。
袋入りソース添付
すじこがあるのは新潟らしいかな。赤カブの漬物は庄内地方を連想するけど新潟でもそうなのかも。あとは玉子焼き、鮭、コロッケ?(後述)、煮物等、いかにも幕の内弁当の構成。左下赤カブの隣は、肉のようなさつま揚げのような物体?
中央には大きめのエビが鎮座。食べる時、手で殻を取るのが面倒だし、僕は大きいエビは好きじゃない(サクラエビは好き)。
“典型的すぎる”幕の内弁当で、買って失敗したかなと思いつつ食べ進めると、否、買って良かった。

まず商品名に偽りなし。コシヒカリのごはんがとてもおいしい。冷めているからこそのおいしさもある。米にはうるさい秋田県民として(だからこそ)認めざるを得ないおいしさ。
※秋田駅の「あきたこまち弁当」もおいしいですよ。
【11日補足】すじこの上は「小なすかす漬け」、エビとコンニャクの間の煮物は「魚団子」。昆布巻が「鮭巻昆布」なのも新潟ならでは
おかず。エビを最初にいただいてしまうことにしたが、殻ごと頭も食べてしまえた。これならまあいいかな。
鮭。そこそこしょっぱいが、脂が乗っている。鮭の焼漬とも塩鮭とも違って、これもいい。
コロッケのように見えたのは、豚メンチカツ。からっと揚がっていて、中はジューシー。
左下の謎の物体は「麩」の煮付けみたいなの。庄内地方もだけど、新潟も産地。柔らかく、味がしみている。もっと目立つ場所に、もっと多くてもいい。

どれもおいしかった。その土地の食べ物が使われたいろんなおかずを少しずつつまみながら、ごはんを食べていく幕の内こそ、駅弁だ。
次に新潟に行った時は、鮭の焼漬弁当にえび千両ちらしにコシヒカリ弁当【11日補足・この3商品で三新軒3社コンプリート】と、また食べたい駅弁もあれば、試したい未知の駅弁【11日補足・神尾弁当の商品は未食だし】もあるだろう。大いに迷うこと間違いなし。

以上、2019年8月の新潟コシヒカリ弁当でした。
旅行記の続き
以下、コシヒカリ弁当の思い出。

さて、今回、コシヒカリ弁当を選んだ理由。以前同名の弁当を食べたことがあり、名前を見て懐かしかったから。
1993年秋の高校の修学旅行。※その修学旅行での比叡山のレストランの話
帰りに乗った、下り特急「白鳥」車内での夕食として、新潟駅から積みこんで配られたのが、「コシヒカリ弁当」という名前だった。製造業者やおかずは記憶がないが、「三新軒」という名前に接し、由来を不思議に感じた気がしなくもない。
とにかくごはんがおいしくて、これがコシヒカリなのかと感動したのははっきりと覚えている【11日補足・当時の秋田ではあきたこまちやササニシキがメインで、コシヒカリはあまり流通していなかったはず】。ごはんは一口大の俵型に盛られていた気がしなくもない。
ちなみに1993年は大冷害で、タイ米が輸入・抱き合わせ販売されるなどした「平成の米騒動」であった。

今回、26年ぶりに再会したとしたいところだが…
ネット上には、少し以前の新潟三新軒のコシヒカリ弁当の情報がある。2005年時点では、現在とは箱のデザインも、白身魚のフライがあるなどおかずも異なっていた。
また、2006年には新津の三新軒で「幕の内風弁当こしひかりデラックス弁当」という、鮭、エビフライ、(焼漬弁当と共通の)煮豆やメンマやパインが入ったものも存在。どちらもごはんは俵型ではなく、平らに盛り付け。
ということで、1993年と製造業者は同じ可能性はあるが、中身はだいぶ違っていることになる。でも、おいしかったから良かった。【11日追記】コシヒカリのおいしさは、26年前も今も変わらなかった。


さらに余談で、半日かけて京都から秋田へ帰る「白鳥」では、昼食も車内で駅弁。
福井駅で積みこんだ「番匠本店」の「越前かにめし」。
カニの形の容器に入った、カニのたきこみごはんにズワイガニの身を散らしたもの。今も駅弁大会で売られる人気商品だが、1300円もするのか(えび千両ちらしとほぼ同額)。

ちなみに僕は中学校の修学旅行では、初日の夕食がかにめしであった。フェリーで函館に着き、バスで宿泊地のルスツリゾートへ向かう途中、長万部の「ドライブインかなや」で、長万部駅の駅弁を器に盛った形で食べた(「器が上げ底だった」と後で語る先生がいた)。僕のかにめし初体験が長万部、次が福井。

当時の秋田の公立高校では、関西への修学旅行で白鳥に半日乗ることは珍しくなかったが、我々がかにめしを食べることができたのは、こんないきさつがあった。
その前年、高校1年生だった1992年度にさかのぼる。我々の学年主任だった先生が、1つ上の人たちの修学旅行に同行し、帰ってから授業の中で、報告してくれた。
学年主任が、担当学年でない学年の修学旅行に同行するというのは、引率というよりも、次年度の参考とするためのオブザーバー的立場だったそうだ。
その時は、帰りの白鳥での駅弁が、昼も夜も幕の内弁当で、「同じようなものを続けて食べさせられてかわいそうだった」とのこと。

代理店は我々の時はJTB(1年前の段階で決まっていた)で、その前年は他社。「来年はJTBさんだから、そういう点(の配慮)は大丈夫だと思うけど、わたしからも要望しておきます」とおっしゃっていたのを覚えている。
で、その結果が、福井のかにめしだったのだなと、思いながら食べた。

実は、その1年の時の学年主任の先生は、翌年度2年の学年主任とはならず、我々の修学旅行に同行しなかった。1993年春の異動で他校へ栄転の形で転出されてしまったから。

あと、行きも上り「白鳥」に同じ時間だけ乗ったわけだが、食事の記憶はおぼろげ。
昼は各自持参した弁当だろうか。夜は京都で近鉄に乗り換えて、奈良の宿に入ってから食べたんだろうな。

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6 コメント

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Unknown (とまきち)
2019-09-11 19:12:38
修学旅行、行きは同じく白鳥でした。出発時は皆テンションが高かったですが、さすがに10時間の乗車は長く感じたことを覚えています。
帰りは4泊目と5日目が寝台特急日本海。実質3泊4日で朝8時過ぎに秋田駅で解散でした。
余談に食いついてすみません。
懐かしい、昭和最後の秋の思い出させていただきました。
返信する
修学旅行 (taic02)
2019-09-11 23:25:04
日本海もしくは集約臨時列車の寝台を使う場合も多かったですね。
今まで気にかけていなかったですが、その場合、車中泊も含めて4泊だったんですね。我々は奈良1泊・京都3泊、5日目の20時過ぎに秋田着ですから、5日間をフル活用だったことになります。うち2日はほぼ移動のみですが。

半日座りっぱなし・乗りっぱなしは、鉄道旅行が大好きな人でもない限り苦行かもしれません。我々も行きはにぎやかだったものの、帰りは疲れて静かだったはずです。
今ではもうできない経験です。
返信する
Unknown (spkwt)
2019-09-12 17:16:03
1988年、私も行きは白鳥、帰りが日本海でした。
帰りの酒田で積んだ朝食弁当のまずいことまずいこと…
どれか個別のおかずがまずいというより、どこを食べても形容しがたいまずさでした。
未だに修学旅行と聞くと、あのまずい弁当が思い出されます。
返信する
食の思い出 (taic02)
2019-09-12 19:17:43
行きより帰りを夜行にするケースが多かったのでしょうか。
なるほど。秋田は日本海1号では早すぎ、9時前着の3号となり、朝食を食べてから降りたわけですね。
酒田の駅弁業者は2005年に廃業していて、食べた経験はありません。旅行終盤の寝起きで弁当というのも、ちょっとキツイかもしれないです。
僕は10年ちょっと前、上り日本海で新大阪に着いて買ったサンドイッチが、まずいというよりぜんぜん味がないもので戸惑ったのを思い出しました。
良くも悪くも食の思い出は、強く残るものかもしれません。
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Unknown (Unknown)
2019-09-12 20:50:19
私の時は、往路は「白鳥」で昼食は各自持参、夕食は旅館。
復路(5日目)も「白鳥」で、昼食は加賀温泉で積み込み、夕食は酒田で積み込みでした。
加賀温泉の弁当は仕出し弁当みたいなのでしたが、酒田の弁当はおそらく駅弁の幕の内だったと思います。
復路の「白鳥」では、北陸地区で駅弁専門の車販が乗ってきて張り切って販売を始めましたが、積み込みがあると聞いて一転、落胆してました。
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積込み駅 (taic02)
2019-09-12 22:44:19
我々と同じく往復とも白鳥パターンながら、積み込み駅は違うのですね。加賀温泉に駅弁がある(今もあるそうです)とは知らなかったです。
白鳥のダイヤと駅弁業者のある駅を合わせると、夕食は新潟か酒田の二択。昼食は福井、加賀温泉、金沢といったところです。
修学旅行生が車内販売を使うことはあまりないかもしれません。我々の時は、利用を学校から禁止されなかったはずですが、お兄さんは黙って素通りしていました。
初日の昼食は各自弁当持参というのは、定番だったみたいですね。僕は小中高とも、おそらくそうでした。
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